シンクロニシティなリンク集3/3

シンクロニシティなリンク集3/3

 

どうぞ素敵な出会いを、お楽しみ下さい。

良い旅を。・・・・・・

※※※リンク先の名前の青文字をクリックして下さい。

 

※このコーナーは、現在作成中です。充実した内容に仕上げますので、よろしくお願いいたします。

 

☆☆☆<目次>☆☆☆
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こちらから)
TV、ラジオ、FM

ラジハピ / ラジオdeハピネス、スピリチュアルTV、Voicy(ボイシー)、radiko(ラジコ)、Accu Radio、RadioTunes、JAZZRADIO.com、ClassicalRadio.com、ROCKRADIO.COM、Digitally Imported、Zen Radio

ジャーナリズム

Yahoo!ニュース、ニューズウィーク日本版、ニューズオプエド、8bitNews、ビデオニュース・ドットコム、IWJ、デモクラシーナウ!、OurPlanet-TV、デモクラシータイムス、アゴラ-言論プラットフォーム、SYNODOS(シノドス)、週間金曜日オンライン、マガジン9、田中宇の国際ニュース解説、ダースレイダー、掲示板-阿修羅、荻上チキ・Session、BLOGOS(ブロゴス)、現代ビジネス、NewsPicks、ハフポスト日本版、BuzzFeed Japan、クーリエ・ジャポン、Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)、VICE Japan、堀潤、上杉隆、神保哲生、津田大介、宮台真司、森達也、古賀茂明、望月衣塑子、田原総一朗、雨宮処凛、孫崎享、植草一秀、安田菜津紀、伊勢崎賢治、土井香苗、船瀬俊介、町山智浩、どうぶつ新聞、REANIMAL(リアニマル)

新刊書店

書泉グランデ、ブッククラブ回、ジュンク堂(池袋本店)、ナワプラサード、模索舎、たにぐち書店(薫風花乃堂)、タコシェ、本屋 B&B、東京天狼院、蔦屋書店(代官山 T-SITE)、蔦屋書店(湘南T-SITE)、青山ブックセンター、かもめブックス、SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS、ユトレヒト、双子のライオン堂、旅の本屋『のまど』、イレギュラー リズム アサイラム、honto、信愛書店、Readin’ Writin’ BOOKSTORE、文喫

古本屋

まんだらけ海馬、気流舎、よみた屋、横浜河童堂、奇魂(くしみたま)文庫、SNOW SHOVELING BOOKS、ダーウィンルーム、百年、一日、ブックオブスキュラ、日月堂、Flying Books、無人古本屋 BOOK ROAD、ブックマンション

出版社

アナスタシア・ジャパン、ヒカルランド、ナチュラルスピリット、VOICE、サンマーク出版、たま出版、地湧社、徳間書店、明窓出版、ビオ・マガジン、春秋社、平河出版社、中央アート出版社、めるくまーる、太陽出版、出帆新社、イザラ書房、風濤社、ホメオパシー出版、ハート出版、八幡書店、竜王文庫、霞ヶ関書房、潮文社、日本教文社、天声社、サンガ出版、愛善世界社、フレグランスジャーナル社、宗教心理出版、ガイアブックス、工作舎、木楽舎、本の雑誌社、青林工藝舎

出版物(雑誌)

アネモネ、ザ・フナイ、名前のない新聞、通販生活、ソトコト、スペクテイター、WIRED、美術手帖、カーサ ブルータス、トランジット、コヨーテ、秘伝、ワンダーJAPON、アックス、本の雑誌、酒とつまみ、野宿野郎、ルーフトップ、縄文ZINE

 

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こちらから)
ショップ

銀河工房、アナスタシア・ジャパン、テンプルビューティフル、ワールドハーモニー・テラ、テネモスのお店、ほんものや、にんげんクラブ、BlueMOON、薫風花乃堂、クレヨンハウス東京店、エコロジーショップ GAIA、グルッペ、長本兄弟商会、発酵DEPARTMENT、ナマケモノ倶楽部、元祖仲屋むげん堂-本陣、素人の乱5号店、黒猫(円盤・改め)、CD通販 Meditations、カケハシ・レコード、マジェルカ、ニヒル牛、オプティックレインボー、Glass工房602、アミーゴ・マーケット

カフェ、バー、レストラン

図書館カフェ HABI∞ROAD、森の図書室、ROUTE BOOKS、よるのひるね、ブックカフェ二十世紀、アール座読書館、カフェスロー、バルタザール、タイヒバン、GYRE.FOOD、くぐつ草、ほんやら洞、なんとかBAR

楽器

ハナムラ楽器、Five G、ボゴランマーケット、中国屋楽器店、ジャパン・パーカッション・センター、アフリキコ、プロフェッショナル パーカッション、レソノサウンド、ティンガ・ティンガ・ハウス

ミュージアム

養老天命反転地、岡本太郎記念館、岡本太郎美術館、江之浦測候所、角川武蔵野ミュージアム、民音 音楽博物館、太鼓館、武蔵野音大 楽器博物館、東京音大 付属民族音楽研究所、現代マンガ図書館、東京都埋蔵文化財センター、國學院大學博物館、水子貝塚資料館、下高井戸塚山遺跡復原住居、釈迦堂遺跡博物館、茅野市尖石縄文考古館、浅間縄文ミュージアム、江戸東京博物館、深川江戸資料館、Samurai Museum、すみだ北斎美術館、太田記念美術館、相撲博物館、江戸東京たてもの園、昭和レトロ商品博物館、昭和幻燈館、昭和のくらし博物館、昭和館、ラジオ・ラジカセミニ博物館、日本科学未来館、東芝未来科学館、科学技術館、三菱みなとみらい技術館、宇宙ミュージアムTeNQ、筑波宇宙センター JAXA

神保町・古書店街

書泉グランデ、たにぐち書店、三省堂書店、東京堂書店、マグニフ、小宮山書店、ボヘミアンズ・ギルド、源喜堂書店、南洋堂書店、文献書院&ブンケンロックサイド、ラドリオ、さぼうる、ミロンガ・ヌオーバ、ブックカフェ二十世紀、薫風花乃堂

中野ブロードウェイ

まんだらけ海馬、まんだらけマニア館、Zingaro、タコシェ、ブックスロンド社、フジヤエービック Part2

観光

フィオーレの森、奥野ビル、ジョンソンタウン、沖縄タウン杉並和泉明店街、東中野ムーンロード、渋谷スカイ、岡本太郎・作品鑑賞の旅、梵寿綱の建築作品めぐり、天命反転住宅、中銀カプセルタワービル、西郊ロッヂング、箱根本箱、BOOK AND BED TOKYO、UNPLAN Kagurazaka、CITAN、Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE、toco.、ARTnSHELTER、BnA HOTEL Koenji、マヌケ宿泊所、ファースト エアラインズ、セドナ観光、ヘイト・アシュベリー観光、廃墟めぐり観光-A、廃墟めぐり観光-B、ピースボート・クルーズ、JamHouse 天照、Coビレッジを巡る旅、シャンテクティ、アミーゴ・イン

映画館

ポレポレ、ラピュタ、アップリンク吉祥寺、アップリンク渋谷、ユーロスペース、シネマヴェーラ、イメージフォーラム、ル・シネマ、ヒューマントラストシネマ渋谷、恵比寿ガーデンシネマ、目黒シネマ、K’s cinema、シネスイッチ、ヒューマントラストシネマ有楽町、神保町シアター、岩波ホール、ギンレイホール、新文芸坐、早稲田松竹、下高井戸シネマ、トリウッド、シネマ・チュプキ・タバタ、国立映画アーカイブ、シネマリン、ノヴェチェント、ジャック&ベティ、シネマアミーゴ

ライブハウス

晴れたら空に豆まいて、月見ル君想フ、曼荼羅、MANDA-LA2、スターパインズカフェ、南青山MANDALA、クラブクアトロ、La.mama、公園通りクラシックス、クロコダイル、ブルーノート東京、Billboard Live TOKYO、EXシアター、スタジオコースト、クラブチッタ、Billboard Live YOKOHAMA、GEMINI Theater、ピットイン、目黒 APIA40、Blues Alley Japan、ロフトプラスワン、ネイキッドロフト、阿佐ヶ谷ロフトA、LOFT9、ROCK CAFE LOFT is your room、ロフトチャンネル、CLUB Que、ライブバー440、ラ・カーニャ、レテ、地球屋、じみへん、ショーボート、U.F.O. CLUB、JIROKICHI、無力無善寺、アケタの店、両国フォークロアセンター、DOMMUNE

劇場

ザ・スズナリ、本多劇場、ステージカフェ下北沢亭、紀伊國屋ホール、紀伊國屋サザンシアター、座・高円寺、ザムザ、なかのZERO・野方区民ホール・なかの芸能小劇場、三鷹市芸術文化センター、かつしかシンフォニーヒルズ&かめありリリオホール、深川江戸資料館-小劇場、シアターX、テルプシコール、plan-B、APOCシアター

イベント・スペース

シェアビズBlossom、ポレポレ坐、ホビット村学校、大月ピラミッドセンター、蒲田哲学カフェ、本屋 B&B、ダーウィンルーム、東京天狼院、荻窪ハウルのお家、hako gallery、東京国際フォーラム、幕張メッセ、東京ビッグサイト、スパイラル、シブヤ大学、ダイアログ・イン・ザ・ダーク、ダイアログ・イン・ザ・ライト、ダイアログ・イン・サイレンス、ダイアログ・ウィズ・タイム、ダイアログ・イン・ザ・ダーク「内なる美、ととのう暗闇」、ダイアログ・イン・ザ・ダーク「対話のある家」、ダイアログ・ミュージアム「対話の森」

 

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改革者たち

(党首)山本太郎・(政党)れいわ新選組、オードリー・タン、スティーブ・ジョブズ、猪子寿之、落合陽一、堀江貴文、ニコラ・テスラ、エドガー・ケイシー(スピリチュアル)、チェ・ゲバラ、マハトマ・ガンジー、ジョン・レノン、ボブ・マーリー、忌野清志郎、岡本太郎、寺山修司、野口晴哉(スピリチュアル)、植芝盛平(スピリチュアル)、甲野善紀、辻信一(SDGs)、田中優(SDGs)、小倉ヒラク、松本哉

探求者たち・A

ウラジーミル・メグレ(スピリチュアル)、ダリル・アンカ(スピリチュアル)、エンリケ・バリオス(スピリチュアル)、コリーヌ・セロー(スピリチュアル)、ベアードT.スポルディング(スピリチュアル)、モーリス・ドリール(スピリチュアル)、デヴィッド・R・ホーキンズ(スピリチュアル)、ドランヴァロ・メルキゼデク(スピリチュアル)、ジェーン・ロバーツ(スピリチュアル)、バーバラ・マーシニアック(スピリチュアル)、オレリア・ルイーズ・ジョーンズ(スピリチュアル)、リサ・ロイヤル(スピリチュアル)、カルロス・カスタネダ(スピリチュアル)、オムネク・オネク(スピリチュアル)、スザン・ワード(スピリチュアル)、ミヒャエル・エンデ(スピリチュアル)、ファルコ・ タラッサコ(スピリチュアル)、ドロシー・マクレーン(スピリチュアル)、ディーパック・チョプラ(スピリチュアル)

探求者たち・B

三浦関造(スピリチュアル)、中山康直(スピリチュアル)、半田広宣(スピリチュアル)、Kan.(スピリチュアル)、グレゴリー・サリバン(スピリチュアル)、足立育朗(スピリチュアル)、足立幸子(スピリチュアル)、エハン・デラヴィ(スピリチュアル)、知花敏彦(スピリチュアル)、河合勝(スピリチュアル)、飯島秀行(スピリチュアル)、関野あやこ(スピリチュアル)、坂本政道(スピリチュアル)、小林正観(スピリチュアル)、増川いづみ(スピリチュアル)、中矢伸一(スピリチュアル)、吉野信子(スピリチュアル)、白峰由鵬(スピリチュアル)、松村潔(スピリチュアル)、高木悠鼓(スピリチュアル)、船井幸雄(スピリチュアル)、おおえまさのり(スピリチュアル)、山川紘矢・亜希子(スピリチュアル)、中沢新一(スピリチュアル)、星野道夫(スピリチュアル)、宮沢賢治(スピリチュアル)

探求者たち・C

ホール・アース・カタログ、スチュアート・ブランド、ケビン・ケリー、ブライアン・イーノ、ジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッド)、オノ・ヨーコ、ユヴァル・ノア・ハラリ、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)、細野晴臣、坂本龍一、ピーター・バラカン、落合恵子、松岡正剛、松島倫明、船瀬俊介、苫米地英人、坂口恭平、福岡正信、山田魂也(ポン)、南正人、淺井カヨ、みうらじゅん

覚醒者たち

アナスタシア(スピリチュアル)、バシャール(スピリチュアル)、Osho(バグワン・シュリ・ラジニーシ)(スピリチュアル)、クリシュナムルティ(スピリチュアル)、ヨガナンダ(スピリチュアル)、グルジェフ(スピリチュアル)、シュタイナー(スピリチュアル)、五井昌久(スピリチュアル)、岡本天明(スピリチュアル)、出口王仁三郎(スピリチュアル)、出口ナオ(スピリチュアル)

 

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改革者たち

(党首)山本太郎・(政党)れいわ新選組、、ブログ、、FB-1、、FB-2、、twitter-1、、twitter-2、、Instagram、、youtubeチャンネル-1、、youtubeチャンネル-2、、セレクト動画、、紹介記事 (わたくしスピリチュアルランドMIYA-JUNは勿論のこと、スピリチュアル系・ヒッピー&パンク系ほか、現代社会に「生きづらさ」を感じるアウトサイダーな人種の大半が支持する山本太郎・れいわ新選組。………<党首の発言>「あなたが明日の生活を心配せず、人間の尊厳を失わず、胸を張って人生を歩めるよう全力を尽くす。」「あなたを幸せにしたいんだ!」「ないとことろから取るな、あるところから取れ。 」「消費税ゼロ、奨学金チャラ、最低賃金1500円にして、消費をアップして、豊かな生活を取り戻そう。」「あなたを守るために国があるんじゃないのって?」「自己責任で生きろってスタンスの国に、どうして税金を納めなきゃいけないのだろう?」「搾取され続けて、ただ生きているだけというような人生、あまりにも辛いじゃないですか…」「この国が壊れるっていう事態が待てますかって、待てないですよ!」「そろそろみんな怒ろう! 生きていてくれよ! 死にたくなるような世の中を止めたいんだ!」「あなたはすでに頑張りすぎている。 本当に頑張らなければならないのは政治だ。」「だったら政治を変えるしかない!」「政治を変えよう。生きていてよかったと思える社会を、政治を通してつくってみよう。」「私は首相になる! 」………<政策>ロスジェネを含む、全ての人々の暮らしを底上げします!。消費税は廃止。安い家賃の住まい・全ての世代が初期費用なし。奨学金徳政令・教育完全無償化。全国一律!最低賃金1500円。保育・介護・障害者介助・事故原発作業員など公務員を増やします。食料自給率を100%目指し一次産業戸別所得補償。防災庁を創設し災害に備える。コンクリートも人も〜本当の国土強靭化、ニューデイールを〜。お金配ります〜デフレ脱却給付金・デフレ時のみ時期をみて〜。財源はどうするの?~デフレ期にしかできない・財政金融政策~。真の独立国家を目指します〜地位協定の改定を〜。TPP協定・水道法・カジノ法・特定秘密保護法・派遣法・テロ等準備罪など「トンデモ法」一括見直し・廃止。原発即時禁止・被曝させない ~エネルギーの主力は当面LNG~。障がい者への「合理的配慮」を徹底、障がい者福祉と介護保険の統合路線は見直し。被害者支援と加害者対策、防止教育を基本とし、DV・虐待のない社会の実現へ。児童相談所問題を家庭裁判所で判断、里親・特別養子縁組制度の拡充。動物愛護・犬猫殺処分ゼロ。………<山本太郎>2011年4月から、反原発活動を開始。13年7月、参議院選挙に東京選挙区から出馬し、初当選。14年、「生活の党」に合流し、「生活の党と山本太郎となかまたち」に改称、小沢一郎氏と共同代表に(16年に自由党に改称)。19年4月、独自に「れいわ新選組」を旗揚げし、7月の参院選に比例区より出馬。同党は政党要件を満たす票を得るものの本人は落選。2020年7月5日執行の東京都知事選に出馬するも、(立候補22名中)得票数3位で落選。………<れいわ新選組>2019年7月の参議院選挙で#(ハッシュタグ)付きのメッセージ「#あなたを幸せにしたいんだ」が、SNS上で爆発的に拡散。これを打ち出したれいわ新選組は、大手メディアから黙殺されながらも、比例特定枠で重度障害者2名を国会に送り出し大躍進。)

オードリー・タン、、youtube-1、、youtube-2、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8 (次代のカリスマとして世界が注目する、台湾の若き大臣。画期的で斬新なアイデアと、並外れた柔らか頭の発想力を使い、「民主主義の回線速度を上げる」「民主主義のアップデート」「民主主義のデジタル化」を推進する天才イノベイター。トランスジェンダー、IQ180以上。2019年、台湾のコロナ対応では、薬局など各販売店のマスク在庫がリアルタイムで確認できるアプリマスクマップ」を開発し、感染押さえ込み世界一を達成。入閣時の宣言は、デジタル技術を活用した「Radical Transparency(徹底的な透明性)」と「開かれた政治(オープンガバメント)」を実現し、市民と政府が協力して問題解決に取り組むための「パイプ」となること。具体的な取り組みは、情報の透明化を推進するプラットフォームの構築、オンラインで法案を討論できるプラットフォームの構築、台湾各地の課題の解決策を市民・有識者から募り政策に取り入れるコンテストの実施、フェイクニュース対策に特化した調査室の運営、など。「民主主義のアップデート」については、新しい投票方式「クアドラティックボーティング(1人1票の原則を崩し、複数候補者に投票される仕組み)」、毎日の国民投票、投票のハードルを下げ項目を細分化、一つ一つは数秒でデジタルに投票できるようにするのが鍵との事。問題解決具体的行動のほか、ユーモア精神・前向きな明るさ・優しい人柄は、老若男女すべての国民から大人気。………<発言>「危機(コロナ)の時だから前進できる。」「危機は、あらゆる面で民主化を促す。」「長期的な価値が大切、GDPなんて無意味。」「デジタル空間には富・人・環境を“奪い合ったり破壊したりすることのない経済”を築くことも可能。」「テクノロジーで、どんな未来を創るかは、すべて人しだい。」「人工知能は永遠に人間の知恵に取って代わることはない。」、ほか。………<プロフィール>オードリー ・タン[唐鳳、Audrey Tang]、1981年台湾生まれ。幼少期からコンピューターに興味を持ち、インターネットの登場とともに独学でプログラミング言語を勉強。14歳で中学を中退し、15歳で起業(開発したソフトウェアは全世界で約800万セットを販売)。その後米シリコンバレーに渡る。プログラミング言語「Perl」(パール)開発への貢献で世界から注目される。デジタル顧問として招聘された米Appleでは人工知能型音声アシスタントSiriを開発。2014年の「ヒマワリ学生運動」への支援を機に公共問題に関心を持つ。2016年、蔡英文政権の行政院の政務委員(閣僚)に35歳という史上最年少で登用される。部門を超え、行政や政治のデジタル化を主導する。2019年、台湾のコロナ対応では、薬局など各販売店のマスク在庫がリアルタイムで確認できるアプリ「マスクマップ」を導入。アメリカの外交専門誌『フォーリン・ポリシー』のグローバル思想家100人に選出。2020年、「東京都の新型コロナウイルス感染症対策サイト」に参加し、その「神対応」っぷりが話題に。東京都が積極的にオープンソース・オープンデータに取り組んだこと、その結果台湾の天才デジタル担当大臣との協力が生まれたことは、理想的な行政の未来を象徴するようであり、多くの人に驚きと賞賛の気持ちを抱かせる。著作は、「オードリー・タン 自由への手紙(講談社)」「オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る(プレジデント社)」「Au オードリー・タン 天才IT相7つの顔(著:アイリス チュウ&鄭 仲嵐)(文藝春秋)」。………<本人からのメッセージ、シリーズ自由への手紙Vol.1~14、構成クーリエ・ジャポン>「私はなぜスマホをつかわないか(こちらから)」「『ドラえもん』こそが今、世界を救う支援AIのモデルになる(こちらから)」「台湾の若きIT大臣がコロナの封じ込めに大成功したワケ(こちらから)」「年齢から自由になる方法(こちらから)」「学びに必要なのは競争ではない(こちらから)」「“対立を生まない”SNSの使いかた(こちらから)」「台湾初トランスジェンダーの大臣「愛する対象はホモサピエンス」と公言するワケ(こちらから)」「『男はブルー、女はピンク』の罪(こちらから)」「“家族”という枠組みから自由になる方法(こちらから)」「強制のない社会、安心できる社会のために(こちらから)」「#(ハッシュタグ)が世の中を変える(こちらから)」「外国語を学ぶ本当の意味(こちらから)」「日本のハンコ問題はハンコの話ではない(こちらから)」「なぜ、あなたは『お金』から自由になれないのか(こちらから)」)

