シンクロニシティ

(シリーズ・シンクロニシティ)「私がスピリチュアルと出会った切っ掛け」(2人の師匠との物語)Vol.-4

(シリーズ・シンクロニシティ)「私がスピリチュアルと出会った切っ掛け」(2人の師匠との物語)Vol.-4

 

こんにちは。スピリチュアルランド、MIYA-JUNです。

ここで、ハーブに対する私の立場をまとめます。

 

 

ハーブについて・1
世界の流れ

 

いま世界では大麻(ハーブ)解禁の流れが急速に進行しています。医療用合法化の次は、嗜好品として認める動きも始まりました。

この方面での日本は、先進国の中では一番遅れています。

先日も、タレント高木沙耶さんを総攻撃する様子にガッカリと言いますか、世界の目を考えれば、恥ずかしく思いました。

実際の所、体にも心にも世の中にとっても、素晴らしく良い物です。治療効果と予防効果も絶大で、そもそも病気になりません。

ただし、使い方次第では、プラス面とマイナス面がありますし、合う合わないといった問題もあります(要するにスキズキですね)。

有益な使用の為には、(情報・教育・啓蒙など含む)知識が不可欠です(どんな物でも同じです)。

 

 

見解(MIYA-JUN)

 

さて、私の個人的な考えを述べます。

ハーブ等の使用により、悟りや覚醒の擬似体験は可能です。別次元世界への入り方が分かります。

それを通じて、スピリチュアル探求の1つの切っ掛けとする。そこの所に最大の価値を見ます。

それだけで、もう充分です。なので、日常的に使用したら元の木阿弥の、単なる娯楽品になってしまいます。

高い志を持ち、自分の中での神聖な儀式とする。それに尽きると考えます。(「ありがとうございます。」「いただきます。」を忘れない事です。)

だけど、それは個人の選択の自由であるべきで、法律で禁止する事には反対です。

ハーブ、アルコール、宗教。全ては、その人次第なのです。

ラスタファリズム(共感します)では日常の中に取り入れますが、釈迦は厳しく禁じていました。

例えば、回数を重ね、ハーブを熟知していながら、振る舞われて断る人がいます。

「今いる、ナチュラルに獲得したイイ状態。“こっち”の方が好きだ。」との答が帰って来ます。

つまり、肯定も否定も理由は様々で、白黒つける様な話でもありません。

最終的には、有っても無くても構わない、自分の外側に何物も求めない、依存のない状態が理想です。

 

 

ヒッピーとの関係

 

ちなみの話です。

1960年代、アメリカ西海岸地区発祥の巨大なウネリと波が押し寄せ、世界を飲み込んでしまいました。

それが「ヒッピー・ムーブメント」です。

人間と社会の新たな可能性を追求する運動。今では考えられない程、若者達は熱く燃え上がりました。それは、ハーブやLSD等と共にありました。

この時代を過ごしたアメリカ都市部の若者の、過半数以上がハーブを経験しています。

後々、そんな事はさせないよと言う勢力が優勢になり、非合法化されますが、つい最近になって、また緩み始めたと言う訳です。

ともかく事実上、あの時代を通過後に、世界は大きく変化しました。何しろ彼等は、「見て」しまったのですから。

(私の大好きなアップル創業者スティーブ・ジョブズも、その1人です。)

※※※ハーブの件は、またいずれ別の機会に詳しく書こうと思います。(「ヒッピー・ムーブメント」も特集文にしたいテーマです)。

とりあえずは、中山康直さんとバシャールの見解を紹介させていただきます。この前編の巻末に引用文を載せますので、参考にして下さい。

・・・・・・では、本題へ戻ります。

(続く)

 

 


次回もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 

 

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