(ピーター2.0)ピーター・スコット・モーガン(人類初の完全サイボーグ科学者イノベイター作家SDGs)、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、セレクト動画-1、、セレクト動画-2  (<著書「NEO HUMAN ネオ・ヒューマン: 究極の自由を得る未来」から>インペリアル・カレッジにて博士号取得(ロボット工学)。世界的コンサルティングファームであるアーサー・D・リトルにて企業変革マネジメントに従事。独立後も含め、25年以上にわたって世界中の数多くの企業や政府機関のシステム上の脅威を分析し、その対応策をリーダーに助言してきた。2007年、40代の若さで商業的な仕事から完全に引退。以後、イギリスを拠点に世界中を旅する生活を送る。2017年、運動ニューロン疾患(ALS)と診断される。余命2年の宣告を受けるも、病を「画期的な研究を進めるための機会」とみなし、自らを実験台として「肉体のサイボーグ化」「AIとの融合」をスタート。同時に財団を設立、インテルやDXCなど世界的企業のサポートを得て、継続的な研究体制を確立。自らが生き残ることにとどまらず、「人間である」ことの定義を書き換え、あらゆる人がもっと自由に生きられる可能性を追求している。余命宣告から4年を経た2021年現在も、研究のほか著書出版、テレビなどのメディア出演を精力的にこなしている。  ………<MIYA-JUN解説>、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、ピーター・スコット・モーガン(1958年 – 2022年)。自分の身体を実験場にして、人類初の完全サイボーグ(ピーター2.0)と成り、世界中の難病患者や障害者に、希望の光をプレゼント。チャリティの研究機関「スコット-モーガン基金」を設立し、地球人類の輝く未来へ大きく貢献古い常識やルールを壊し、全く新しい価値観を提示すべく、チャレンジし続けた生涯サイボーグ化前のピーター1.0として、1994年、企業における暗黙のルールを打破する世界的ベストセラー「会社の不文律」を発表。2005年、イギリス初のゲイカップルで結婚。2017年、難病ALS(筋萎縮性側索硬化症,スティーヴン・ホーキングと同じ病)と診断され、余命2年の宣告を受け、AIと融合したサイボーグとして生きることを決意。2018年、スコット-モーガン基金を設立。2019年、移行手術が完了。サイボーグ化後のピーター2.0として、2020年、イギリスのテレビ局チャンネル4でドキュメンタリー番組『Peter:The HumanCyborg』に出演。2021年、自伝「ネオ・ヒューマン: 究極の自由を得る未来」を発表。日本のテレビ番組「クローズアップ現代+(NHK)」に出演。2022年、64歳で死去。肉体死亡後のピーター3.0-AIとして、永遠の命を獲得。  ………<ピーター2.0とは(「ニューズウィーク日本版オフィシャルサイト」から)>小型の人工呼吸器をつけ、栄養チューブを胃に直接挿入し、カテーテルを膀胱に挿し、人工肛門を結腸につなげた。唾液が肺に入るのを防ぐために咽頭を除去し、音声合成でコミュニケーションするようになっている。また、顔の筋肉を失う前に、非常にリアルなアバターを開発している。これは、人工知能のボディーランゲージを使用して反応する。コンピュータを操作する視線追跡技術がコンタクトレンズに反応しないため、レーザー手術も受けた。これによりコンピュータと連動したベッドや補助器を自分自身で動かすことができる。  ………<スコット-モーガン基金とは>公式ミッションは、「障害のある人の未来を完全に書き換える」。「人工知能、仮想現実、拡張現実、ロボット工学、その他の高度なテクノロジーを倫理的に活用し、年齢、健康状態、身体ないしは精神的な障害等によって制限されている人々の能力と福祉を向上させるための研究を促進、遂行、公表すること。また、それによって公益、科学、医療、教育の発展に貢献すること」。研究内容は、会話型AIやリアルタイムで動く写真のようにリアルなアバター、洗練された車いすに搭載できる自動運転装置、脆弱な人が安全に暮らせるスマートホーム、など。  ………<著書>、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、「NEO HUMAN ネオ・ヒューマン 究極の自由を得る未来」「変革の陥穽(オトシアナ)」「会社の不文律 : ホンネがわからなければ、何も変えられない」「THE ROBOTICS REVOLUTION(ロボティクス革命)」  ………<発言>、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、「冒険に出るんだね!冒険は大好きだ!統計的には、私はあと2年で死ぬことになる。つまり、未来を書き換え、世界に革命をもたらすのに、あと2年の猶予があるということだ。行く手には戦いに次ぐ戦いが待ち受けていることだろう。生死を分かつような戦いに違いない。結果は2つにーつ。私たちが勝って世界のあらゆるルールを変えるか、あるいは無残に打ち負かされるか。休戦はありえない。しかし、敗北もありえない。」「人間は、いくら希望が砕かれても、ルールを破って運命に抗い、自らの新しい道を切り開くことができる。社会の不文律を壊すことで、我々は進歩し、文明を前進させてきた。私は、新しいバージョンの自分『Peter2.0』に生まれ変わりつつある。そうすることで、人間であることの意味のルールを変えようとしている。私は障害者だけど障害があるとは思っていない(障害者と呼ばれることは誇りに思っている)し、ハイテク機械と融合しても『ちゃんとした人間』でなくなったわけでもない。少し変わった存在になっただけだ。…私は、ALSという病気のルールを破ろうとしている。それはつまりアップグレードであり、命を救うことでもある。どんな逆境でも人間は輝ける。それは選択の問題だ。」「(ブログ)人間として死に、サイボーグとして生きる。僕にとっては簡単なことだ。」「(twitter)ピーター1.0としては最後の投稿になります。完全なサイボーグとなるための医学的な準備が終わり、明日、私は自分の声と引き換えに数十年を生きる可能性を手に入れます。今月は、私が統計的には死んでいるだろうと宣告された月です。ですが、私は死んでいない。変身しようとしているんだ! ああ、科学とはなんと素晴らしい!」「(twitter)ピーター2.0がオンライン中!24日の集中治療から帰宅。手術はすべて大成功。呼吸を維持してくれる小型人工呼吸器は、ダース・ベイダーよりもずっと静か。声は合成音声ですが、ようやくまた自分らしく声を出せます。この先、長い研究の旅が続いていますが、気分は上々です。」「(twitter)これから先、運動ニューロン疾患患者、重度の障害者、高齢者、あるいは肉体という拘束衣から自由になりたいという情熱を持つ人たちは、ますます私と一緒に立ち上がることを選ぶようになるでしょう。」「(twitter)私たちはみな背筋を伸ばして立ち上がる。誇り高く立ち上がる……なぜなら私たちはただ”生きているだけ”であることを拒むからです。」「これは僕にとって実地で研究を行う、またとない機会でもあるのです。」「この宇宙のどんな問題も解決できると確信しています。賢明で勇気があり、最高にクールなテクノロジーがあれば。私の人生をかけた実験です。」「私は、自分の肉体に閉じ込められてしまう現実を変えたかったのです。ALSだけでなく、事故や病気や生まれつきの障害、老化や認知症もそうです。究極的には、誰もがそういう不自由さから解放されるべきです。幸運にも私はその第1号となりました。”ネオ・ヒューマン”として、未来に飛躍する最初の実験です。もちろん怖いですよ。しかし、絶望のさなかでも常識を打ち破り、宿命にあらがい、自ら運命を切り開くことで生きた証しを未来に残せるかもしれません。そのとき、私たちはすべてを変えられるのです。」「最もバカげた批判は、私の挑戦が正しいとは思えないというものでした。しかし、常識は変わります。女性の役割や老い、障害や同性愛についても常識は進化してきました。常識を打ち破る存在、それが人間です。そしてどの常識を守るのか、その合意こそが文明社会を作るのです。」「今も昔も、僕のスローガンは変わらない――ルールなんてぶっ壊せ!」「ピーター2.0になって、私の哲学が正しいと確信しました。決して諦めない。人生は希望を与えてくれる。希望があれば夢を見ることができる。そして正しい夢は、世界を変えることができるのです。重要なのは、たとえ宇宙からひどい嵐が吹き荒れて、あなたの計画が壊され夢がかき消えそうになったとしても、嵐の中に希望の光を照らすことができます。そしてあなたは虹を作ることができるのです。」「この本は、先端技術のドキュメンタリーであり、論理を超えたラブストーリーであり、逆境を乗り越えるための啓発書でもある。最先端のAIやロボット工学で、脆弱な人を安全に、力のない人を有力に、すべての人が繁栄できる可能性があることを伝えたい。この本が『障害があること』の意味を永遠に変え、人類がAIと共存できる未来、自らの未来を変えられるという希望を与えたい。」「近い将来、ALSのような難病を抱えた大勢の人々が、私と同じような考えを持つようになったら、そのときこそ世界は変わるはずです。現状ではあまりにも多くの人々が、惨めさや怒り、不公平感を抱えながら、病と共に生きています。あるいは、毎日を狭いところに閉じ込められる拷問のようだと感じています。しかし、重度の障害があることが、人生をアップグレードし、変身し、生まれ変わるためのチャンスだという見方が広まったらどうでしょう? そのときこそ人類は、不死鳥(フェニックス)のごとき、不屈の存在になれるはずです。」「ほとんどの人は、人生から逃げる手段としてVRを使おうとする。僕は僕らの人生を取り戻すためにVRを使いたいんだ。」「死から逃れることが出来たって、生きる目的がなければ何の意味もないだろう?」「最大のハードルはテクノロジー上の問題ではなく人の心の問題。」「事故や病気で体が麻痺してしまったすべての人々に対して、生き方を改革するための解決策を提示できるのは言うまでもない。深刻な障害や孤独は、単純な老化によって引き起こされることも多いものだ。この問題についても幅広いメリットが期待できる。それ以外にも、ほとんど誰も気づいていない、隠れた副産物がある。人間とAIをシームレスに接続する方法を模索できるということだ。…その中では私のような人間高解像度のアバターとして活動するサイボーグが、再び自由になり、恐れ知らずになり、若さを取り戻し、不死身になることさえできる。あと10年か15年もすれば、脳に直接つないだコンピュータの処理能力が、ついに視線追跡システムを上回るだろう。そのときようやく、ヒトはAIと協働し、融合することを選択できるようになる。」「もしあと20年私が生きたなら、AIは私の活動の大部分を担っているでしょう。認知症の私を助けてくれているかもしれない。私の肉体が死を迎えても、驚くほど小さな違いしかないと思います。残されたAIのピーターは、本物の人間と同じです。慈しむ心や、常識を打ち破ること、そして愛。これらがあれば、生物かAIかなんて、ささいな問題です。」「AIはコピーではなく、真のピーター2.0と言えるはずです。その真の私であるAIは、肉体の死を乗り越えるのです。」「私のロボット工学の本はこんな言葉で終わっています。『人類はいつの日か脆弱な肉体を、 半永久的に機能する機械に置き換え、知性をスーパーコンピューターで強化するだろう』1984年に書きました。以来私はAIをライバルではなく パートナーにすべきと主張してきました。AIをすばらしい腕前のジャズ・ピアニストだとしましょう。しかし、セッションを組む相手がいない。AIもすてきなソロの演奏で観衆を沸かすことができます。しかしそれでは、まだ力を発揮できてはいない。一方で、ピアニストが才能のある歌手とセッションを組んだら、 魔法のような神がかった演奏が聴けることになるでしょう。人類にとって最も魅力的なのは、人類と協働する人間ありきのAIです。AIと人類が共に曲を奏でるように調和するということです。ライバルではなくパートナーとして。ジャズの演奏のような相乗効果が生まれるでしょう。」「私がいま力を注いでいるのは、世界中のあらゆる場所、あらゆる産業に散らばるAIが、人間中心の態度を獲得するように働きかけることです。そのカギとなるのは、AIが持つべき責任、個性、倫理、そして権利に関する議論です。私がこのような活動を行っているのは、その先に大きなメリットがあると考えているからだけではありません。そうしなければ、未熟なAIの「無秩序な台頭」に対して、社会から深刻な反発が起こると危惧しているからです。私にとって、ヒューマンセントリックなAIを育てること(AI倫理やサイボーグの権利といった重大な問題を解決することも含めて)は、人類が進むべき最も魅力的なコースというだけではありません。それは、人類が行き止まりに突き当たらずに済む、唯一のコースかもしれないのです。」「フランシスと私は、崖(クリフ)の上の土地を手に入れ、もともとあった建物を壊して、ある施設を建てることにしました。名付けて『ハイクリフ(ハイテク・クリフハウス)』です。ハイクリフは、未来の住まいのひとつの形であると同時に、画期的な応用AIの研究所でもあります。この実験的な『拡張住居』では、建物と敷地内のあちこちに高度なセンサーや装置が配備されていて、これらがAIの目や耳や手足になります。このうえなく機転のきくサイボーグの執事のように、ハイクリフは孫の代まで私たち家族の面倒を見てくれるでしょう。私たちはあらゆる人々(健常者も障害者も、認知症の人も含めて)のために、ヒューマンセントリック(人間中心)なAIと連携した、まったく新しいライフスタイルを開拓しようとしています。急速に変わりゆく未来の中で万人が繁栄するために、デジタルイノベーションの力を借りて、人間の生き方を再構築し、強化しようとしているのです。」「私は人間という存在に革命を起こしたいのです。いま人類は進化できずにいます。一方、AIとロボットは加速度的に進化している。私は人類が進化の波に乗り遅れてほしくないのです。老いや障害によって力を失う恐怖から逃れられる時代の夜明けにいます。私は人類の未来が楽しみでしかたありません。人類は成熟を遂げ恐れを克服し、かつてないほどの自由を感じるようになるでしょう。」「私たちは進化した未来の文明の序章を生きています。どんな貧しい地域でも、AIと共に生きるようになる。中には私のようにAIと融合し、人類の定義を広げる人もいるでしょう。肉体に閉じ込められた時間は減っていくでしょう。代わりに最新のAIが作り上げた高度なサイバー空間で、無限の可能性を追求する。AIによって作られた世界では、人類の没入型のバーチャル・リアリティーの機械を使います。そして人間とAIが融合するネオ・ヒューマンは、理想の自分を実現するのです。これは遠い未来ではなくて、たった数十年後の話なのです!」「AIと人類の未来について悲観的な人もいる。しかし私は未来にワクワクする。恐れを捨て、いままでにない自由を感じてほしい。宇宙の未来を書き換える、可能性に満ちたSFのような世界が日常になる日が来る。我々全員がこんな魔法の世界の一員になるのだ。」

ビートルズ(音楽スピリチュアル)、、HP-1、、HP-2、、FB、、twitter、、Instagram、、youtubeチャンネル、、ファン・サイト、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11 、、セレクト曲、、セレクト動画 (各種の有力なランキングで不動の1位を占める20世紀最高の音楽アーティスト。デビューから解散までわずか8年の間に、歴史に残る名作を次々と発表した4人組ロック・バンド。絶大な知名度と影響力で、世界のスピリチュアル・シーンを大きく変革。………<メンバー>、、人間精神の解放と社会変革に熱く燃えるジョン・レノン(ギター)」、真摯に音楽創造を追求するポール・マッカートニー(ベース)」、果てしなくスピチュアルを掘り下げるジョージ・ハリスン(ギター)」、慈善事業など奉仕の精神に溢れるリンゴ・スター(ドラム)」。主にジョンとポールが中心となり、全員でボーカル・作詞・作曲を担当。………<音楽性>、、史上初のスタジアム公演、ミュージックビデオの導入、飽く無き探究心と実験精神、最新技術・最新機材の導入、音楽を全く新しい次元へと変革。プログレ・シンフォニックロック・ヘヴィーメタル・フォークロック・アシッドフォーク・パンクなど、後に続く音楽スタイルの原型を創造。インド音楽・クラシック音楽・シャンソン・トラッド・前衛・ノイズ・サイケデリック・コンセプトアルバム・アートワークなど、様々な要素を融合し、ポップ&ロック・ミュージックを芸術の域まで高める事に成功。………<文化的影響力>、、そのメッセージと影響力は音楽のみならず、ファッション・ライフスタイル・政治・哲学・思想などにまで及び、世界規模で社会現象化。自ら、LSDトリップ(当時は合法)や、インド・リシケシでの瞑想修行を実践。ヒッピームーブメントカウンターカルチャーを支援するなど、インテリジェンスなオピニオンリーダーとして新しい世界意識を牽引。………<スピリチュアルへの傾倒>アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」ジャケット写真では、マリリンモンロー・フロイト・ユング・ボブディラン・アインシュタインなど大勢の偉人達に紛れて、4人の聖者「パラマハンサ・ヨガナンダ」「スリ・ユクテスワ・ギリ」「ラヒリ・マハサヤ」「マハアバター・ババジ」が登場。………<発表アルバム>「プリーズ・プリーズ・ミー」「ウィズ・ザ・ビートルズ」「ハード・デイズ・ナイト」「ビートルズ・フォー・セール」「ヘルプ!」「ラバー・ソウル」「リボルバー」「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」「ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)」「イエロー・サブマリン」「アビイ・ロード」「レット・イット・ビー」。………<代表曲>「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」「All You Need Is Love」「アクロス・ザ・ユニバース」「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」「Tomorrow Never Knows」「マザー・ネイチャーズ・サン」「The Fool On The Hill」「ブラックバード」「ザ・ロング・アンド・ワィンディング・ロード」「ヒア・カムズ・ザ・サン」「Within You Without You」「ジ・インナー・ライト」「オクトパス・ガーデン」「Real Love」「Free as a Bird」など。………(東洋経済オンラインから)スティーブ・ジョブズのエピソード>「ジョブズが設立した会社は「アップル」(名づけ親はジョブズ)だが、その社名がビートルズがつくった会社「アップル・コア」に由来するのは間違いのないところだ。私生活においてもビートルズの影響は大きかった。ビートルズの好んだインドを旅し、導師を訪ね、禅に興味を持ち、瞑想し、マリファナを吸った。」「ジョブズは、とりわけジョン・レノンが好きで(「ヒーロー」とまで崇めている)、ジョンが熱心だったプライマル療法(幼児体験に直面させ、自己鍛練によって殻を打ち破るという精神療法)にも通っている。ジョブズが禅や精神療法に心の平安を求めたのは、彼が養子で、本当の親を知らないという事情があったようだが、親と一緒に暮らせなかったジョンと自分自身を重ねていたのに違いなかろう。」<スティーブ・ジョブズ発言>「クレイジーな人たちに祝杯をあげよう。はみだし者、反逆者、やっかい者、変わり者、ものごとが世間の人たちとは違って見える人。彼らはルールを好まない。現状も肯定しない。人は彼らを引き合いにだし、同意しなかったり、賞賛したり、けなしたりする。でも、彼らを無視することは誰にもできない。なぜなら、彼らはものごとを変えてしまうからだ。彼らは人類を前進させる。彼らをクレイジーと呼ぶ人がいるが、わたしたちはそこに天才の姿を見る。世界を変えられると信じるクレイジーな人たちこそが、じっさい世界を変えているのだから。」

スティーブ・ジョブズ、、私からの紹介文-1、、私からの紹介文-2、、youtube-1、、youtube-2 (<孫正義の言葉>「スティーブ・ジョブズは、芸術とテクノロジーを両立させた正に現代の天才だった。数百年後の人々は、彼とレオナルド・ダ・ヴィンチを並び称する事であろう。彼の偉業は、永遠に輝き続ける。」………誰にでも簡単に操作できるパーソナル・コンピュータ(PC)とスマートフォンを開発したスティーブ・ジョブズ。その本質とは、技術を革新(エンジニアリング)する事ではなく、新しい価値を創造(イノベート)するアーティスト。一般の人間が「こんなモノがあったらいいナ」と考える想像力の上の上、遥か雲の上を行く想像力を羽ばたかせる大天才。………<スティーブ・ジョブズの言葉>「いつも人というのは何が欲しいか、それを見せられるまでわからないもんなんだ。」「卓上計算機しか使ったことがない人にマッキントッシュがどういうものか尋ねても、答えられなかったでしょう。それについて消費者調査をするのは無理です。とにかくつくってみんなに見せ、どう思う?と聞くしかありません。」「アップルがやらないと、どこもやらない。だから僕はここにいるんだ。」………ヒッピー出身のスティーブ・ジョブズ。ヒッピー・ムーブメントの目標は世界意識革命。彼は壮大な夢を見る。知性を拡大する事により、個人が権力に対抗する手段としての「パーソナル・コンピュータ(PC)」。地球上すべての個人が、1つに繋がる世界を実現する「インターネット」。スティーブ・ジョブズの志は、「誰にでも簡単に使えるコンピュータ」を作り、「世界を変える」事。黎明期当時、コマンドを入力して動作させると言った、専門的知識がなければ使えなかったコンピューターに、彼は次々とパラダイムシフトを導入。マウス・タッチパネル・人工知能型音声アシスタントSiriなど、画期的な感覚的操作性を追求。また、「所有する時代からアクセスする時代へ」と、音楽産業と鑑賞の在り方を変革。………<スティーブ・ジョブズの言葉>「『優れた芸術家はまねをし、偉大な芸術家は盗む』とピカソは言った。だからすごいと思ってきたさまざまなアイデアをいつも盗んできた。」「創造とは結びつけること。」「大事なのは技術ではなく、それを使って何を生み出すことが出来るかだ。」「インターネットやパソコンは、知識や情報を伝えることに偏っている。私はパソコンを人間性溢れる存在にし、人々が自分の感情を、より豊かに表現する手伝いをしたい。」「インターネットは驚異的だが感動を呼び起こすことはない。感動的なことをコンピューターで実現したいのだ。」「絶対に真似のできない、真似をしようとすら思わないレベルの革新を続ける。」………ヒッピー時代に禅から強い影響を受けたスティーブ・ジョブズは、徹底的に無駄を削ぎ落とした末の本質=「シンプルの美学」の実践者。そこを背景に、圧倒的なプレゼンテーション能力の才能を発揮。見た目と機能の芸術的にシンプルなデザインは、他の追従を許さない独壇場。「つけ足すものが何もなくなったときではなく、取り去るものが何もなくなったとき、初めて『完成』を実感する。」これがジョブズの美学。………<スティーブ・ジョブズの言葉>「シンプルであることは、複雑であることよりもむずかしいときがある。物事をシンプルにするためには、懸命に努力して思考を明瞭にしなければならないからだ。だが、それだけの価値はある。なぜなら、ひとたびそこに到達できれば、山をも動かせるからだ。」………<スティーブ・ジョブズprofile>スティーブ・ジョブズ(Steven Paul Jobs、1955年2月24日 – 2011年10月5日)は、アメリカ合衆国の実業家、作家、教育者。 アップル社の共同設立者の一人。アメリカ国家技術賞を受賞している。

猪子寿之twitter、、ミュージアム-1、、ミュージアム-2、、ミュージアム-3、、チームラボ-1、、チームラボ-2、、本の紹介、、youtube、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6 (アーティスト集団チームラボ代表。故スティーブ・ジョブズが切り開いた新しい地平(哲学的な意味における人間の在り方)、その精神を引き継ぎ、そこから先の世界を創造する可能性に充ちた人物・猪子寿之。数百年後の美術史にチームラボとして、パブロ・ピカソと並び称される事は確実。東京・お台場に2018年、新感覚の体験型ミュージアム「チームラボボーダレス」を開館。キーワードは「アートとは世界の見え方を変えること」と「ボーダーレス」。猪子寿之が切り開く未来は、どこまでも自由・ボーダーレス、3次元の枠組みを超えた無限の世界。………<「アートとは世界の見え方を変えること」について>「人間は、合理性よりも美意識で行動する。」「アートはサイエンスと共に、視覚を進化させ、同時に美の概念・価値基準を変える。」「世界の見え方が変われば、産業構造・経済活動・社会構造も変わり、世界の全てが変わる。」「物質として実在するかしないかはものの価値に関係ない。」「人類の価値観を広げたい。」「世界をほんのちょっとでも前に進める係をしたい。」………<「ボーダーレス」について>「人は自らの身体で自由に動き、他者と関係性を持ち、身体で世界を認識する。そして身体は時間を持ち、頭の中での考えは、他の考えと境界が曖昧で影響を受け合い、時には混ざり合う。アートも、部屋から出て、自ら動き出し、人々と関係性を持ち、身体と同じ時間の流れを持つ。作品は、他の作品とコミュニケーションし、影響を受け合い、他の作品との境界がなく、時には混ざり合う。そのような作品群による、境界のなく連続する1つの世界「チームラボボーダレス」。人々は、世界をさまよい、意思のある身体で探索し、他者と共に新しい世界を創り、発見していく。」「境界とは物質が後天的に生んだものにすぎないのであれば、それを曖昧にすることによって、ふだんとは違った体験をしてもらえるかもしれない。そして、それが、『多くのことが物質から解放されていく新しい時代』において、すべての事柄を根本から考え直すきっかけになればいいなと思っています。」………<コロナ後に向けて>2021年1月から、Webアート作品「フラワーズ ボミング ホーム」を24時間ライブ配信中。「新型コロナによって世界中が分断していく中、例え、家に閉じこもっていなければならないときであっても、自分の存在が世界とつながっている実感のために、そして、世界がつながっていることを祝福するためにこのプロジェクトをはじめた。あなたの家のテレビがアートになる。家で鑑賞し、家で参加し、そして世界と繋がっていく。あなたが描いた花と世界中の人々が描いた花々が一つの作品となって、世界中のテレビの中に咲き渡っていく。紙に花を描いて写真を撮ったり、スマートフォンやPCで花を描いて、アップロードすると、世界中の人々が描いた花々と一緒に、家のテレビの中に花々が生まれ咲き渡っていく。花々が散っていくとき、様々な花々は、共に新たに1つの絵を描いていく。新型コロナが終焉するまでに世界中の人々が家で描いた花々は、新型コロナが終焉した時、世界中のいくつかの場所に、一斉に咲き渡るだろう。そして、未来永劫、その花々は人々がこの時代を忘れないものとするための作品となって永遠に咲き続ける。」「分断を生む「境界」をアートの力で解消したい。」「チームラボはこれからも、人間の存在、人間が生きることを根源的に肯定する作品を生み出していきます。」………<プロフィール>ウルトラテクノロジスト集団チームラボ代表。1977年生まれ、徳島市出身。2001年東京大学工学部計数工学科卒業と同時にチームラボ創業。大学では確率・統計モデルを、大学院では自然言語処理とアートを研究。チームラボは、プログラマ・エンジニア(プログラマ、UIエンジニア、DBエンジニア、ネットワークエンジニア、ロボットエンジニア、コンピュータビジョンエンジニア、ソフトウェアアーキテクト)、数学者、建築家、CGアニメーター、Webデザイナー、グラフィックデザイナー、絵師、編集者など、情報社会のさまざまなものづくりのスペシャリストから構成されているウルトラテクノロジスト集団。第6回Webクリエーション・アウォードにてWeb人賞を受賞。サイエンス・テクノロジー・アート・デザインの境界線を曖昧にしながら、WEBからインスタレーション、ビデオアート、ロボットなど、メディアを超えて活動。2012年、欧州最大のバーチャルリアリティ博覧会「Laval Virtual 2012」にて、書家・紫舟とチームラボのコラボレーション作品「世界はこんなにもやさしく、うつくしい」が、「建築・芸術・文化賞」賞を受賞。同年、台湾で最も権威のある国立美術館にて、外国の企業では初となる個展を開くなどの実績を残す。チームラボが海外にも活躍の場を広げると共に、2012年9月29日には、自らも台湾・台北市で行われた「TEDxTaipei」にて講演を行った。2017年、「人と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング-Infinity」ほかの成果が認められ、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。)(チームラボボーダレスについて、詳しくは「ミュージアム/チームラボボーダレス」の項を参照、こちらから。)

落合陽一、、note、、FB、、twitter、、Instagram、、youtubeチャンネル、、オンラインサロン、、関連記事(拙著)、、著書の紹介、、youtube-1、、youtube-2 (「現代の魔法使い」と呼ばれるメディアアーティスト。また、異質なモノ同士の掛け合わせから新たな価値を生み出す編集思考で、様々な分野に鋭い問題提起を投げかける稀代の論客。「デジタルネイチャー」の可能性を切り開く、天才イノベイター。………<デジタルネイチャーとは>環境と技術が融合する計算機時代の自然観。提唱者の落合陽一氏は「人・モノ・自然・計算機・データが接続され脱構造化された新しい自然」と定義している。それによって、旧来の工業化社会とは違った世界の在り方、価値観、環境が実現するという。………<Vision>「アートとテクノロジーの向かう先を日々考えている。僕はメディアアーティストとして作品を作りながら、光や音、生物と機械、知能と物質、時間や空間への試行を続けてきた。ときに研究者として研究に従事し、経営者として技術開発の社会実装に取り組み、技術と文化による社会の進展のためにアートによる公益性があるプロジェクトにも着手している。僕は光と音のような波が好きだ。またそういった装置が自然化し、風景の一部になりながら寂びていく様子、時間と空間を映像や写真で切り取る行為、構造物や彫刻としてのメディア装置、花を生けるように切り取られた工業社会のインスタレーションの様に愛着を感じてしまう。そうやって都市の中からプリコラージュされた風景を作品として切り出す。それはときに工業製品のレディメイドであったり習慣的行為であったりする。その一連の行為を作品にしながら日々を刻んでいる。」………<Works>個展「落合陽一、山紫水明∽事事無碍∽計算機自然(EYE OF GYRE)」「燐光する霊性 ー布と風,残響する軀と機械ー (ザ ショップ ヨウジヤマモト)」「未知への追憶 ー イメージと物質 || 計算機と自然 || 質量への憧憬 (渋谷モディ)」「情念との反芻 – ひかりのこだま、イメージの霊感 -(銀座ライカストア)」、総合監修/アートディレクション「計算機と自然、計算機の自然(日本科学未来館)」、クロスダイバーシティ「車椅子の自動運転化」「耳で聴かない音楽会(エンターテイメントのダイバーシティ対応)」「乙武義足プロジェクト(義足での歩行プロジェクト)」ほか。………<Profile>メディアアーティスト、博士(東京大学学際情報学)、大学教員、実業家、作家、男性タレント。1987年東京生まれ、六本木育ち。父は国際ジャーナリスト・作家の落合信彦、母は音楽プロデューサー、叔父は空手家の落合秀彦。筑波大学学長補佐・助教。デジタルネイチャー研究室主宰。ピクシーダストテクノロジーズ株式会社CEO。2018年より内閣府知的財産戦略ビジョン専門調査会委員、内閣府「ムーンショット型研究開発制度」ビジョナリー会議委員、大阪・関西万博テーマ事業プロデューサーなどを歴任。情報処理推進機構よりスーパークリエータ/天才プログラマーに認定。 World Technology Award 2015年、世界的なメディアアート賞であるアルスエレクトロニカ賞受賞など、国内外で受賞歴多数。著作「魔法の世紀(PLANETS)」「これからの世界をつくる仲間たちへ(小学館)」「日本再興戦略(幻冬舎)」「デジタルネイチャー: 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂(PLANETS)」「10年後の仕事図鑑・共著:堀江貴文(SBクリエイティブ)」「2030年の世界地図帳 あたらしい経済とSDGs、未来への展望(SBクリエイティブ)」ほか。)

堀江貴文、、FB、、twitter、、Instagram、、youtubeチャンネル、、 Voicy、、本人のメッセージ-1、、本人のメッセージ-2、、本人のメッセージ-3、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、私からの紹介文-1、、私からの紹介文-2、、私からの紹介文-3、、セレクト動画、、著書の紹介 (世間の常識をブチ破り続ける、破壊と創造のイノベーター。日本社会を前進させるべく膨大に発信させる言葉は、激しく物議を醸す破壊力抜群の超刺激的ダイナマイト。………<発言>「働かなくてもいい時代」「遊びが仕事になる」「ベーシックインカムが最適解」「好きな事を見つけられたら最高の幸福」「修行は無駄」「会社なんていらない」「信用があればお金は不要」「買うべきものは時間」「モチベーションがすべて」など。………<ベーシックインカムについて>いち早く2017年から、主催する堀江貴文イノベーション大学校内で、5名のメンバーを対象にベーシックインカム支給実験を開始し、毎月レポートを掲載。「『こうなったらいいな』ではなくて、ここから社会が荒れずに健全な社会であり続けるためには(ベーシックインカムを)やるのが最適解だ。みなさんが今思っている仕事の定義がなくなっていくだけで、みんなの頭の中は、仕事をしないとか、自分の好きなことだけでは食っていけないと思っている。そんなことは全然ない。」「社会全体で本当は導入すべきものだと思うけれど、一向に議論が進まないので、見せてやれ、みたいな。」………<「ゼロ高校」について>「学校なんか要らない」「役に立たないから」が、かねてからの持論。2018年に「ゼロ高等学院」を主宰。現場で働きながら、第一線で活躍しているプロから学ぶ、「座学を目的とせず、行動を目的とする」新しい学習形態。構想から開校まで、約半年の超スピード。「大学なんて無理に行く必要はないし、夢を叶えたいならさっさとゼロ高行こう。って僕なら思うし、もし今僕が中学生ならそうする。」)………<「堀江貴文イノベーション大学校(HIU)」について>月額10800円と高額にもかかわらず、1000人以上が入会する驚異のオンラインサロン。本物の大学よりも安く、大学よりも価値のある学び。ネット空間とリアル空間の両方で、メンバーが自らコミュニケーションを取り合い、自主的にやりたいビジネス・遊び・イベント・合宿などを企画・実践するアウトプットの場。好きだから・楽しいから・お金を払ってでもやる「新しい仕事の在り方」。グループは、教育事業・事業投資・エンタメ・デザイン・写真・観光・宇宙開発など様々。「モチベーションが重要。」「人の背中を押すのが本当にうまいんです。」との事。………<名言集>「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」「ひとつの熟考より3つの即決。」「アイデアよりも圧倒的に大事なのは実行力。」「成功するまで挑戦するから、成功者になるのです。」「やりたいことがあるなら、迷うな!やってみればいいじゃん。」「『できっこない」という心のフタさえ外してしまえば、『やりたいこと』なんて湯水のようにあふれ出てくる」「損得なんか考えずに、好きなことにバカ丸出しで頭から突っ込もう。その熱が本物なら、金と人は付いてくる。」「あなたの価値を最大化するのは、『どれだけ我慢したか』ではなく、『どれだけ自ら決断したか』なのである。」「知らないことは恥ではない。知っているふりや『まぁいいや』と知ろうとしないことが恥なのだ。」「考えようよ。考えれば道は開ける。」「既存のルールをひっくり返しているのではない、現実はこうなんですよ、こっちのほうが得なんですと見せているだけ。手品ではなくて、種明かし。本当のこと言っているだけ。」………<プロフィール>堀江 貴文(ほりえ たかふみ、1972年10月29日 – )、日本の実業家、著作家、投資家、タレント、YouTuber。sns media&consulting株式会社ファウンダー、インターステラテクノロジズ株式会社ファウンダー、株式会社7gogo取締役。元ライブドア代表取締役社長CEO。東京大学在学中の1996年、23歳のときに、インターネット関連会社の有限会社オン・ザ・エッジ(後のライブドア)を起業。2000年東証マザーズ上場。時代の寵児となる。2006年証券取引法違反で東京地検特捜部に逮捕され、実刑判決を下され服役。現在は、自身が手掛けるロケットエンジン開発を中心に、スマホアプリ「TERIYAKI」「焼肉部」「755」のプロデュースなど幅広く活躍。有料メールマガジン「堀江貴文のブログでは言えない話」は1万数千人の読者。日本の民間ロケットとしては初めて宇宙空間に到達。………<著作リスト>「本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方」「すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論」「好きなことだけで生きていく」「多動力」「あり金は全部使え 貯めるバカほど貧しくなる」「時間革命 1秒もムダに生きるな」「バカとつき合うな」「遊ぶが勝ち! 他人の時間を生きるな、熱狂して“いま”を生きろ」「スマホ人生戦略 お金・教養・フォロワー35の行動スキル」「東京改造計画」「もう国家はいらない」「将来の夢なんか、いま叶えろ。 -堀江式・実践型教育革命-」ほか。)

ニコラ・テスラ、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、youtube、、書籍の紹介 (遥かな未来のテクノロジーを発明していながら、歴史から葬り去られ続けた悲劇の大天才。「彼がいなければ、世界は100年遅れていた」とし、オバマ元大統領、スティーブ・ジョブズ、イーロン・マスクらが絶賛。スピリチュアル系の文脈では、「隠蔽されている」「暗殺せれた」「金星人だった」「異星人と交信」「霊界と交信」「知られざる発明の幾つかが盗まれ、秘密裏に独占・悪用されている」など、様々な噂が飛び交う謎の人物。金儲けに疎い、純粋な研究者だったニコラ・テスラ。その人間性を表わした1例がこちら。…『エジソン・ウェスティングハウス・モルガンら強欲なビジネスマン達が目指した、巨万の利益を独占する電力システム。それに対し、ニコラ・テスラが構想したのは、無料のシステムで世界中に恩恵をもたらす事。無料で無限に電力を生み出す「フリーエネルギー装置」と、地球全体に電力を届ける「無線送電」から成る「世界システム」。残念ながら頓挫してしまったが、彼が設計したシステムが実現していたなら、エネルギー資源の奪い合い・エネルギーによる支配・石油依存社会・原発問題などは存在せず、達成できたと思われるのは戦争も貧困もない世界。』…私欲なく人類の平和・愛・繁栄を夢見た理想主義者。………<プロフィール>ニコラ・テスラ(Nikola Tesla, 1856年7月10日 – 1943年1月7日)は、クロアチア生まれのセルビア人、電気技師、発明家。グラーツ工科大学とプラハ大学で学び、ブダペストの電信電話会社に入社し技師として勤務。1884年、渡米してエジソンが経営する「エジソン電灯会社」に勤務。ほどなくエジソンの主張する「直流送電」に異を唱え、「交流送電」を主張したことからエジソンと対立し退社。独立して、交流電動機・変圧器(テスラコイル)・発電機などを開発・製作。1893年、シカゴ万博会場内すべての電気供給とデモンストレーションで大成功。1895年、送電効率を飛躍させた発電所をナイアガラの滝に設置。エジソンとの「電流戦争」に圧勝した、電気や電磁波を用いるテクノロジーの歴史を語る上で重要な人物。磁束密度の単位「テスラ」にもその名を残し、LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選出。長身で美貌、8つの言語に堪能、詩作・音楽・哲学にも精通、食通・名講演者・ショーマンとしても名を馳せた時代の寵児。だが、その人となりは変人そのもので、「宇宙人と交信している」「地球を割ってみせる」などの奇怪な発言。また、幼少期から精神障害・幻覚・強迫観念・異常な潔癖症で知られ、生涯独身。晩年は落ちぶれ、孤独と貧困のなかホテルで死去。歴史の波に翻弄され、「電気の魔術師」としての知名度をエジソンに奪われ、無線の発明者の名誉をマルコーニにとられ、事業家としての成功をウェスティングハウスに譲り、候補にあがりながらノーベル賞も逃した、不遇の生涯。………<発明品>特許取得、、交流電流・電動モーター・無線通信・ラジオ・無線操縦・ヘリコプター・X線・テスラコイル・テスラタービン・テスラバルブ・蛍光灯・点火プラグ・ロボット・人工地震システム、など。未申請、、世界システム・粒子破壊兵器・霊界交信機・反重力システム、など。………<名言集>「強烈な光を見ると頭がさえて色々なアイデアが浮かんできた。」「時間を超越したみたいに、過去と未来と現在が同時に見える神秘的な体験をした。」「頭のなかに、まるでホログラムのように3Dで設計図やアイデアが浮かんできた。」「私の脳は単なる受信機にすぎない。宇宙には、我々がアクセスできる知識、強さ、インスピレーションの核がある。」「私は、実際の作業を、性急に進める事はない。まずは、想像の中で、組み立て作業を開始する。頭の中で、装置の構造を変え、改良し、操作する。思考の中で試行しようと、工場の中で試験しようと、私には関係ない、タービンの回転の不均衡さえ分かる。」「金に人を表す価値はない。お金に、人のステイタスなど表す価値は、ない。 私のお金はすべて、人々の生活をラクにするための、新しい発明に、費やされる。」「発明家は、情熱的な激しい性格の持ち主だ。女性を愛してしまうと、全身全霊で打ち込み、得られるものは、すべて、与えてしまうだろう。だから、結婚した男に、偉大な発明などできない。」「天才は、孤独を必要とする。独りになりなさい。それが発明の秘訣。独りになると、アイディアが生まれてきます。」「あなたの憎しみを電気に変換してしまいなさい。そうすれば世界全体が明るくなる。」「宇宙の秘密を知りたければ、エネルギー、周波数、波動について考えなさい。」「過去の素晴らしい出来事はすべて、笑われ、非難され、闘い、抑圧された。その苦悩から、より力強く、より誇らしいすべてを出現させるために。」「私のアイデアを盗まれても気にしない。むしろ、彼らが自分自身のアイデアを持ち合わせていないことを気にする。」「将来は、それぞれの仕事によって評価される。未来に真実を語らせよう。それぞれの仕事や業績によって評価されるのは未来、現代は彼らのものだ。未来は将来のために本当によく仕事した。私のものだ。」)

エドガー・ケイシー(スピリチュアル)、、日本エドガーケイシー・センター、、エドガーケイシー学園、、Webショップ・テンプルビューティフル、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、書籍の紹介、、youtube (現代のスピリチュアル系やニューエイジ思想に多大な影響を残した重要な人物。彼がアカシックレコード・リーディングした叡智は、地球人類にとっての不滅な宝物。………<エドガーケイシー学園HPから>「エドガー・ケイシーは、その生涯のうちに、ホリスティックヘルスを中心に14000件にものぼるサイキック・リーディングを与えた謙虚な人間です。彼は、自分自身をリラックスさせ、瞑想状態にすることで、どんな質問であろうと、宇宙の叡智にアクセスし、それに答えることができました。そして、多くの人々が、自分の病気、体調不調の原因とその治療法について質問しました。その質問と回答は、医療リーディングと呼ばれ、ケイシーの死後60年近くたった今でも、現代の私たちの病気治療に役立てられています。ケイシーが治療法を述べた病気のなかには、現代ですらまだ難病、治療不能と言われているALSやパー キンソン氏病を初めとする進行性の病気、乾癬などの皮膚病も含まれ、西洋医学では治療法のないと言われた患者の人々に、大いなる励みと光明を与え続けているのです。驚くことに、ケイシーは自分が語ったことについて思い出すことができず、秘書によってとられたノートを読み直してみることで初めてリーディングの内容を知ることができました。9604件にわたる医療リーディングは、病気を克服し、また予防するための食事、瞑想の練習法、心霊的な治療法、健康的な環境まで広範囲に渡っています。 事実、これらは、今日のホリスティック医学の礎の一部となりました。彼の人生のうちの約43年間は、助けをもとめるあらゆる依頼者の身体を(遠く離れて住んでいようと)隅々まで調べることができ、病気の原因と背骨の調整、 湿布、オイルマッサージ、水治療、薬草による治療薬、祈り、アルカリ食の食餌療法、そして、体内の洗浄のような必要な手当てを指示しました。彼は一貫して 肉体、精神、そして魂の協調がその人全体を癒し、身体のバランスを整えるプロセスには不可欠であることを強調しました。また分類上、1919件残っているライフリーディングは、主に依頼者の過去生や今生に残るカルマについて語られています。ほかにも霊的アドバイス、夢解釈、ビジネスアドバイス、特定のトピックについて取られたリサーチリーディングなど、多岐にわたる情報が、いまも活用されています。エドガー・ケイシーは1945年に亡くなりましたが、彼を通して与えられた情報は今も変わらず意味あるもので有益であることに変わりはありません。世界中の何百もの医者が彼の治療における概念の正確さを調査することに従事しています。また、人々を助けたいと願ったこのおどろくべき男によって始められた「癒しの仕事」は多くの団体が引き続き行っています。」………<名言集>「あなたの想像力をたくましくせよ。そうすれば、あたなが望むだけ人生は豊かで興味の尽きない経験になるだろう。」「励ましたり、愉快にする言葉を誰にもかけなかったという日がないようにせよ。」「不安は、何によって生き、何を理想とすべきかまだしっかり定まっていないことから生じる。不安はつまずきの糧である。そしてこのつまずきが体に病をもたらすのである。」「明日を思い煩うことも、人が何をするのか思い煩うことも不要である。あなたは、自分自身で行なったことに対してのみ責任と誉れがあるのであって、他人のことを気にしたところで何の足しにもならない。」「何もしないより、何か行動して失敗するほうがよい。」「あなたの自分の中に奥深く秘められている、内なる創造の花火を外から覆っているものを引き裂きなさい。」「信頼される人になりたければ人を信頼すること。友達がほしければ友達になること。能力がほしければ持っている能力を使うこと。」「あら探しをやめること。そうすれば、多くの欠点があなたから消える。」「自分のしていないことを人に求めてはならない。生きた実体験としていることだけを、人に求めること。このような生き方をすれば、平和の多い人生を末永く過ごせる。」「成長すればするほどあなたの理解も増してくる。理解の広がりと共に、あなたは、ますます謙虚に、辛抱強く、忍耐強くなる。」「若さを保ちたければ、いつも朗らかでいること。いつも愛想よくすること。いつも親切にすること。」「与えること。それは4倍になって戻ってくる。受けたければ、とことん与えること。」「美しさとは内から湧きでるもので、外面の造作のことではない。見た目の美しさはやがて色あせる。しかし、命の美しさ、人間の美しさ。その人間性を通して光り輝き、決して色あせることのない美を与え続ける。外見や顔形を整えようとする前に、人は自分の理想を整えなければならない。魂の奥底が輝き出すならば、外見の美しさは自然に現れるのだから。」「憂鬱な時や気分が落ち込んだときには、いつでも音楽を流しなさい。自分に向かって歌を口ずさみなさい。人に聞かれるためではなく、自分自身が聞くためにである。音楽は、聴衆の心と魂の中に最高のものを、最高の希望、最高の願いを起こさせ、目覚めさせる手段となるだろう。」)

チェ・ゲバラ、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、私からの紹介文、、youtube (「(ジョン・レノン)世界で一番カッコイイ男」「(ジャン・ポール・サルトル)20世紀で最も完璧な人間」「(フィデル・カストロ)道徳の巨人。堅固な意志と不断の実行力を備えた真の革命家」。事務所にゲバラの写真を飾る衆院議員・亀井静香は「理想の人物。尊敬している」との事。フィデル・カストロと共に1959年のキューバ革命を成功させ、世界中の若者達の心に火を付けた英雄。無私の精神とブレない信念で、革命の理想と人々を救うことに命を捧げる。………<プロフィール>チェ・ゲバラ、本名エルネスト・ゲバラ(1928-1967)は、アルゼンチン出身の革命家、医師、文筆家。ブエノスアイレス大学の医学生時代に友人とオートバイで南米縦断旅行をした際、先住民の困窮を目の当たりにして革命思想に目覚めた。メキシコで亡命中のフィデル・カストロ現キューバ国家評議会議長と出会い、その右腕として1959年のキューバ革命成就に貢献した。革命政府の要職(国立銀行総裁と工業相)に就き、日本も訪れたが、同議長との路線の違いから1965年、キューバを離れてアフリカへ。1967年、「第2、第3のベトナム」建国のため渡ったボリビア南部で政府軍との戦闘中に重傷を負って捕虜となり、翌日イゲラ村で銃殺された。遺骨は秘密裏に同村に埋葬されたが、1997年に発見され、キューバに引き渡された。著作と関連本、「わが生涯」「ゲバラ日記」「革命日記」「革命戦争回顧録」「モーターサイクル・ダイアリーズ 」「100の言葉」「チェ・ゲバラの記憶(フィデル・カストロ)」「チェ・ゲバラ伝(三好徹)」「遥かな旅(戸井十月)」「愛と革命の追憶(アレイダ・マルチ)」「チェ・ゲバラと歩んだ人生(イルダ・ガデア)」ほか。………<日本でのエピソード>革命政権が成立した直後の1959年7月に、カストロ政権の国立銀行総裁として通商代表団を率いて来日。池田勇人通産相(当時)と会見した後、予定になかった広島訪問を強く希望。慰霊碑に献花、資料館や原爆病院を見学。県庁職員に問いかけた憤りの言葉は「君たちはアメリカにこんなひどい目に遭わされて、怒らないのか」。職員は、「眼がじつに澄んでいる人だったことが印象的です」と回想。現在でもキューバでは、毎年8月6日と9日に国営放送で特番を組み、初等教育で広島・長崎の原爆投下について教えているとの事。………<ゲバラからカストロへ宛てた「別れの手紙」>「今、世界の他の国が、僕のささやかな力添えを望んでいる。君はキューバの責任者だからできないが、僕にはそれができる。別れの時が来てしまったのだ。喜びと悲しみの入り混じった気持ちで、こんなことをするのだ、と察して欲しい。僕はこの地に、建設者としての希望の最も純粋なもの、そして僕が最も愛している人々を残して行く……また僕を息子のように受け入れた国民からも去って行く、それは僕をとっても悲しい気持ちにするのだが。僕は、新しい戦場に、君が教えてくれた信念、我が国民の革命精神、最も神聖な義務を遂行するという気持ちを携えて行こう、帝国主義のあるところならどこでも戦うために、だ。」「私は素晴らしい日々を生きてきた。」「永遠の勝利まで。革命か死か。」………<子供達に宛てた「パパからの最後の手紙」>「お前の父親は、信条に従って行動した人間であり、確かに信念に忠実であった。」「立派な革命家に成長しなさい。うんと勉強して、自然を支配できる技術を身につけなさい。革命こそが最も大切なもので、われわれがひとりひとりではなんの価値もないことを忘れないでほしい。とりわけ、世界のどこかでだれかが不正な目にあっていたら、いつもそれを感じることができるようになりなさい。それが、革命家の一番美しい資質なのだから。」………<名言集>「これからは広島を、広島の人を愛していこう。」「もし私たちが空想家のようだと言われるならば、救い難い理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、『そのとおりだ』。」「バカらしいと思うかもしれないが、真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。人間への愛、正義への愛、真実への愛。愛の無い真の革命家など想像できない。」「なんでもないアスピリン1錠でも、患者を思いやり、苦しみを自分のものにできる友人の手から与えられれば、患者にとってどんな意味をもつだろう。その大きさは、科学では測れない。」「 国民の英雄たるもの、国民から遠く離れていてはいけない。高い台座に上って、国民の生活と無縁なところに収まるべきでない。」「人間はダイヤモンドだ。ダイヤモンドを磨くことができるのはダイヤモンドしかない。人間を磨くにも、人間とコミュニケーションを取るしかないんだよ。」「人は毎日髪を整える、どうして心を整えないのだろうか?」「一生懸命に成長しなければならないが、どんなときでも優しさを失ってはならない。」「列強諸国の生活水準は、極度の貧困の上に成り立っている」「我々は体良く「発展途上国」とよばれるが、実際には植民地、半植民地、または従属国である。」「開発途上国が汗と苦しみの代償として生み出した原料を国際市場価格で売り、最新の自動化された大工場で生産された完成品を国際価格で買う現実を、どうして「互恵」と呼べようか?」「ゲリラ戦とは、圧制者に対する民衆全体の戦争である。」「ゲリラの戦士には、地域の人々からの完全な助けが必要だ。これは必須条件である。」「どこで死に襲われようと、我々の戦いの雄叫びが誰かの耳に届き、我々の武器を取るために別の手が差し出され、他の人たちが立ち上がるなら、喜んで死を受け入れよう!」「(最後の言葉)落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ。臆病者め。お前の目の前にいるのは英雄でもなんでもないただの男だ、撃て!!」)

マハトマ・ガンジー、、youtube、、紹介記事-1、、紹介記事-2 (20世紀で最も強い影響力を持つ政治的・精神的指導者。真実と非暴力を貫き、インド古来の思想を再生する人間の品位と威厳ある生き方を実践し、民衆から「裸の聖者」と慕われた偉大な生涯。お手本とする活動家は数知れず。キング牧師、ネルソン・マンデラ、ダライ・ラマ14世、チャップリン、ボブ・マーリー、ジョン・レノンなど、多くの偉人達が彼のスピリットを継承。………<プロフィール>モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー(1869年10月2日 – 1948年1月30日)は、インドのグジャラート出身の弁護士、宗教家、政治指導者。マハトマ・ガンディーとして知られるインド独立の父。「マハートマー」とは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたとされるガンディーの尊称。また、インドでは親しみをこめて「バープー」(「父親」の意味)とも呼ばれている。ヒンドゥー教ジャイナ派の教育を受け、英国で修学した後、89年弁護士の資格を得る。93年から1914年まで、南アフリカのナタールで商館訴訟を手掛ける。その間、現地のインド人労働者の受けていた差別虐待に抗議し平等権獲得闘争を指導、非暴力闘争の端緒を開く。帰国後は、貧困の緩和、女性の権利拡大、宗教間・人種間の融和、不当なカースト制度の廃止などを提唱する全国的な運動を主導しながら、インドのイギリスからの独立運動を指揮。何度も投獄・何年も拘禁されながらも大衆とともに行動。それは、民衆暴動やゲリラ戦の形をとるものではなく、「非暴力、不服従」を提唱した(よく誤解されるような「無抵抗主義」ではない)。この思想(彼自身の造語で「サティヤーグラハ」、すなわち「真理の把握」と名付けられた)はインド独立の原動力となり、イギリス帝国をイギリス連邦へと転換させた。さらに政治思想として植民地解放運動や人権運動の領域において、平和主義的手法として世界中に大きな影響を与えた。第二次世界大戦後、インドはヒンズー教徒とイスラム教徒の国に分かれて独立。終わりなき紛争が続くインドとパキスタン両教徒の融和に尽力。1948年、狂信的なヒンズー教徒に暗殺される。ノーベル平和賞候補5回。ガンディーの誕生日にちなみ、インドで毎年10月2日は「ガンディー記念日」(ガーンディー・ジャヤンティー)という国民の休日となっており、2007年6月の国連総会では、この日を国際非暴力デーという国際デーとすることが決議された。………<名言集>「優しく穏やかなやり方で、あなたは世界を動かすことができる。」「未来は、『今、我々が何を為すか』にかかっている。」「平和への道はない。平和こそが道なのだ。」「あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。」「良心に関しては、多数決の法則は当てはまらない。」「たとえあなたが少数派であっても、真実は真実である。」「何か信じるものがあるのに、それに従って生きない人間は信用できない。」「強さとは、身体能力ではなく、不屈の精神から生まれるものだ。」「罪を憎みなさい、罪人を愛しなさい。」「敵と相対するときには、その敵を愛で征服しなさい。」「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。」「臆病な者は愛を表明することができない。愛を表明するとは勇敢さの現れである。」「私には人に命を捧げる覚悟がある。しかし、人の命を奪う覚悟をさせる大義はどこにもない。」「非暴力は人間に与えられた最大の武器であり、人間が発明した最強の武器よりも強い力を持つ。」「はじめに彼等は無視し、次に笑い、そして挑みかかるだろう。そうして我々は勝つのだ。」「人間性への信頼を失ってはならない。人間性とは大海のようなものである。ほんの少し汚れても、海全体が汚れることはない。」「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る。」)

ジョン・レノン、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、楽曲(1部・動画つき) (平和と愛のメッセージを、妻オノ・ヨーコと2人で発信し、世界を大きく動かした偉大なアーチスト。彼が残した、永遠に歌い継がれる名曲「イマジン」「ハッピー・クリスマス」は、世界を深い悲しみが襲う時に、いつも希望と勇気をくれる癒しの花。それは、EU国歌・ベートーヴェン作「交響曲第9番・歓喜の歌」と共に、地球人類に与えられた大いなる祝福。………<歌詞>イマジン、「想像してごらん 宗教も国境も物欲もない 争いのない世界を」「僕を夢想家だと思うかも知れない だけど僕は1人ではないはずさ いつの日かきみも仲間に加わって 世界はきっとひとつになる」。ハッピー・クリスマス、「War Is Over(戦争は終わった)」「IF YOU WANT IT(あなたが望むなら)」。歓喜の歌、「愛こそ歓喜に導く光 さえぎる苦難を越えて進まん 歓喜の頂(いただき)踏みしめた時 我らは兄弟 世界は一つ 歓喜の頂(いただき)踏みしめた時 我らは兄弟 世界は一つ(なかにし礼・訳)」。………ちなみに、ブランド「ジョン・レノン」の丸メガネ(鼻パッドにオノ・ヨーコ作ジョンの似顔絵イラスト入り)を、MIYA-JUNも愛用。………<プロフィール>ジョン・レノン(John Winston Ono Lennon、1940年10月9日 – 1980年12月8日)、イギリス・リバプール生まれ。1960年代に世界的な人気を博したザ・ビートルズのリーダー、ギターとヴォーカルを担当、ポール・マッカートニーとの作詞作曲コンビで数々の名曲を発表。1965年、大英帝国勲章を受賞。1968年、ソロ活動を開始。1969年、前衛芸術家オノ・ヨーコと結婚し、ホテルの部屋で「ベッド・イン」という平和を訴えるパフォーマンスと「ギブ・ピース・ア・チャンス(平和を我等に)」のレコーディングを敢行。世界主要都市街頭広告キャンペーン「War Is Over (If You Want it)」など、2人で音楽を通じて反戦・平和運動に尽力。イギリスのベトナム戦争支持を受け、大英帝国勲章を返上。1970年、ビートルズ解散。1971年、渡米、ニューヨークを拠点に活動。「人々に力を、民衆に権力を」と主張したアメリカ国内でデモ行進や、精力的に反体制的・左翼的な政治活動へ参加したため、FBIの監視に遭い、再入国禁止措置を取られ、法廷闘争がスタート。アルバム「イマジン」を発表。1973年、会見を開き、架空の国家「ヌートピア」の建国を宣言。オノ・ヨーコと別居。アルバム「マインド・ゲームス」を発表。1975年、ヨーコとの間に息子・ショーンが誕生。これをきっかけに主夫として育児に専念する事を表明、ミュージシャンとしての活動を休止。1976年、永住権を獲得。1977年から1979年には、ヨーコ・ショーンと毎年訪日し、東京や京都、小野家の別荘がある軽井沢に滞在。俳句・禅・歌舞伎などに親しみ、加山雄三・横尾忠則・内田裕也・樹木希林・星加ルミ子・湯川れい子・篠山紀信らと交友。1980年、ヨーコとの共作アルバム『ダブル・ファンタジー』を発表し第一線に復帰。同年12月8日、ニューヨークの自宅前で狂信的なファンの凶弾に倒れて死去。40歳没。………<代表曲>「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ(愛こそはすべて)」「アクロス・ザ・ユニバース」「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」「トゥモロー・ネバー・ノウズ」「レボリューション」「ギブ・ピース・ア・チャンス(平和を我等に)」「マザー」「ラヴ」「パワー・トゥ・ザ・ピープル(人々に勇気を)」「イマジン」「ジェラス・ガイ」「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」「マインド・ゲームス」「スターティング・オーヴァー」「ウーマン」「グロー・オールド・ウィズ・ミー」「フリー・アズ・ア・バード」「リアル・ラブ」など。)

ボブ・マーリー、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、楽曲(動画つき)、、youtube (<「Redemption Song」から>「縛られた心を、自分自身で解放するんだ。自分を自由にするのは、自分しかいない。」「俺たちは、この時代を進んでいこう。誇りを持って。歌ってほしいんだ。この自由の歌を。俺が歌ってきたのは、すべて救いの歌なんだ。あなたにも一緒に歌ってほしい。この自由の歌を。」………レゲエ最大のカリスマ、ボブ・マーリー。レゲエとは、思想(ラスタファリアニズム)であり、命が鼓動するレベル・ミュージック(反逆の音楽)の事。そのスピリットで、パンクやロックはじめ音楽関係者達のみならず様々な方面へ、大きな影響を及ぼした熱き生涯。………<特筆すべきエピソード・1>1976年、二大政党PNP(人民国民党)とJLP(ジャマイカ労働党)の対立抗争に巻き込まれ、狙撃によって重傷を負う。その二日後、「スマイル・ジャマイカ・コンサート」に出演。約80,000人の聴衆に向かって「このコンサートを開くことを二か月半前に決めたとき、政治なんてなかったんだ!俺は人々の愛のためだけに演奏したかった」と言い、約90分の演奏をやりきった。演奏の最後には、服をめくり胸と腕の傷を指さして観客に見せつけ、その場を去った。後にコンサートに出演した理由を尋ねられたとき、「この世界を悪化させようとしているやつらは休みを取っていない。なのになぜ俺に休むことができるか?」と語った。………<特筆すべきエピソード・2>1978年、敵対する二つの政党の代理人を、亡命先のロンドンへ呼び休戦協定を仲介。「俺の命より、他の人々の命が重要だ。みんなを救ってこそ俺はある。自分のためだけの命なら俺は要らない。俺の命は人々のためにある。」として帰国し、ジャマイカの国立競技場での「ワン・ラブ・ピース・コンサート」に出演。そして演奏中に、コンサートを見に来ていたPNP(人民国民党)マイケル・マンリーとJLP(ジャマイカ労働党)エドワード・シアガの2人の党首に対して「話があるんだ。二人ともステージに上がってきてくれないか」と呼び掛ける。「聞いてくれ。すべてを解決するために心を一つにしよう。至高の精神である皇帝陛下ハイレ・セラシェ1世が呼び寄せる。この国の2人のリーダーたちをここで握手させるため。人々に愛を示せ。団結の意志を示せ。問題はないと示せ。すべてうまくいくと示せ。心配などない。一つになれる。団結するんだ!」握手をした二人の手を何も言わずに頭上に掲げたボブは、「愛と繁栄よ、我らと共にあれ。ジャー・ラスタファーライ」と観衆に向けて伝えた。………<ラスタファリアニズム>ボブ・マーリーは、思想(ラスタファリアニズム)を、世界に広めた伝道師。ラスタファリアニズムとは、ドレッドヘアー・緑黄赤のラスタカラー・神聖な薬草ガンジャに代表される、自由と解放を象徴する思想の事。………<歌詞と発言>「(Exodus)目を開けて、自分の心の内側を見るんだ。あなたは今の人生に満足しているか?本当は知っているはずだ。どこから来て、どこへ向かうのか。くだらない常識を捨てさり、本来の自分の場所へと向かうんだ。」「(Get up,Stand up)起きろ立ち上がれ、権利のために。起きろ立ち上がれ、闘いを諦めるな。」「(Hallelujah Time)子供たちの叫びに耳を澄ませ。彼らは、無意味に泣いているんじゃない。今、時代は終わろうとしている。これからのつぼみたちが、花を咲かせられる時代を取り戻そう。」「(Crisis)やるんだ。本気でやるんだ。自分のやりたいことを。」「(One Love)愛は一つ。心は一つ。一緒になれば何も心配はない。神に感謝すれば心は安らかに。」「批判するな自分自身を批判する前に。批判するな。批判する覚悟がないのなら。指をさして人を非難する前に、君のその手がよごれていないか確かめてくれ。」「俺は黒人側にも白人側にもつかない。俺は神の側につく。」「マリファナは国を癒す、酒は滅ぼす。」「偉大な神が空から舞い降り、すべてを取り除き、みんなをハイな気分にさせてくれると言う奴もいる。でも、どんな人生に価値があるのか分かっているなら、君自身のものをこの世で探すんだ。」「もう、言葉は充分だろ。今すぐ、行動に移そう。」………<プロフィール>ボブ・マーリー((Robert Nesta Marley)。1945年2月6日、ジャマイカの山間部にある小さな村、ナイン・マイルで混血という宿命を背負って生まれた。白人からも黒人からも差別を受ける中で、首都キングストンのゲットーに移り住み、音楽に情熱を燃やすことで逆境に立ち向かっていった。メジャーデビューや全世界ツアーを経て、世界的なスターとなる。1981年5月11日、36歳の若さで脳腫瘍を患いアメリカ・フロリダ州の病院で死去。同月21日、キングストン市にて国葬された。1984年5月、最大のヒット・アルバムとなるベストアルバム『Legend』がアイランド・レコードから発売される。これは史上最高の売上げを記録しているレゲエ・アルバムであり、2014年12月の時点で、世界中で3,300万枚以上販売されている。史上最も売れている音楽アーティストの一人としてランク付けされ、推定売上高は世界中で7,500万枚を超え、「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」では第19位にランクされた。)

モハメド・アリ、、コトバンク、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、紹介記事-17、、紹介記事-18、、紹介記事-19、、紹介記事-20、、紹介記事-21、、紹介記事-22、、紹介記事-23、、紹介記事-24、、紹介記事-25、、紹介記事-26、、紹介記事-27、、紹介記事-28、、紹介記事-29、、紹介記事-30、、紹介記事-31、、紹介記事-32、、紹介記事-33、、セレクト動画-1、、セレクト動画-2、、セレクト動画-3、、セレクト動画-4、、セレクト動画-5、、セレクト動画-6、、セレクト動画-7  (<バラク・オバマ米国元大統領、追悼の言葉>、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、「今週、我々は偶像を失った。アリは私の個人的ヒーローだ。」「私はアリを見て育ち、彼が成し遂げたことによって私自身のアイデンティティを形成した。大統領になったおかげで彼と直接知り合えたのは、私の人生における素晴らしい幸運のひとつだ。」「アリはアフリカ系アメリカ人のために戦い、その心を自由にし、あるがままの自分に自信を持てるようにしてくれた。そして私たちが美しい存在ですらあり得るし、同時にタフでもあり得ると教えてくれたんだ。」「アリのリストン戦同様、私もその選挙に絶対負けると言われていた。誰も私が勝つと予想しなかった。しかし、選挙戦で苦労してオフィスに戻ってくるたびにチャンプの写真を見て自分に言い聞かせた。彼は世界にショックを与えた。きっと私にもできる、と。」「私はこの写真をいつも大切にしてきた。『不可能なんてない』ということを思い出させてくれるからだ。自分自身を信じて仕事をすれば、どんなことだって起こり得る。」「この写真や、他にも素晴らしい写真がたくさん載っているこの本が私は大好きなんだ。チャンプが個人的に私にくれたものだし、何よりの宝だよ。」「『バラクに、モハメド・アリより』とチャンプがサインしてくれたんだ。私は大統領になってからずっと、このグローブをここに置いている。私はここワシントンで、とことん戦わなくてはならないからだ。ボコボコにされることもある。それでもまた立ち上がらなければならない。そんな時、このグローブを見ると励みになるんだ。」「ひとりの人がこれほど世界中のイマジネーションを掴むのは非常にまれなことだ。しかもアリはオープンで、ユーモラスで、寛大で、勇敢であることによって、そうしたのだ。彼は真に偉大だ。私の中で彼は常にグレーテストだ。神の祝福を。」「私は成長するにつれ、アリの本来の姿を理解できるようになった。アリはリング上のファイターとしてだけでなく、世の中の正しいことのために闘った。彼は我々のために闘ったのだ。彼は厳しい時代の中、キング牧師ネルソン・マンデラらと共に行動を起こし、誰も言い出せなかったことを代弁した。彼のリング外での闘いのせいでタイトルを剥奪され、世間的な立場を失ったこともあった。あらゆる方面に敵を作り、罵られ、刑務所送りにされそうにすらなった。しかしアリは自分の信念を貫いた。そして、我々が生きる今の自由なアメリカは彼の貢献による所が大きい。」「アリは世界を揺るがし、世界をより良い方向へと変えた。ミシェルと私は彼の家族に深い哀悼の意を表すると共に、偉大なるファイターの冥福を祈る。」  ………<追悼コメント集>、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、「(ビル・クリントン)アリは若くして、自身の物語を綴っていこうと決心した男だった。運命や時間に定まれるのでなく、権力に屈するものでない。人権問題、周囲の意思、そのどれにも自身の物語は変えられないと心に決めて前に進んだ男だった。…われわれにはアリのストーリーがある。われわれは今日、その贈り物に最大限の敬意を払わなければならない。なぜなら彼は、それらを世界に向けて解き放ったのだから。一緒にいて楽しい人物であるばかりではなく、人類共通の普遍的な戦士だ。私はこれからも、モハメドが真の自由人だと思うことだろう。」「(デービッド・キャメロン)リングの上だけでなく、公民権(運動)においてもチャンピオンだった。とても多くの人の模範になっていた」「(ロニー・アリ)モハメドは気に入らないしきたりがあれば、それを書き改めます。どんな犠牲を払おうとも、宗教や、名前や、信念を自分に適応させました。」「(ボブ・ディラン)「もし人の偉大さを、この地球上に生きるすべての人を喜ばせることで測るのだとしたら、間違いなく彼が一番偉大な男だよ。すべての点において彼は最も勇敢で、思いやりがあり、極めて素晴らしい人物だったんだ。」「(ポール・マッカートニー)マイアミで初めて会った日から最高にいい人で、その後、何度か会ってもずっとそういう人だったね。もっとも偉大なボクサーだっただけでなく、心の美しい優しい人でユーモア・センスも最高で、どんなにかしこまった場であったとしても、ポケットからトランプを取り出すと手品をやってくれたりしたんだ。世界は本当にすばらしい人を失ってしまったよ。」「(ザ・ウィークエンド)力に満ちて心穏やかなキング・アリ、安らかにお眠りください。史上最も偉大なボクサー。あなたはわたしたち全員の心に自信をもたらしました。」「(LLクールJ)モハメド・アリ、俺たち全員はあなたが分かち合ってくれた光のおかげで強くなれました。安らかにお休みください。G.O.A.T.(史上最高の偉大な存在)。愛しています。」「(アイザック・ヘイズ)史上最高のモハメド・アリ、力をみなぎらせたままお眠りください。あなたは力について永遠に受け継がれていく遺産を残しました。」「(マドンナ)何が起こっているの??!!私たちはこの国の宝物を失くそうとしている。私たちの精神的支柱。彼は最も偉大な男だった。」「(ジャスティン・ティンバーレイク)史上最高の人。この人がどれだけ多くのインスピレーションをもたらしたか、今日は少しだけでも思い出してみよう。これから惜しまれることでしょう……世界を変えてくれてありがとう。」「(ジョージ・フォアマン)彼が、アトランタ・オリンピックで聖火を掲げたときに、彼は私にとって本当に高貴な存在になった。考えてみてくれ。もし、何らかの病気で苦しんでいるとしたら、この国で暮らすほとんどの人々は、とりわけ名の知れた有名人ならばなおのこと、ひっそりと隠れたがる。人前に出てこない。パーキンソン病症候群などに侵されたら、誰だって家でひっそりと隠れていることだろう。そして、彼らは言うんだ。『こんな姿を人前にさらしたくない』と。それなのにあの男は、震えながらも聖火を持って点火したんだよ。」「(デレク・ジーター)アリは自分が本当に思っていることを話そうとした最初のアスリートの一人であり、後に続くものたちが同じことができるように扉を開いてくれた。彼はどんな代償が伴おうと、自分の信条を貫き続けた。」  ………<ビリー・クリスタルによるアリへの弔辞>、、紹介記事、、「彼は単なるスポーツ選手以上の存在でした。ロバート・ケネディ、マーチン・ルーサー・キング牧師、マルコムXを失い、ベトナム戦争に直面していた我々の世代が術もなく戦争の渦に巻き込まれようとしていたとき、ただ一人立ち向かってくれたのが彼でした。その代償として、世界王座を失い試合をすることもできなくなった時、彼は様々な場所で講演を行い、その言葉は我々に届きました。すべてを失っても彼はユーモアを失わず、そして、自分の信念を貫くために進んですべてを失うことを選んだ彼の姿に大きな感銘を受けました。」「アリのモノマネ。『俺は速い。速すぎてこないだなんて眠ろうとして部屋の電気を消したけどまだ昼だった!』『今日から俺はユダヤ教に改宗する。今後俺の名前はイジ―イシュカウッジュ。ヘブライ語で俺こそ最も偉大な人間という意味だ!』。観客は大喜びでした。ロングアイランド出身の「白人」の青年がアリのモノマネをするなんてことはこれまでなかったのです。アリも気に入ってくれて、ぎゅっと私を抱きしめ耳元でこうささやきました。『君は俺のリトル・ブラザーだ』と。その呼び名は最後に我々が会ったその日まで続きました。」「私のお気に入りの思い出は1979年、彼の引退パーティーです。私のアリのモノマネはその後も成長し続け、彼の18歳のときからレオン・スピンクスとの再戦までを描くものになっていました。会場には25000人がいましたが、私はアリただ一人のために演じました。私自身最も気に入っている演目です。終了後、楽屋で同じくヘビー級チャンプだったリチャード・プライヤーが泣きながら私に抱きついてきました。その向こうからアリも私に近づいてきました。そうして耳元でこうささやいたのです。『リトル・ブラザー。お前は俺の人生を実際よりちょっとだけ素敵にしてくれたな』と。しかし、彼こそ我々の人生を少しだけ素敵にしてくれたと思いませんか。」「彼の存在を言葉で表現するとすれば、『鮮烈な稲妻』です。圧倒的な力と美の競演。落雷のごとき鮮烈な瞬間は写真や映像に残されています。恐ろしいまでの力強さと素晴らしい優美さ。その瞬間、彼が放つ強烈な光はすべてを照らし出しました。アリは、アメリカの最も暗い時代に落とされた強烈な稲妻でした。我々はその光によって鮮明に見ることができたのです。私たちの社会の不正義、不公正、貧困、自己認識、笑い、勇気、愛、喜び、宗教の自由について。アリは我々に自分自身を見つめ直すことを強いてきます。彼は我々を怒らせ、混乱させ、挑発してきました。そして、最終的には静かな平和の使者となったのです。彼は私達に示してくれました。人生とは人と人との架け橋となって価値のあるものであると。けして壁などではなく(観客拍手)。」「千年に一人という存在があります。モーツァルト、ピカソ、シェークスピア。アリもその一人です。しかし、彼は同時にここルイビル生まれの、神を愛し、弱きとともに歩いた稚気ある一人の人間でした。彼は逝ってしまいましたが、けっして忘れられることはないでしょう。彼はいまも私のビッグ・ブラザーです。」  ………<MIYA-JUN解説-1・プロフィール>モハメド・アリ(1942年 – 2016年)、米国ケンタッキー州ルイビル出身、旧名カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア。元ボクシングWBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオン、社会活動家、思想家、国連平和大使、敬虔なイスラム教の宣教師1960年、ローマオリンピックボクシングライトヘビー級で金メダルを獲得、プロに転向し連戦連勝。64年、世界ヘビー級王者ソニー・リストンを撃破、22歳の若さで新王者に君臨67年、ベトナム戦争の徴兵拒否により実刑判決を受け、ボクシング界から追放され王座も没収。70年、最高裁で無罪判決。74年、アフリカのザイールにおける「キンシャサの奇跡」と呼ばれる伝説の試合で王座を奪還。76年、来日してアントニオ猪木格闘技世界一決定戦を敢行。81年、現役引退。通算成績は56勝5敗。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と称される変幻自在なフットワークと鋭い左ジャブを活用し、当時の力任せに殴り合いをしていたヘビー級に、現代的でスマートなアウトボクシングを開拓。対戦相手を挑発し、ときにはKOラウンドを予告する派手なパフォーマンスで人気沸騰。また、スポーツの枠を超越した人道的な業績を称えて、「ザ・グレーテスト」の愛称で呼ばれている。84年、パーキンソン病にかかり、長い闘病生活。96年、アトランタ五輪で聖火の点火者として登場。2012年、過去のメダリストらとともに五輪旗を運ぶ役目でロンドン五輪の開会式に登場。2016年、永眠。享年74。  ………<MIYA-JUN解説-2・社会活動>、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、1964年、マルコムXらが所属する黒人イスラム教集団「ネーション・オブ・イスラム」への入信を機に、リングネームのみならず本名をカシアス・クレイからモハメド・アリに改名。67年、「金持ちの息子は大学に行き、貧乏人の息子は戦争に行く。そんなシステムを政府が作っている」「俺はあいつらベトコンたちに何の恨みもないんだよ」と発言、ベトナム戦争反対を表明し徴兵を拒否。国民のベトナム戦争に対する支持がピークを迎えていた時に、誰一人しない冒涜に値する言動で、投獄され、国中の避難を浴びながら、地位/名声/高収入を犠牲にしてでも信念を貫徹。全米各地の大学キャンパスで何百もの講演を開催、マスメディアを通してメッセージを発信。戦争支持率の低下/公民権運動の前進/ブラックパワー運動/などの意識改革をリード90年、湾岸危機に際し、イラク大統領と直接対話、アメリカ人の人質解放に成功。98年、キューバを訪問し、アメリカ政府に対して経済封鎖の緩和を訴える声明を発表。同年、国連平和大使に任命され、2001年にはアフガニスタンで人道支援活動。9・11同時多発テロ救援コンサートでイスラム教徒を代表して平和の呼びかけ。他にも、パレスチナ難民キャンプやバングラデシュを訪問、ネイティヴ・アメリカンの権利保護を訴える行進に参加など、平和や友愛のため様々に活動2005年、大統領自由勲章とオットー・ハーン平和賞を受賞。  ………<MIYA-JUN解説-3・生き様>、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、人種隔離政策が続いていた1960年代アメリカの「黒人は白人より劣る者」とした社会システムは、差別/抑圧/洗脳/自己否定による無気力な“一種の鬱病状態”を生み出し、黒人達は貧困などの“負の連鎖”から脱け出せませんでした。そんな絶対不動の固定観念が定着した社会で、「私はグレーテストだ(白人より秀れている)」と発言できたモハメド・アリは、強い強い心と勇気を持つ偉大な魂です。その志は、投票権すら無かった時代から、黒人初の大統領バラク・オバマの時代まで繋がって行きます。ボクサーとしての功績だけではありません。病に冒された後も、平和や人道の為の意識改革に尽力した生涯。これは、黒人などの“人種”の問題ではなく、“すべての人間”の問題です。親/学校/会社/政治/社会などから、差別/抑圧/洗脳され、自己否定と“一種の鬱病状態”を脱け出せない、すべての人間達。この世界と向き合い、「すべての人間の為の闘い」に挑んだ男=モハメド・アリ。だから「グレーテスト」なのです。地球人類に自由をもたらす使命の黒い天使。2016年、神の国へ帰郷。  ………<MIYA-JUN解説-4・アントニオ猪木との友情>、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、(アリと猪木が友人になれたのは戦いが真剣であり、それを互いが認め合ったから。)  1976年の格闘技世界一決定戦を一緒に闘った翌年、アントニオ猪木の元へ届いたモハメド・アリからの結婚式招待状、ここから2人の親交がスタート。77年に公開された映画「アリ/ザ・グレーテスト」のテーマ曲「アリ・ボンバイエ」を猪木にプレゼント。猪木は以後、「炎のファイター 〜イノキ・ボンバイエ〜」にアレンジし、プロレス入場曲として引退まで使用。95年、北朝鮮・平壌でアントニオ猪木を中心に開催された観客動員19万人のプロレス興行「平和のための平壌国際体育・文化祝典」に、アメリカ政府の反対を押し切ってゲスト参加。98年、東京ドームにおけるアントニオ猪木・引退記念イベント「ファイナルイノキトーナメント」にゲスト参加。猪木・引退後、コロラドで再会、アリが猪木に手品を披露。  [アリから猪木への言葉]「あんな怖かった試合はなかった。お前はどうだったんだ?」「友情を説明するのは難しい。学校で学ぶことじゃない。でも、友情の意味を知らないなら、何も学んでいないことになる。」  [猪木の発言]「リングは孤独な世界だから。勝負そのものもそうだけれども、戦いのプロデュースから演出まで全部自分で背負わなくてはならない。でも、それをやれる人間というのは、そうはいない。アリは、それをやれる男だった。」「(パーキンソン病が進んだアリが人前で喋る場面はなくなったが)アリは俺と2人だけになった時は喋るよ。」「アリは1年先輩なので、アリに見送られるのはイヤだな、と思っていましたが結局見送ることになりました。」「人生を戦い抜いたリングの友として、ご冥福を祈りたいと思います。」「人柄からいえば、ある意味プライドのものすごい高い人物でした。私と似てる部分と言うか、私も人生の戦いと言う意味では、ボクシングだけでなく社会的な意味も含めて、人柄で言えば素晴らしいものを感じていました。」「闘った後の友情を培ったのはボクシングの選手よりも私の方が深かったかもしれません。」「パーキンソン病を患ってから(今日まで)長い間だった。6月26日が『世界格闘技の日』になることとなったが、できればその日に日本に来てもらいたいという思いはあったが、そのかわり、家族を招待していました。」「この試合で猪木の名前は世界に売れた。外交をやって、アリと試合をしたということの説明があると、相手が姿勢を直したり、『あっ、そうだ』と覚えている。これは、アリのお陰。」「モハメド・アリと会えば、言葉をそれほど交わさなくても、眼と眼で分かりあえる部分が多い。私のテーマ曲『炎のファイター』は、もともとモハメド・アリの評伝映画『アリ・ザ・グレイテスト』のテーマ曲で、モハメド・アリが私にプレゼントしてくれたものだ。私の引退試合にモハメド・アリを呼ぶことになった時、彼のマネジメント会社は「私たちには理解できない、二人で勝手にやってください」と言ったそうだ。」  ………<モハメド・アリへの賞賛の言葉>「(エイブラハム・リーバーマン=モハメド・アリ・パーキンソン・センター理事)信念に従い、正しいと思うことを主張する人だった。地位の低い人からものすごい有名人まで、全ての人に平等に接した。公平だった。…リング上の時と比べて、リングから降りた彼は、信じられないくらい良い人だった。素晴らしい友人を失った。」「(マーティン・ルーサー・キング)我々の信じる宗教は違いますが、問題意識は同じです。アリの勇気をたたえないわけにはいかない。」「(フィデル・カストロ)彼はわが国で非常に敬愛された。スポーツマンとして、ボクサーとして、そしてひとりの人間として。彼の評価は常に高かった。しかし、彼とこんな形で会えるとは、想像したこともなかった。医療援助を携え、わが国の子供たちを励まし、病院を訪問してくれるとは。直接会えてたいへんうれしい。こうして会って、感謝を伝えられて喜んでいる。彼が強いことは見てわかった。またとてもやさしい顔をしているのもわかった。」「(ハワード・ビンガム=写真家。アリの親友で黒人。吃音の持ち主だが、アリとは長い友情を持っていた。)彼がマニラでジョー・フレージャーを倒してから2、3週間後、私たちは国連のレセプションに出るためニューヨークにいた。アリはテレビのニュースを見ていたが、ユダヤ人センターが資金不足のため閉鎖されると報道していた。それは老人用の施設でね。彼らは障害を負っており、その多くはドイツでナチの迫害を受けた人たちだった。次の朝(1975年12月2日)、私たちはそのセンターが入っているビルに行った。アリはあたりを見回し、何人かの人たちに話しかけ、彼らに10万ドルの小切手を与えたよ。彼はそういう人間なんだ。なぜそういうことをしたのかと誰かがたずねると、彼はただ、自分の心には年寄りに対しては弱い部分があるんだ、とだけ答えたよ。」「(ラナ・シャバス=1962年から引退まで、アリの食事の世話をした女性。ある食堂で働いていた時、アリにスカウトされたのがきっかけ。)みんなはアリが人のためにしたことの半分も知らないのよ。彼はキャンプにスパーリングパートナーを抱えていたんだけど、彼がまずやることは、その相手がちゃんとしていない場合は、お金をあげて、新しい服を買いにやらせることだったわ。一度、目を怪我したスパーリングパートナーがいたけど、世界中のどんなプロボクサーだって、そんなことがあったって、ほっとくはずよ。ところが、アリは彼を病院へ連れて行って、勘定を払い、ちゃんと面倒をみてやったわ。」「(ブッカー・ジョンソン=アリの取り巻き。)アリはどんなチャンピオンとも違っていたよ。彼のキャンプは世間に解放されていたんだ。フロイド・パターソンはチャンピオンだったとき、ライフルで武装した護衛付きでトレーニングしていた。ジョー・ルイス、ロッキー・マルシアーノ、ラリー・ホームズ、彼らはみな他人をシャットアウトしていた。だが、ディア・レイクには誰でもいつでも入っていけたよ。ある日、ハリーラ(アリの2番目の妻)がロープを張ったのを覚えているよ。人々は向こう側でアリに手を振っていてね、アリが彼らに『入って、こっちに来てくれ』と言ったんだ。誰かがロープを指さした。アリは、『誰がそんなものを張ったんだ?』と聞き、ハリーラが『私よ』と言った。そこでアリは彼女に、『そいつを外せ。二度と張るんじゃないぞ』と言ったんだ。まさにそれが彼のやり方だったね。まったく誰でも歓迎だったよ。」「(ラルフ・ソートン=ディア・レイクで雇われていた人物。無一文になっていたところでアリに救われ、施設の掃除係を任された。)12歳くらいのある少年がいたんだ。その子は地元の病院に入院していて、白血病で死にかけていたんだが、父親と一緒にディア・レイクを訪ねて来たんだ。父親自身はアリが好きじゃなかったんで、そんなことはしたくなかったんだが、息子のたっての願いだったし、息子は死にかけていたんだ。父親が車でやって来たとき、私はたまたまキャンプの前にいた。彼は息子を車に残して、私に近づき、こう言ったよ。『失礼します。こんなお願いできるかどうかわかりませんが、チャンプがこちらでトレーニングしていると聞いたもんですから。チャンプにお願いして、何とか息子に会ってもらうことはできないでしょうか? 息子は白血病で死にかけているんです。医者の話では、もうあまり長くなさそうなんです』。私は『大丈夫、彼は会ってくれますよ』と言った。ところでその少年だが、治療のため髪の毛はなくなり、ひどく痩せて棒みたいだった。いかにも死にそうな感じだったよ。私はドアをノックし、なかに入って、事情を説明した。チャンプは『その子を連れておいで』と言った。彼はその日の午後はずっとその子と話したり、遊んだり、ふざけたりして過ごしたよ。そのあと、少年は病院へ戻って行った。だが、父親があとで私に会いに来てね、ほとんど泣いていたな。彼はこう言ったよ。『実は私はアリが好きでなかったんです。彼のことを知ってからずっと嫌っていたんです。誰かが彼をやっつけて、ぶちのめしてくれればいいといつも思っていたんですよ。だが、彼が私の息子にしてくれたことを私は決して忘れないでしょう。彼はいい人です。彼をあんなふうに思っていたことを申しわけなく思います』。」  ………<ホイットニー・ヒューストンが歌うモハメド・アリに捧げられた曲「The Greatest Love of All(映画“アリ/ザ・グレーテスト”テーマ曲)」歌詞(サイト「風を感じて一人あるき」から)>「私は子供は私たちの未来へと繋がているのだから、彼らに明るくて、未来へつながる道を教えてほしい。子供達に内に秘めた全ての美しさを教えてほしい。苦悩しないために誇りを気付かせてほしい。子供達の笑顔、笑いは昔の私たちを思い出させるわ。  みんな、愛せる尊敬する人を探すのよね。私は、自分の想いを満たす愛せる尊敬する人は見つかってない。孤独な場所で生きてる。だからこそわかったのよ、自分次第なんだって。わたしは決めてたのよ、決して誰かの歩んだ道(影)を歩かないって。失敗しても、成功しても、わたしは私の信じる道を生きるの。たとえわたしから奪っても(成功、失敗、笑顔かな)、わたしの尊厳は奪うことはできないわ。  なぜなら、一番大切な愛はわたしにわき起こっているわ。一番大切な愛は自分の中にあるのよ。一番大切な愛は一番手の届く近いところにあるの。一番大切な愛は自分自身を愛することなのよ。  もし、夢にまで見たことがあなたを孤独へと導いたとき、一番大切な愛(自分を愛する)の強さを知るでしょう。」  ………<MIYA-JUNのオススメ>、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、「セレクト動画-5」の中の「【追悼】町山智浩 モハメド・アリがいかにグレートなのか たまむすび – YouTube」の10:38あたりから、「モハメド・アリのために作られた歌(The Greatest Love Of All) byホイットニー・ヒューストン – YouTube」。涙しました。  ………<映画>、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、紹介記事-17、、紹介記事-18、、紹介記事-19、、「アリ/ザ・グレーテスト」「ALI アリ」「ソウル・パワー」「フェイシング・アリ」「あの夜、マイアミで」「ブラッド・ブラザーズ: マルコムXとモハメド・アリ」など。  ………<書籍>、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、「地上最強の男(著:百田尚樹)」「評伝モハメド・アリ――アメリカで最も憎まれたチャンピオン(著:ジョナサン・アイグ)」「モハメド・アリ語録[世界を揺るがした勇気のことば150](編:N.U.D.E.)」「ファイト(著:佐藤賢一)」「モハメド・アリ ザ・グレーテスト(DVD-BOX)」「モハメド・アリ: 合衆国と闘った輝ける魂(著:田原八郎)」「モハメド・アリ――その生と時代(著:トマス・ハウザー)」「モハメド・アリとその時代: グローバル・ヒーローの肖像(著:マイク マークシー)」「カリスマ―神に最も近づいた男モハメド・アリ(著:ジェラルド アーリー)」「(写真集)モハメド・アリ 聖者(著:ハワード・ビンガム)」「モハメド・アリ―リングを降りた黒い戦士(著:田中茂朗)」「モハメド・アリ自伝 わが魂の戦歴」など。  ………<名言>、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、「だめだ,私は軍の要請には応じない。戦争は間違っている。」「何の罪もないベトナムの人たちに爆弾を落としたり,銃弾を浴びせたりすることなどできない。」「俺がなんでわざわざ1万マイルも離れた貧しい国まで出かけて行って、白人が有色人種を支配し続けるために人殺しをし、国を焼き払うのを手助けしなきゃならないんだ?」「いかなる理由があろうとも、殺人に加担することはできない。アラーの教えに背くわけにはいかない。」「私が心から恐れるのは神の法だけだ。人が作った法はどうでもいいと言うつもりはないが、私は神の法に従う。何の罪も恨みもないべトコンに、銃を向ける理由は私にはない。」「オレたち黒人が戦うべき本当の敵はベトコンじゃない。日本人でも中国人でもない。300年以上も黒人を奴隷として虐げ、不当に搾取し続けたお前たち白人だ!」「俺を自由の身にするか、さもなくば刑務所に入れろ。いずれにしても、俺は自分の主張を貫く。」「進むべき方向も真実もわかっている。他人が求める自分ではなく、なりたい自分になるんだ。」「新しいタイプの黒人がどういうものか、それを世界に証明する必要があったんだ。」「チャンピオンはジムで作られるものじゃない。彼らの奥深くにある『何か』で作られるんだ。例えば願望、夢、ビジョン。そのためにはどんな土壇場でも耐えるスタミナと、少しばかりのすばしっこさ、そして技術と意志が必要だろう。だが意志の力はどんな技術よりも更なる強さを与えてくれる。」「チャンピオンは、最後の一瞬のためのスタミナを備えていなければならず、他者よりほんの少し俊敏さに勝っていなければならず、技と意志力を備えていなければならない。そしてその意志力が技に勝っていなくてはならない。」「俺はトレーニングが大嫌いだった。でも、自分にこう言い聞かせたんだ。『絶対にあきらめるな。今は耐えろ。そして残りの人生をチャンピオンとして生きろ』と。」「あまりにも順調に勝ちすぎているボクサーは、実は弱い。」「打ち負かされるのがどういうことか、というのを知っている人間だけが、ドン底の状態からわずかながらも相手より強い力をつけて這い上がり、僅差の勝負を勝利に導くことができる。」「俺がリングの上でスポットライトを浴びて"ダンス"を披露するずっと前に、勝敗は決している。誰も見ていないジムやロードでのトレーニングで勝負は決まるんだ。」「どんな試合でも、誰かが勝って、誰かが負ける。俺たち黒人もそうだ。勝利の時もあれば、失意の時もある。負け方と、それでも立ち上がる姿を俺は同胞に見せなければならないんだ。」「俺はリングに上がるとき、神を思い、また、アメリカのあらゆる都市のスラム地区に住む人々のことを思う。そして俺は、権力を握っているすべての偽善者どもをなぐってやるつもりで相手を攻めるんだ。俺は、自分の自由のために戦っているのだが、また、この国の三千万人の黒人の希望も、背負っているんだ。」「ジョー・ルイスの生きざまを見ろよ。もし彼が悪い奴だったら、悪い奴として名を残しているはずだろ。ところが、みんなジョーを愛していた。黒人だけでなくミシシッピの白人労働者までもがジョーを愛していた。みんな泣いていたよ。それを見ればわかるだろう。ハワード・ヒューズは億万長者だったが、あいつが死んでも誰も涙を流さなかった。でも、ジョー・ルイスが死んだら、みんな声を上げて泣いたんだ。」「兄弟姉妹が腹を空かせて給食センターに並んでるのを知りながら、ロールスロイスに乗って丘の上に住んでも、俺は嬉しくない。俺は世界チャンピオンだが、俺とファンに違いがあるとは思わない。俺は今でもスラムを歩き、質問に答え、赤ん坊にキスしている。俺は絶対に仲間を忘れない。」「俺にとっての最もタフな試合は、ボクシングを引退した後にやってくる。仲間を助けるという終わりのない戦いだ。」「不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した、臆病者の言葉だ。不可能とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。不可能とは、誰かに決めつけられることではない。不可能とは、可能性だ。不可能とは、通過点だ。不可能なんて、ありえない。」「頭で考えることができ、心で信じることができるなら、それは実現できることである。」「リスクをとる勇気がない人間は、人生で何も達成することができない。」「肯定の繰り返しが信念につながる。その信念が深い確信になると、物事が実現し始める。」「人間が困難に立ち向かう時、恐怖を抱くのは信頼が欠如しているからだ。私は私を信じる。」「カビの生えたパンからペニシリンを作ることができるのなら、君の中からも間違いなく何かを生み出せるはずだ。」「人は世界一のゴミ収集人になれる。世界一のモデルにだってなれる。たとえ何をやろうと、それが世界一なら何も問題はない。」「年齢は、自分がどう思うかだ。まだまだ若いと思えばまだ若いし、もう遅いと思えばもう遅い。」「人生はボクシングと似ている。問題は倒れることではなく、倒れたときに立ち上がろうとしないことだ。」「俺たちはみんな人生で何かを失うもんだよ。妻を失い、母親を失う。俺たちはみんな失うものを持ってるんだし、やるべきことは生き続け、そうした損失を克服し、そしてカムバックすることだ。失ったからって、死ぬわけにいかないぜ。」「1日1日を無駄に消費せず、毎日を価値あるものにせよ。」「他者に貢献することは、この地球でのあなたの居場所に払う家賃である。」

忌野清志郎、、公式HP、、youtubeチャンネル、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、セレクト曲 (世界中の国々で最もカッコイイ事とされるのは、音楽で政治を歌い、音楽で国を世界を動かす事。日本のメジャー・ミュージック・シーンにおいて、数少ないレベル・ミュージック(反逆の音楽)の実践者・忌野清志郎。と同時に、いつもユーモアを忘れない、明るく前向きなキャラクターの、身近なお兄さん的な存在は、永遠に愛され続けるロックンローラー。………<プロフィール>1951年-2009年。バンドマン。1968年高校在学中にRCサクセション結成。1970年「宝くじは買わない」でデビュー。「ぼくの好きな先生」「雨あがりの夜空に」「スローバラード」「い・け・な・いルージュマジック」「JUMP」「デイ・ドリーム・ビリーバー」など多種多様なヒット曲を放ち、人気と実力両面で日本のロックを代表する「ザ・キング・オブ・ロック」となる。1991年、RCサクセション活動休止後もソロ活動やTHE TIMERS、HIS、忌野清志郎 & 2・3’S、LOVE JETSの他、映画・ドラマ出演や絵本の執筆、サイクリストなど活動は多岐に渡る。2006年7月より喉頭癌で入院し病気療養、2008年2月10日に行われたライブ『忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館』では、武道館史上最高の動員数を記録。2009年5月2日、癌性リンパ管症で他界。………<名言集>「愛しあってるか〜〜〜い?!!。」「いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ。」「希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。なんでなんだ?っていつも子供みたいに感じていたいぜ。」「ロックの基本は愛と平和だ。」「大人になると人生がつまんなくなっちゃうって思ってる方が、若者の中にもすごく多いと思うんですけど、そんなことはないです。」「もしも僕が偉くなったなら、偉くない人達やさえない人達を忘れないさ。」「どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい? 俺は主張できるよ。」「勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ。」「ヘルマン・ヘッセも書いている。ユーモアが大切なんだ。ユーモアのわからない人間が戦争を始めるんだってね。」「(喉頭癌を宣告されて)これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療に専念したい。」「癌もロックンロールだ。」「みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね。」………<事件簿・1>1988年、RCサクセションとして反戦・反核・反原発などを歌った全曲カヴァーのアルバム『COVERS』を制作。しかし、親会社が原発との関連があったため、所属レコード会社・東芝EMIは突然の発売中止を決定(問題とされたのは「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」の2曲)。海外ジャーナリストも注目する大論争へと発展(のちに清志郎は、この時の鬱憤を晴らすため、新たにザ・タイマーズを結成)。急遽キティレコードから発売された話題性も備えたこのアルバムは、オリコン初登場1位を獲得する大ヒット。「ラヴ・ミー・テンダー」…何言ってんだー ふざけんじゃねー 核などいらねー 放射能はいらねえ 税金(かね)かえせ たくみな言葉で一般庶民を だまそうとしても ほんの少しバレてる その黒い腹。「サマータイム・ブルース」…暑い夏がそこまで来てる みんなが海へくり出していく 人気のない所で泳いだら 原子力発電所が建っていた さっぱりわかんねえ 何のため? 狭い日本のサマータイム・ブルース。………<事件簿・2>1989年、ザ・タイマーズとして、フジテレビの音楽番組「ヒットスタジオR&N」に生出演。作詞を担当したティアドロップスの曲「谷間のうた」とタイマーズの「土木作業員ブルース」が、放送禁止・放送自粛にされたことに対する抗議として、「FM東京の歌」を演奏。歌詞では「FM東京」の名を連呼し、女性器や性行為を意味する放送問題用語「おまんこ」や、「なんでもかんでも放送禁止」「腐ったラジオ」「最低のラジオ」「政治家の手先」「こそこそすんじゃねぇ」と過激な言葉を交えて罵倒。前代未聞の放送事故は、新聞に掲載されるなどメディアでも話題に。………<事件簿・3>2003年、日本武道館で開催された「アースデイ・コンサート」(TOKYO FM等、JFNに加盟する全国のFM各局に生放送)に出演した際、当初予定になかった「(パンク・ロック風)君が代」や「あこがれの北朝鮮」などを歌い、会場を騒然とさせる。………<交友>鮎川誠・泉谷しげる・糸井重里・いとうせいこう・井上陽水・太田和彦・大竹しのぶ・梅津和時・春日博文・片山広明・金子マリ・木村拓哉・桑田佳祐・甲本ヒロト・小林和生・小林晴雄・GO-BANG’S・坂本冬美・坂本龍一・桜井和寿・さくらももこ・THE ALFEE・渋さ知らズ・ジョニーサンダース・スティーヴクロッパー・ソウルフラワーユニオン・武田真治・竹中直人・ Char・トータス松本・仲井戸麗市・夏木マリ・間寛平・林栄一・原由子・細野晴臣・真島昌利・三浦友和・三宅伸治・百世・森川欣信・矢野顕子・山口冨士夫・吉田拓郎、ほか。)

岡本太郎、、ミュージアム-1、、ミュージアム-2、、Webショップ、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、youtube、、書籍の紹介、、「岡本太郎・作品鑑賞の旅」 (20世紀の日本を代表する芸術家。代表作「太陽の塔」「明日の神話」。著作、テレビやペーパーなどマスメディアでも活躍。多数の“ベラボウ”な作品を世にぶつけ、誰もが芸術を行うべきと叫び、全ての人間に命の炎を点火すべく、“爆発”し続けた生涯。………<名言集>「芸術は爆発だ!」「職業は人間だ」「芸術とは、うまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない。」 「きれいになんて生きてはいけない。」「あなたは何に燃えたいか。」「あなたは常識人間を捨てられるか。」「己れをつらぬけ、平気で闘え、自分のスジをまもれ、マイナスに賭けろ。」「下手でも自分自身の歌を歌えばいいんだ。」「「才能なんて勝手にしやがれだ」」「自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ。」「だめ人間なら、そのマイナスに賭けてみろ。」「モーレツに素人たれ。」「自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる。」「キミ自身と闘って、どう勝つかだ。」「『すごい!』という感動が起爆剤だ。」「 自分は何を伝えたいのかをもっと考えるべきだ。つまり、どう生きるかをもっと真剣に問い続けろ。」「人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ。」「『挑み』をやめた瞬間から老人になる。」「青春は永遠にはじめからのやり直しだ。」「同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ。」「ほんとうの対決というのは、自分を相手にぶつけ、相手も自分にぶつかってきて、お互いがそれによって活きることが対決なんだよ。」「「いつか」なんて絶対ない。いつかあるものなら今、絶対あるんだ。今ないものは将来にも絶対にない。」「やるからエネルギーが生まれるんだ。エネルギーがあるからやるんじゃない。」「四角い枠にこだわるな。キャンバスからはみ出せ。」「好かれるヤツほどダメになる。」「孤独であって、充実している、そういうのが人間だ。」「他の誰もがやらないものを孤独の中で創造する。それが自己発見だ。周囲に対しても自分に対しても挑み続けなくてはいけない。」「愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない。」「恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある。」「相手の中から引きだす自分、それが愛。」「壁は自分自身だ。逃げない、はればれと立ち向かう、それがぼくのモットーだ。」「危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。」「いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから。」「(諏訪の御柱祭で、危ないから降りて下さいと言われ)死んで何が悪い。それが祭りだ。」「ぼくは抵抗する。その決意はますます固い。」………<プロフィール>岡本太郎(1911-1995)。日本近代絵画、特に前衛絵画を代表する芸術家。 絵画のみならず彫刻、パブリックアート、『今日の芸術』など数々の著作をのこす。「芸術は爆発だ!」のフレーズが示すとおり既存概念に囚われない自由な発想で数多くの作品を残し、大阪万博のシンボルでもある、日本最大級のパブリックアート「太陽の塔」を制作した。沖縄や縄文時代の文化にも注目し、その記録やそこから発想した作品を多数発表。また独自の芸術観をもち、多数の著作を著した。著作『今日の芸術』にて、人間と芸術の疎外を問う。活動的な人物で、テレビなどのマスメディアへの登場も多く、多くの文化人と親交を結んだ。だが、マスメディアでのパフォーマンスにより、キワモノ的なイメージを持たれたことも否定できない(太郎自身はそれを喜んでいたが)。特技はピアノとスキー。日本で初めて縄文土器を「美術品」と認定。ウィスキー・グラス「顔」や特撮映画『宇宙人、東京に現る』に登場するパイラ人のデザインもした。風刺漫画家岡本一平を父に、小説家岡本かの子を母に持つ芸術一家に生まれる。かの子はお嬢様育ちで、母親らしいことが全くできない人だった。不倫を繰り返した生活破綻者で、恋人を夫公認で家に住まわせることまでしている。太郎が多くの女性と恋愛し、常識にとらわれない生き方を尊んだのも、この母の影響が強い。死後、秘書であり養女である岡本敏子の尽力で多くの遺作が発見・公開された。近年「明日の神話」の発見、修復、恒久設置などが行われた。………<著作>「青春ピカソ」「今日の芸術 時代を創造するものは誰か」「日本の伝統」「岡本太郎の東北」「忘れられた日本――沖縄文化論」「原色の呪文」「日本列島文化論 ー日本人は爆発しなければならないー」「美の呪力」「岡本太郎の挑戦するスキー 白い世界に燃える歓び」「強く生きる言葉」「壁を破る言葉」「愛する言葉」「自分の中に毒を持て あなたは”常識人間”を捨てられるか」「自分の運命に楯を突け」「自分の中に孤独を抱け」ほか。)

寺山修司、、ミュージアム、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、youtube (詩と想像力と演劇で、意識世界を変革する「精神の革命家」、演劇実験室「天井桟敷」主宰。スキャンダラスな作品と話題で時代を挑発し、1960年代〜70年代〜80年代を駆け抜けた異端のマルチクリエーター。「職業は寺山修司」の言葉どおりに、演劇・映画・写真・作詞・詩作・エッセー・短歌・競馬評論など多彩な活動を通じ、長大な1本の「寺山劇場」を演じ切った生涯。………<発言>「私の存在そのものが質問なのだ。その答えを知りたくて生きてるんだ。」「僕は政治主義が嫌いで、革命が好きである。」「政治的な革命というのは、部分的な革命に過ぎない。全人的な意味での革命とは、本当に自分が望んでいることがなにかを、知ることから始めなければならない。」「劇場があって劇が演じられるのではない。劇が演じられると、劇場になるのである。」「街は、いますぐ劇場になりたがっている。さあ、台本を捨てよ、街へ出よう!」「私たちはどんな場合でも、劇を半分しか作ることができない。あとの半分は観客が作るのだ。」「カーテン・コールで拍手をもらうことは、役者は楽しいかもしれないが、作品は終わったという予定調和で、俺はイヤだね。俺は、劇場で行われたことを、拍手で終わりにするのではなく、観客それぞれの現実生活に持ち帰ってもらいたいのだよ。」………<事件簿>「著作(1963年)・家出のすすめ」「著作(1967年)・映画(1971年)・書を捨てよ、町へ出よう」、これらに影響された多くの若者が家出し社会問題化、赤軍との関連を疑われた。…「(1970年)漫画登場人物への葬儀」、漫画「あしたのジョー」劇中で死亡した時代のヒーロー力石徹(架空の人物)を弔う前代未聞の葬儀を敢行、新聞やニュースに取り上げられ、全国から800人を超すファンが弔問、社会現象にも発展。1週間後には赤軍派学生による「よど号ハイジャック事件」が勃発、声明文は「我々はあしたのジョーである」。この年、「あしたのジョー」のファンだったという文豪・三島由紀夫は陸上自衛隊東部方面総監部に突入しクーデターを訴えて割腹自殺。全国各地で学生運動やデモが巻き起こり機動隊と衝突。彼らは「全共闘世代」と呼ばれ、多くは「あしたのジョー」の熱心な読者だった。…「市街劇(1975年)・ノック」、杉並区全域30ヶ所30時間、平穏な日常に一切の許可なく侵入、街中を舞台として同時多発的に進行、観客も劇団員も住民も区別がつかない市街劇。警察の出動・逮捕者・批判するマスコミなど、全てをトータルに取り込んだゲリラ演劇のテーマは、「人々の閉ざされた心をノックし意識を変革する」 。………<劇団レッスン内容>寺山修司が劇団員達に求めた物とは、演技力ではなく、あらゆる状況へ臨機応変に対応できる想像力。「1.今すぐ、思い浮かばない単語を三つ挙げよ。2.今すぐ、思う出せない唄を三つ唄ってみよ。3.今すぐ、想像できない土地を三つ描写せよ。」………<名言・歌詞>「どんな鳥も想像力より高く飛べる鳥はいない。人間に与えられた能力のなかで、一番素晴らしいものは想像力である。」「時には、言葉は思い出にすぎない。だが、ときには言葉は世界全部の重さと釣合うこともあるだろう。そして、そんな言葉こそが『名言』ということになるのである。」「たかが言葉で作った世界を言葉でこわすことがなぜできないのか。引き金を引け、言葉は武器だ。」「ぼくの詩のなかを、いつも汽車がはしってゆく。その汽車には、たぶん、おまえが乗っているのだろう。」「(力石徹のテーマ)親無し宿無しの名もないボクサーは、鎖をかみ切った!。行け荒野を、俺らボクサー、朝日が昇るよ男の胸に。」「(さらばハイセイコー)ふりむくな、ふりむくな、うしろには夢がない。」「(あしたのジョー)俺らにゃけものの血がさわぐ。だけどルルルル…あしたは、きっとなにかある。あしたはどっちだ。」………<プロフィール>寺山修司(1935-1983)。青森県弘前市生れ。県立青森高校在学中より俳句、詩に早熟の才能を発揮。早大教育学部に入学(後に中退)した1954年、「チエホフ祭」50首で短歌研究新人賞を受賞。『私性』を排したロマンとしての短歌で戦後短歌史に新しい1ページを開いた。以後、様々なジャンルで活躍。1967年、横尾忠則、東由多加、九條映子らと演劇実験室「天井桟敷」を設立。1983年、肝硬変と腹膜炎のため敗血症を併発、阿佐谷の河北総合病院にて死去。享年47歳。短い人生の間に300冊の本を出版、約20作の映画を制作、日本で最も生産的で挑発的・創造的な芸術家の一人。欧米では劇作家と映画監督として寺山の評判は高い。………<代表作リスト>劇作「毛皮のマリ-(主演・美輪明宏)」「書を捨てよ、町にでよう」「市街劇・人力飛行機ソロモン」「邪宗門(ベオグラード国際演劇祭グランプリ)」「30時間市外劇・ノック」「奴婢訓」「観客席」「レミング」、映画「書を捨てよ町へ出よう(サンレモ映画祭グランプリ)」「田園に死す(文化庁芸術祭奨励新人賞)」「ボクサー」「草迷宮」「上海異人娼館/チャイナ・ドール」「さらば箱舟」、著作「家出のすすめ」「競馬場で逢おう」「書を捨てよ、町へ出よう」「さかさま世界史 英雄伝」、作詞「かもめ(浅川マキ)」「時には母のない子のように(カルメン・マキ)」「あしたのジョー(尾藤イサオ)」「人の一生かくれんぼ(日吉ミミ)」「海猫(北原ミレイ)」「浜昼顔(五木ひろし)」、ほか。)

野口晴哉(スピリチュアル)、、公式サイト、、整体協会、、身体教育研究所、、全生社、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、書籍の紹介 (野口晴哉・代表的著書「風邪の効用」は、風邪を通して人間の心や生き方を見つめた名著。風邪は治すべきものではない、経過すべきものであるとした、この本から影響を受けた人間は数知れず。「整体」という言葉が普及する契機となった整体操法・野口整体の創始者。全ては、自分自身の感覚を研ぎ澄ます事に尽きると主張。日本の東洋医学を代表する最重要人物。…「病気になるのも、治るのも通して一つの自然の力です。同じ力であって、対立する力ではない。病気になったり治ったりしながら人間は寿命を全うするのです。病気を経過させれば新しくなる体も、病気にならなければじきにくたびれるのです。」「健康法とか、治療法とかが要るつもりになっているのは、知識に酔って生の感覚が鈍くなっているからだ。」「健康に生きていくことは知識の要ることではない。本能の勘をもっと敏感にし、自然にそなわっている感覚を鋭敏にすれば出来ることなのです。」………<プロフィール>1911年9月(明治44年) – 1976年6月22日(昭和51年)。夫人は、元首相で公爵近衛文麿の娘の野口昭子。12歳の時に関東大震災を体験し、焼け野原で苦しむ人たちが悼まれず、本能的に手をかざしたところ多くの人たちが快復、これをきっかけに治療家としての道を志す。古今東西の健康法や療術などを独自に探求し、15歳で入谷に道場を開き、愉気と活元運動を主体とした療術団体『自然健康保持会』を設立。また、17歳で「健康に生くることが自然順応の姿である」などとする『全生訓』を発表し、以後、一貫して「活き活きと生を全うする」ことを指針に据えた活動に入る。そして治療理念の確立、諸療術の体系化を図る「整体操法」をまとめ上げ、昭和22年には整体操法の指導者育成機関として『整体操法協会』を設立。昭和20年代後半には身体を通した人間の個性研究とも言える「体癖論」の基礎を完成させた。この頃から、病を治すことよりも人間本来の力を引き出して健康に導く自らの活動を「体育」と位置づけ、「治療」を捨てることを決意。何かに頼ることなく自らの足で立つことを指導理念に掲げ、昭和31年、そうした健康観に基づく体育団体『社団法人整体協会』を文部科学省(旧文部省)の認可を受けて設立。個人指導のほか活元運動の普及、愉気法などさまざまな整体法の講習会を全国各地で開き、心と体を一として考える独自の人間研究においても体癖をはじめ潜在意識の研究、子育て、教育などの分野にも踏み込み、多くの著作を残した。64歳で永眠。死ぬ前に弟子達を集め、自分は何月何日何時に死ぬよと告げて、その時間に自然に亡くなった。………<書籍リスト>野口晴哉「風邪の効用」「整体入門」「体癖」「健康生活の原理」ほか。野口昭子「回想の野口晴哉・朴歯の下駄」ほか。………<語録>「もっともらしく手を当てたりしていますが、実はたいしたことはしていないのです。人間は意識で納得しても、体は変わってこない。私は潜在意識に話しかける技術をもっていて、相手の心を自分の心のように動かすことができるのです。それで私と話しているとみんな元気になってしまうのです。」「治療するということは他人の不養生の後始末をやっているようなもので、私の治療手技が上手になればなるほど、安心して不摂生して体を壊している。あそこへ行けば簡単に治してくれるなどと横着な考えを起こして、安心して体を壊している。治療するということは、他人に依りかかることを奨励しているみたいなものです。そこで、大勢の人の身体を丈夫にするには、それぞれの体に適した使い方を指導するようになりました。一人一人が自分の裡なる生命の精妙な働きを自覚し、発揮すれば、人の力を借りないでも丈夫になれるのです。そのように誘導していくことが本当だと気がつきまして、治療術という面を全部捨てたのであります。」「生理的な背き、つまり異常を起こしているということは、自由の抑え、性の抑え、成長の抑え、自発性の抑え、要求の抑え、こういうものの反動が多いのです。病気の中にはそれに不平、不足つまり満足の抑えといったものをひっくるめて体の病気として返ってきているものが意外に多いのです。」「効く薬が多くなるほど、人の体は衰える。完璧な養生は人を弱くする。適応という働きはどの生命にも存在している。」「要求のないところに生はない。諦めは死だ。自分の為し得ない理由を自分に言いきかせ、自らを慰めていることを病という。」「溌剌(はつらつ)と生くる者のみに深い眠りがある。生き切った者にだけ安らかな死がある」「感じる、信じる、覚悟する、それから行動する。そうすれば疲れない、痛めない。病まない。」「健康とは、安全無事な肉塊をいうのではない。常に裡から、活き活きした力を産み出してやまない、そのはたらきこそ健康というのだ。」「病気が治ったらこうすると言っている人は、病気が治っても何もできない。こうするんだと立ち上がった人は、病気がなくなってしまう。」「この殻の中で息して身動き不自由だった人間が、一歩を踏み出し、輝く陽光を浴びた瞬間、今まで殻の中に閉じこもっていた自分を発見するであろう。」「働かされることは辛いが、働いていることは楽しい。だから働かされているつもりにならないで、自発的に動くことが肝腎である。冷たい水でも、浴びせられれば風邪をひくが、自発的に浴びれば風邪をひかない。めしでも食えなければ餓死するが、食わなければ断食して、丈夫になる。」「人間にとって興味というものは努力する積りなく努力させる力である。成功した人の苦心談が伝えられるが、その人は他人なら苦労することをも、苦労を感じないで行動したことが成功のもとであることは確かだ。」「旨ければ自ずと、つばが湧き、嫌なことでは快感は湧かない。楽しく、嬉しく、快く行なえることは正しい。人生は楽々、悠々、スラスラ、行動す可きである。」「いつ迄も若く活き活きと十全にその生を活かし切れる人が、いつも新しきことを空想し、新しきことを思いつき、それによって行動し、絶えず創造への道を歩んでいる。」「生くるとは創造することであり、それ故新しいことを考え行なうことが無くなると人は老いる。産む力を失ったことを老衰という。」「希望せよ。実現してもしなくても、希望しつづけよ。活力の源泉として必ず働く。」「問題は、体ではなく心である。人を責め、追求し、他人の過ちのために自分の労力を消費するが如きのことをなさず、自分を楽しくし他人を快くすることの空想を、いつも心の中に拡げて生きることが養生というものである。」「より良くなる。たとえ這ってでもよい。もう一歩、より良くなることは、人間の世の中をより良くする、それが生きているということだ。」

植芝盛平(スピリチュアル)、、公益財団法人合気会、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、youtube (数々の人間離れした武勇伝を残し、‎塩田剛三 · ‎植芝吉祥丸の直弟子を持ち、老境に至っても多くの“神技”を示した、不世出の天才武道家。「和の武道」「争わない武道」「愛の武道」「動く禅」として世界140ヶ国で普及する武道、合気道の開祖。………<合気道とは>(植芝盛平語録「合気神髄」から)「合気道の極意は、己の邪気をはらい、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我はすなわち宇宙」なのである。そこには速いとか、遅いとかいう、時間の長さが存在しないのである。この時間を超越した速さを、正勝、吾勝、勝速日という。正勝、吾勝、勝速日とは、宇宙の永遠の生命と同化することである。では、いかにしたら、己の邪気をはらい、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるであろうか。それには、まず宇宙の心を、己の心とすることだ。宇宙の心とは何か?これは上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ偉大なる「愛」である。愛は争わない。愛には敵はない。何ものかを敵とし、何ものかと争う心はすでに宇宙の心ではないのである。宇宙の心と一致しない人間は、宇宙の動きと調和できない。宇宙の動きと調和できない人間の武は、破壊の武であって真の武ではない。真の武道には敵はない、真の武道とは愛の働きである。それは、殺し争うことでなく、すべてを生かし育てる、生成化育の働きである。愛とはすべての守り本尊であり、愛なくばすべては成り立たない。合気の道こそ愛の現われなのである。だから武技を争って勝ったり、負けたりするのは真の武ではない。真の武は、正勝、吾勝、勝速日であるから、いかなる場合にも絶対不敗である。すなわち、絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬことである。勝つとは己の心の中の「争う心」に打ち勝つことである。己れに与えられた使命を成し遂げることである。」………<武勇伝>「身長157㎝・体重75㎏で、187㎝・116㎏の元大相撲力士・天竜を投げる」「30人の憲兵隊の襲撃を1人で返り討ち」「木村政彦にも勝利した柔道のチャンピオン阿部謙四郎を組み伏せる」「25mの距離から5人が撃った鉄砲をよけて、投げる」など。………<語録>「合氣とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。」「真の武とは、相手の全貌を吸収する引力の練磨。だから私はこのまま、立っていればいい。」「合気道は形はない。形はなく、すべて魂の学びである。」「人生は成長だ。もし、技術的にも精神的にも成長することをやめたら、私たちは死んだも同然だ。」「武道を修業する者に大切なこととは、宇宙の真象を腹中に胎蔵する事である。世界の動きを見て、それから何かを悟り、書物を見て、自分に技として受け容れる」「無駄に見過ごさないよう、しなければいけない。山川草木、ひとつとして師とならないものはない。」「相手の目を見てはいけない、目に心を奪われてしまうからだ。相手の剣を見てはいけない、剣に気が囚われてしまうからだ。相手を見てはいけない、相手の気に吸収されてしまうからだ。」「たしか大正14年の春だったと思う。私が一人で庭を散歩していると、突然天地が動揺して、大地から黄金の気がふきあがり、私の身体を包むと共に、私自身も黄金体と化したような感じがした。それと同時に、心身共に軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、この宇宙を創造された神の心が、はっきり理解できるようになった。その瞬間、私は『武道の根源は、神の愛――万有愛護の精神――である』と悟り得て、法悦の涙がとめどなく頬を流れた。その時以来、私は、この地球全体が我が家、日月星辰はことごとく我がものと感じるようになり、眼前の地位や、名誉や、財宝はもちろんのこと、強くなろうという執着も一切なくなった。」………<プロフィール>1883-1969、和歌山県出身、敬称は「翁(おう)」。20歳代前半までに天神真楊流・柳生流等の柔術や銃剣術を学び,武術的資質と強靱な体力を養った。また講道館柔道も学ぶ。1915年に大東流中興の祖といわれ剣・槍・柔術などに長じていた武田惣角に師事する。20年から綾部の大本教本部に居住し、出口王仁三郎から精神的影響を受けた。27年講道館評議員竹下勇 (海軍大将) の招きにより上京し、道場を設けて今日の隆盛の基を開いた。31年ころからしだいに武田を離れ,合気武術,合気武道と称して独立、42年以後合気道と称して戦後これを普及させた。太平洋戦争(大東亜戦争)中は軍部に有用性を認められ、陸軍憲兵学校・海軍大学校などで武術指導を行う。敬神家の彼は合気道の修行すなわち神道の行法であり、〈真理の鍛錬〉であるとした。その功績により60年紫綬褒章受章。64年勲四等旭日小綬章、69年正五位勲三等瑞宝章受章。交友、、南方熊楠(和歌山県の神社合祀反対運動において共闘。)、嘉納治五郎(盛平の神業を高く評価。後に弟子の望月稔らを皇武館に派遣。)、五井昌久(盛平を「神の化身」と高く評価。植芝は五井を「祈りのご本尊」と尊敬し親交。)、大山倍達(演武会や合気会本部道場を訪れ盛平と親交。)、など。書籍、、「合気道」「合気道技法」「武産合気-植芝盛平先生口述」「合気神髄-合気道開祖・植芝盛平語録」「“むすび”の武術と植芝盛平」「神仙道と植芝盛平」「開祖の横顔―14人の直弟子が語る合気道創始者・植芝盛平の言葉と姿」など。)

甲野善紀、、twitter、、メルマガ、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、youtube (異色の武術研究者。西欧文化の影響を受ける以前の古武術を、伝書と実技の両面から独立独歩で研究。近代科学の常識ではとらえきれない、独自の身体観と身体操作術を確立。………甲野善紀、1949年、東京生まれ。幼い頃から野山の自然を好み、育った多摩地方の丘陵が宅地開発されるのを悲しんで、将来は自然の中での牧畜に従事しようと、東京農業大学畜産科に進むが、畜産及び現代農業全体が効率最優先の工業化を目指していることに失望して、この道を断念。それに代わってさまざまな健康法や修行法、さらに思想、宗教等の方面に関心を広げ、実践的な体験を経た後「人間にとっての自然とは何か」を自分の身体を通じて実感し納得したいという切実な思いから武術を志す。合気道・鹿島神流・根岸流・剣術・抜刀術・杖術・薙刀術・体術などを学んだ後、1978年松聲館道場を建て、武術稽古研究会を主宰して活動を始める。その後、武術・武道に限らず、さまざまな分野の人々と交流し、多くの教えを受け、また、古伝書を読み込むなどして、試行錯誤しつつ技と術理を研究し、それらを、講座や書籍で発表している。1999年頃から、その技と術理がスポーツ・介護・楽器演奏・農業・ロボット工学などに応用されて成果が上がり、社会的関心が高くなったことで、より多くの世界と、より自由な対応をするため、また、武術の一研究者としての立場を明確にするため、2003年武術稽古研究会を解散する。以後、介護、工学、教育等の分野からも関心が高まり、2007年から3年間、神戸女学院大学の客員教授も務めた。 現在、各地で主に武術に関する講座や講習会を行っている。 さらに、2009年秋から数学者の森田真生氏と『この日の学校』を立ち上げ、各地で受験や資格を取るためではない学問そのものと向き合う講座を開いている。 また、ニホンミツバチの農業利用を通して、より自然な農業と、生き方を模索する活動を始めている。テレビ出演、「爆問学問・爆笑問題のニッポンの教養(NHK総合)」「課外授業ようこそ先輩(NHK総合テレビ)」「人間講座 古の武術に学ぶ((NHK Eテレ)」「SWITCHインタビュー 達人達・片桐はいり×甲野善紀(NHK Eテレ)」「徹子の部屋(テレビ朝日)」「コージ魂(BS日テレ)」など。著書、「武道から武術へ(学研)」「武術談義(黒田鉄山共著 壮神社)」「剣の精神誌(ちくま学芸文庫)」「自分の頭と身体で考える(解剖学者・養老孟司氏との対談 PHP研究所)」「薄氷の踏み方(精神科医・名越康文氏との対談 PHP研究所」「できない理由は、その頑張りと努力にあった – 武術の稽古で開けた発想 (聞き手・平尾文 PHP研究所)」「ヒモトレ革命 繫がるカラダ 動けるカラダ (共著・小関勲 日貿出版社)」など。)

辻信一(SDGs)、、FB、、Webショップ、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、youtube、、書籍の紹介 (日本人の価値観が転換し、SDGsへと繋がるキッカケとなる流れを創った、先進的な環境問題デザイナー・辻信一。「スローライフ」「100万人のキャンドルナイト」「しあわせの経済」「ハチドリのひとしずく」などのムーブメントを牽引。スローライフの商品を販売する「環境=文化NGO・ナマケモノ倶楽部」、オーガニックカフェの草分け「国分寺カフェスロー」を設立。それまでは、面倒臭い・役に立たない・カッコ悪い等と、煙たがられ続けて来た環境問題。それが彼の登場により、ファッショナブルでオシャレなライフスタイル、持続可能でカッコ良いロハスなビジネスへとチェンジ。………<書籍「ハチドリのひとしずく いま、私にできること(辻信一・監修)」から>「森火事に一滴ずつ水を運ぶハチドリに対して、森から逃げた動物たちは『そんなことして何になるのだ』と笑います。ハチドリは『私は、私にできることをしているだけ』と答えました…。」「ぼくと仲間たちは、クリキンディのお話を南米のアンデス地方に住む先住民族キチュアの友人アルカマリから聞いて、強く胸を打たれました。そして、ぼくたちにできることはいったいなんだろう、と考え始めました。最初に思いついたのが『そうだ、このハチドリの話をひとりでも多くの人に伝えることならできる』ということでした。それからぼくたちは、ひとりひとり色々な機会にこの話を語り伝えてきました。そんな思いのひとつひとつを、いまこうして一冊の本としてまとめることができました。この物語の続きを描くのはあなたです。」………<100万人のキャンドルナイト>夏至の夜、何万もの施設が一斉に消灯し、ロウソクの光の中でスピリチュアルに過ごす。意識的に電気を消すことで、エネルギー消費の少ない環境の心地よさを実感してもらう為のイベント。………<スローライフ>「社会における人間同士の繋がり」「人間と自然界との繋がり」が「健全であるためにはたっぷりとした時間が必要」との考え方。………<しあわせの経済>「グローバルからローカルへ」、経済という仕組みそのものを、もう一度自分たちの手に取り戻す活動。壊れかけた住民同士のつながりを、また人間と自然界とのつながりを修復し、生態系にも社会にも、そして個々人にも“癒し”をもたらす、ローカリゼーションへの転換。(映画「幸せの経済学」予告編、観れます。)………<プロフィール>辻信一(1952年 – )、環境運動家、文化人類学者、評論家、明治学院大学名誉教授。1977年北米に渡り、さまざまな職業に従事しながらカナダ・アメリカの諸大学で哲学・文化人類学を学び、1988年米国コーネル大学で文化人類学博士号を取得。1991年に帰国し、明治学院大学国際学部教授。1992年より2020年まで明治学院大学国際学部教員として「文化とエコロジー」などの講座を担当。2020年3月明治学院大学退職、同年名誉教授。カナダ・エクアドル・ミャンマーなどをフィールドに調査・環境活動を展開。「スローライフ」を提唱、「100万人のキャンドルナイト」呼びかけ人。1999年、ナマケモノというスローな動物の生き方をヒントに、持続可能な社会や暮らしへの転換を目指す「NGO・ナマケモノ倶楽部」を設立。「スロー」社、「カフェスロー」社など環境共生型ビジネスに取り組むほか、以下のNPOやNGOにも参加している。大地を守る会、マングローブ植林行動計画、いるふぁ、NAM、レインボーリング、プラネット・ドラム・ファウンデーション。デヴィッド・スズキやサティシュ・クマール、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジなど様々な環境活動家との交友関係があり、アースデイなど各地の環境保護イベントに呼ばれて講演をしている。著作、「スロー・イズ・ビューティフル」「スローライフ100のキーワード」「『しないこと』リストのすすめ: 人生を豊かにする引き算の発想」「スローメディスン―まるまる治る、ホリスティック健康論(上野 圭一と共著)」「ハチドリのひとしずく いま、私にできること (監修)」など。

田中優(SDGs)、、note、、FB、、twitter-1、、twitter-2、、youtubeチャンネル、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、私からの紹介文、、youtube、、本の紹介 (SDGsの為の、簡単に始められて、楽しく無理なく持続できる、シンプルな具体的方法を教えてくれるティーチャー、田中優。………<田中優の言葉>「自分が一歩動けば、社会は動きはじめます。」「1人の100歩よりも100人の1歩の方が、はるかに大きな力になるのです。」………<田中優の著書代表作>「戦争をしなくてすむ世界をつくる30の方法」「世界から貧しさをなくす30の方法」「おカネで世界を変える30の方法」「天然住宅から社会を変える30の方法」………戦争・環境破壊・健康破壊・貧困問題・原発依存など、この歪んだ世界。私達の無知が原因で、知らず知らずのうちに共犯者にさせられている現実。それらに対して、堅実な人物・田中優からの提案。身近な所では、投票行動・消費行動・貯金先などへの意識的選択。キーワードは「無理なく」「出来る事から」「楽しく」、持続可能性がポイントとの事。………<プロフィール>田中優(たなかゆう)1957年東京都生まれ。地域での脱原発やリサイクルの運動を出発点に、環境、経済、平和などの、さまざまなNGO活動に関わる。2012年末に岡山に移住。2013年5月、自宅では電力会社との電線をカットし電力会社に頼らない太陽光パネルと独立電源システムの生活、「オフグリッド生活」を始めた。2016年 自宅を国産無垢材で極力化学物質を使わない「天然住宅」で建てた。現在「未来バンク事業組合」理事長、「ap bank」監事、「一般社団法人天然住宅」代表、「天然住宅life」共同代表、「自エネ組」相談役を務める。横浜市立大学非常勤講師。 著書『どうして郵貯がいけないの』では、「郵政民営化以前の郵便貯金に集められた資金が、回り回ってアメリカの軍事費に利用されている」という主張を行った。『非戦』では、同時多発テロを受けてブッシュ大統領(当時)の強硬政策を批判した。また、映画『ZERO:9/11の虚構』への寄稿を行ったこともある。近年では六ヶ所村核燃料再処理施設の稼働反対運動に注力しており、各地で講演を行っている。 坂本龍一や桜井和寿ら、環境問題に取り組む音楽家との交流も多い。………<著書>他にも、「環境破壊のメカニズム – 地球に暮らす地域の知恵」「おカネが変われば世界が変わる・市民が創るNPOバンク」「原発に頼らない社会へ : こうすれば電力問題も温暖化も解決できる」「日本版グリーン革命で経済・雇用を立て直す」など。………<MIYA-JUNメッセージ>「『SDGs』。それは、『実現目標』などではなく、『最終通告』なのです。私達のチカラで、必ず達成させましょう!。」)

小倉ヒラク、、FB、、twitter、、Instagram、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、youtube (発酵文化の伝道師、発酵ブームの仕掛け人。下北沢「発酵デパートメント」オーナー。この店は、日本と世界の各地から集めた珍しい発酵食品・関連商品を販売し、食事も提供。発酵の事なら何でも揃う、世界中を見渡しても他に類を見ない超マニアックな店。………「すごく面白いのが、“発酵沼”に落ちていく人が続出したんですよ(笑)。最初は普通の醤油を買っていたのに、我慢できなくなって白い醤油を買っていったり、みなさんだんだんとマニアックになっていって。さらに、コミュニティができてワークショップをし始めたり。だから僕の役割は、普通の人を“発酵沼”に引きずり込むのが仕事なのかな、と思い始めていますね(笑)。」との事。………<プロフィール>小倉ヒラク(1983年 – )、発酵デザイナー。東京生まれ、早稲田大学文学部で文化人類学を学ぶ。卒業後、化粧品会社の商品パッケージや広告のデザイナーを経て独立。「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指し、全国の醸造家たちと商品開発や絵本・アニメの制作、ワークショップを開催。東京農業大学で研究生として発酵学を学んだ後、山梨県甲州市の山の上に発酵ラボをつくり、日々菌を育てながら微生物の世界を探求。絵本&アニメ『てまえみそのうた』でグッドデザイン賞2014受賞。2015年より「こうじづくりワークショップ」をスタート。2019年、渋谷ヒカリエd47 MUSEUMで「〜発酵から再発見する日本の旅〜」を開催、来場者は3万人超え。2020年、「発酵デパートメント」オープン。のべ1000人以上に麹菌の培養方法を伝授。大学等の一般向け講座で発酵学の講師も務めているほか、海外でも発酵文化の伝道師として活動。雑誌、ラジオ、テレビでも活躍。雑誌ソトコト『発酵文化人類学』の連載、YBSラジオ『発酵兄妹のCOZYTALK』パーソナリティも務めている。著作、「発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ」「日本発酵紀行」「発酵する日本」「おうちでかんたん こうじづくり」「図書館版 発酵菌ですぐできる おいしい自由研究」。)

松本哉、、FB、、twitter、、Instagram、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、youtube (ビンボー人・落ちこぼれ・マヌケ人間たちへの溢れる愛と、馬鹿馬鹿しいながらも共感を呼ぶユーモア・“遊び心”満載の奇想天外なアイデアで、閉塞した生きて行き難い社会に風穴を開けるべく活動する、伝染力抜群の脱力系革命家。………<思想>お金を使わず楽しく生きられる暮らし方を提唱。海外のオルタナティブスペースとも交流し、消費社会とは別の暮らし方をする人々の集まりが、日本・世界中に作られ、互いに連帯すれば、それこそが革命の実現ではないかとし、「世界マヌケ革命」を宣言。既存の左翼運動に対しては「楽しくない」と感じており、難しい理念を訴えることには否定的。規制や抑圧が少なく、街頭で自由に騒いだり酒を飲んだりできるような世の中を理想とする。………<プロフィール>1974年東京生まれ。ニュータイプの左翼活動家、古物商。東京・高円寺で、リサイクルショップ「素人の乱5号店」・日替わり店主スタイル「なんとかBAR」・ゲストハウス「マヌケ宿泊所」を運営。高円寺北中通り商栄会副会長。任意団体「貧乏人大反乱集団」「高円寺ニート組合」主宰。抗議活動での逮捕歴は多数。著作、「貧乏人の逆襲! タダで生きる方法」「素人の乱(二木信-共編)」「さよなら下流社会(鈴木謙介-共著)」「貧乏人大反乱」「世界マヌケ反乱の手引書: ふざけた場所の作り方」。………<学生時代>1994年、法政大学法学部第二部政治学科に入学。「法政の貧乏くささを守る会」を結成。同会は、授業に出席しない学生の居場所の保全、学生生活の改善、学費値上げ反対、校舎改築反対などを訴え、鍋闘争(屋外に炬燵を置き、鍋物を囲み酒を飲む)・飲酒闘争(炬燵やテレビを持ち込み、ひたすら酒を飲む)・焼肉闘争(大学当局の事務室前に炬燵を置き、焼肉を行う)・くさや闘争(事務室前でくさやを焼く)・学食闘争(味や値段への不満を訴えて集団で学生食堂に突入し、値下げを実現させる)など、マヌケな反乱(自称「闘争」)を開始。上部団体「全日本貧乏学生総連合(全貧連)」を結成。機関紙「貧乏人新聞」を発行。………<大学卒業後>都内各地の駅前で鍋をやり通行人を巻き込み路上を解放する「駅前ゲリラ鍋集会」、PSEマークの無い電化製品が取引できなくなる問題に対する「PSE法反対デモ」、鉄道駅構内トイレのトイレットペーパー無料化を求める「3人デモ」、放置自転車の撤去に反対する「俺のチャリを返せデモ」、「家賃をタダにしろデモ」、いたずらに消費を誘起する行事へ抗議する「新宿駅前路上・クリスマス粉砕鍋集会」ほか、とんでもないデモを敢行。ドキュメンタリー映画「素人の乱(監督:中村友紀)」公開。松本をモデルにした映画「おやすみアンモナイト(監督:増田俊樹)」公開。アジア各国のマヌケ人間たちが一堂に会する「食って・遊んで・交流して・寝る・7日間」のイベント(ライブ、トーク、展示、飲み会、運動会)「NO LIMIT東京自治区」を東京・高円寺を中心に都内各地で開催。(高円寺の魅力については、拙著「ぶらり中央線各駅停車スピリチュアルの旅Vol.-1高円寺こちらから。)………<選挙への出馬>2007年、杉並区議選に立候補。旗印は「杉並に貧乏人の一揆を!」「革命後の世界を先につくるぞ!」。公約は「路上の解放」「放置自転車の撤去反対」「路上喫煙解禁」「路上の監視カメラ撤去」。選挙活動を名目に、高円寺駅前でDJと音響機材を使い、大音量でロックバンドなどの演奏、ダンスといった「街頭演説」を連夜にわたり行ない、町中を練り歩きパニックを巻き起こし、若者主導のカーニバルを生み出した。………<「4・10原発やめろデモ!」>2011年、東日本大震災による原発事故を受け、「自分の街で声をあげよう」とインターネット上で呼びかけ、約1万5千人が高円寺の街に集結。DJブースやステージを載せたトラックを中心に、ピエロ風の仮装をした一団・チンドン屋・楽器を持ったバンドマン、音楽・アート・コスプレ・パフォーマンス、ラップに合わせた合いの手など、お祭り騒ぎのようにパレードするサウンドデモのスタイル。参加者の90%が、普段は政治活動に無縁なデモ初参加者という、日本における抗議行動の在り方を変える事となる、画期的でカジュアルなデモを主催。その後、「5・7原発やめろデモ!渋谷・超巨大サウンドデモ!」と続け、「6・11新宿・原発やめろデモ!」では約2万人を動員。

 

探求者たち・A

ウラジーミル・メグレ(スピリチュアル)、、公式HP、、(覚醒者)アナスタシア、、(出版社)アナスタシア・ジャパン、、(Webショップ)アナスタシア・ジャパン、、本人のメッセージ-1、、本人のメッセージ-2、、書籍の紹介、、youtube (大人気シリーズ「アナスタシア・ロシアの響きわたる杉」(現10巻)の著者。1950年、ウクライナ生まれ。元シベリア実業家組合長。在任期間中にアナスタシアとタイガの森で出会う。その体験を綴り、1996年にモスクワで自費出版。その後、ベストセラーを記録。2011年グシ平和賞受賞。シリーズは2500万部を超え、25カ国語に翻訳されている。………「シベリア・タイガの森で隠遁生活する、たぐいまれな美貌と叡智と超能力を備えたアナスタシアが語る、人間と自然、宇宙、そして神についての真実」は、ロシア政府をも動かす程の巨大ムーブメントへと発展。更には、世界的規模の広がりを見せている。日本では、株式会社直日(アナスタシア・ジャパン)から出版され、同社代表と翻訳監修を務める岩砂晶子が中心となり、アナスタシアの教えを広めるべく活動中。)

ダリル・アンカ(スピリチュアル)、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、書籍の紹介、、youtubeバシャール(BASHAR)と呼ばれる高次元宇宙存在からのメッセージを伝え、スピリチュアル・ファンの間に大ブームを巻き起こしたチャネラー。1973年に潜在意識のなかで、産まれる前にしたバシャールとの約束を思い出し、現象学の研究・勉強、霊媒やチャネラーに会い指導を受けているなかで、エネルギーに敏感になったダリルにバシャールがコンタクトをとりはじめる。1984年以来、世界各地でチャネラーとして活躍。1987年に初来日。現在は、ロサンゼルスを中心に活動中。1951年生まれ。ハリウッド映画の特殊効果デザイナー、自ら経営する映像制作会社「ジア・フィルムLLC」の監督・作家・ディレクター・プロデューサー。特殊効果デザイナーとして手がけた作品、「スター・トレック」「アイ、ロボット」「パイレーツ・オブ・カリビアン」「ダイ・ハード4.0」「アイアンマン」など。監督作、バシャールとの出会いを振り返ったドキュメンタリー映画「ファーストコンタクト」。著作、「粉々になった鏡のカケラ第1篇・クリプティック‐謎‐」。)

エンリケ・バリオス(スピリチュアル)、、アミ 小さな宇宙人、、アミ プロジェクト、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6(拙著)、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2 (不朽の名作「アミ 小さな宇宙人」シリーズの著者として知られる作家エンリケ・バリオス。1945年、チリのサンティアゴ生まれ。若かりし頃から自己探求の為に世界各地を旅して、人生の意味・神の存在・死後の世界について考察。世界のあらゆる宗教、神秘的なアボリジニの精神哲学、伝統哲学、心理学などを学ぶ。意識拡大を経験し、宇宙至高の本質を掴み、自らの使命を悟り、39歳で著述を開始。小さな印刷所から1986年に出版された「アミ小さな宇宙人」は、口コミで広まり世界11カ国でベストセラーを記録、静かなアミ-ブームを巻き起こした。日本語訳では、女性漫画家の「さくらももこ」が挿絵を担当。エンリケ・バリオス作品は、それ以降トータルで12作、世界中で数百万人の人に読まれている。著作は、、「アミ 小さな宇宙人」「もどってきたアミ―小さな宇宙人」「アミ3度めの約束―愛はすべてをこえて」「魔法の学校」「ツインソウル」など。)

コリーヌ・セロー(スピリチュアル)、、美しき緑の星、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7(拙著)、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2日本のスピリチュアリスト達の間で話題騒然となった、アセンションの為の映画「美しき緑の星」を監督・脚本・主演して制作。コリーヌ・セロー(1947年・パリ – )、フランスの映画監督、脚本家、女優。最大の商業的ヒット作、1986年のコメディ映画『赤ちゃんに乾杯!』、セザール賞3部門を受賞。アメリカでも評判となり、リメイクされる程の人気となった。………<「美しき緑の星」あらすじ>地球よりも遥かに小さな惑星である美しき緑の星は、豊かな自然に恵まれ、人々は自給自足で助け合う循環社会を形成している。大都市も身分制度もないユートピアの美しき緑の星の住民にとって、貨幣制度や戦争を繰り返す地球という惑星は、極めて原始的な文明レベルにあるだけでなく、まるで地獄のような星。美しき緑の星には「星外派遣」という任務があり、文明化が遅れている惑星に美しき緑の星の住民が派遣され、その星の現状を調査したり、文明の方向性を軌道修正したりする。「わたし、行ってみたいわ」 危険な惑星である地球への派遣に、美しき緑の星の住人は誰も手を挙げて行きたがらない中、勇気ある主人公ミラ(コリーヌ・セロー)が地球派遣の任務に1人手を挙げる。そして、美しき緑の星、宇宙の常識から見た、今の地球は一体どんな視点で見えるのか。)

ベアードT.スポルディング(スピリチュアル)、、霞ヶ関書房、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、書籍の紹介 (スピリチュアル本の原点にして頂点ヒマラヤ聖者の生活探求(全5巻)」(1924年の出版)を著述。ベアード・トーマス・スポルディング(1872–1953)、作家、鉱山技師。米国ニューヨーク州で誕生。)

モーリス・ドリール(スピリチュアル)、、白朋舎、、霞ヶ関書房、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、書籍の紹介 (1902年 – 1963年。キリストの秘教・カバラ・ヨーガの秘密など超古代の叡智、現代に伝えるべく活動白色寺院同胞団(ブラザーフッド・オブ・ザ・ホワイト・テンプル・チャーチ)を創立。自ら発見・翻訳したと主張する「エメラルド・タブレット」についての著作を発表。)

デヴィッド・R・ホーキンズ(スピリチュアル)、、Webショップ、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、書籍の紹介、、youtube (画期的な名著「パワーか、フォースか」を著述。人間の意識レベルを測定するシステム「キネシオロジー」の開発者。デヴィッド・R・ホーキンズ(1927年-2012年)米国ウィスコンシン州で誕生。医学博士。 米国精神医学会終身会員。 1952年より精神科医として活動し、セラピスト及び講演家として広く知られている。現在はアリゾナ州セドナで治療と執筆を行うかたわら、「高度なスピリチュアル研究所」の主任を務めている。 1996年、デンマークの皇室よりナイト爵の称号を与えられた。 韓国政府からも称号を受けている。 幼少の頃に覚醒体験をし、その後も覚醒体験を深めていった。精神科医としても実績を積み、多くの患者を助けた。キネシオロジーテストによって意識の分野を測定できることを見出し、世界的な評価を得る。著作、第一作『パワーか、フォースか』第二作『The Eye of the I』(未邦訳)第三作『I <わたし> ― 真実と主観性』ほか、数冊の著書がある。『パワーか、フォースか』は、マザー・テレサはじめ世界中から多くの賞賛を受けた。)

ドランヴァロ・メルキゼデク(スピリチュアル)、、School of remembering、、Awakening heart with Lu ka、、Spirit of Ma’at、、youtubeチャンネル、、ナチュラルスピリット、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、書籍の紹介、、youtubeスピリチュアルの教科書として価値を持つ名作「フラワー・オブ・ライフ」(世界29ヶ国語に翻訳され、100を超える国で読まれている)で、古代にマカバとして知られていた人間のライトボディを、現代に初めて数学的かつ幾何学的に解き明かして定義し紹介。ドランヴァロ・メルキゼデク(1941年-)、作家・研究者・教師・瞑想家。米国カリフォルニア州で誕生、カリフォルニア大学で物理学と美術を専攻、アリゾナ州セドナ在住。個人の成長を促し、この時代の人類意識の変革を伝えることを目的に「The School of Remembering」を創立。神聖幾何学マカバの活性化を広めるワークショップ「Awakening The Illuminated Heart (ATIH)」を、人間の健康・平和・幸福の達成の支援のため、世界60ヶ国以上で開催。著作、「フラワー・オブ・ライフ 古代神聖幾何学の秘密(全2巻)」「ハートの聖なる空間へ」「サーベント・オブ・ライト」「マヤン・ウロボロス」など。)

ジェーン・ロバーツ(スピリチュアル)、、セスは語る、、セス・ネットワーク・ジャパン、、セス学びのセンター、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、書籍の紹介-1、、書籍の紹介-2、、youtube (元祖チャネラー。1972年にアメリカで発刊され、世界に衝撃を与えた歴史的名著「セスは語る」で、魂について・多元的宇宙とは何か・神について・物質を超えた次元などを遠大な視点から掘り下げ、チャネリング書という新たなジャンルを確立。ジェーン・ロバーツ(1929–1984年)、米国ニューヨーク州サラトガ・スプリングス市に生まれる。詩人、著作家として活動するかたわら、「セス」と名乗る高次元存在をチャネリングするようになり、そのメッセージは画家である夫ロブ・バッツ氏によって記録され、一連の「セス・ブック」シリーズとして出版。世界11カ国語に翻訳され、700万部以上を売り上げる。著書は、「セスは語る」「セス・ブック 個人的現実の本質」「セス・マテリアル」など。)

バーバラ・マーシニアック(スピリチュアル)、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、書籍の紹介、、youtube (ベストセラー「プレアデス+かく語りき」を著述した、国際的に評価の高いトランス・チャネラー。バーバラ・マーシニアック、作家、講演者、社会科学博士、季刊ニュースレターThe PleiadianTimesの発行者・編集者、アメリカ北カリフォルニア出身。1970年代にジェーン・ロバーツ率いるセス・マテリアルの学生となり、1988年からギリシャのアテネでプレアデス人とのチャネリングを開始。アメリカ合衆国各地でワークショップやセッションを開催するほか、ペルー・メキシコ・エジプト・ギリシャ・オーストラリア・バリなど聖地の調査、個人・地球・宇宙の変容のための機会を結び合わせる活動を続けている。著作、「プレアデス+かく語りき~地球30万年の夜明け~」「プレアデス+地球をひらく鍵」「プレアデス 光の家族」など。)

オレリア・ルイーズ・ジョーンズ(スピリチュアル)、、Telos Brasil、、MSLPublishing、、Telos Japan-1、、Telos Japan-2、、Telos Japan-3、、レムリアン・メロディ-1、、レムリアン・メロディ-2、、レムリアン・シティ、、Light in Light、、レムリアン・ポータル、、紹介記事、、書籍の紹介、、youtube (米国カリフォルニア州シャスタ山の「地下都市テロス」に住む、レムリア人「大神官アダマ」からのメッセージを伝えるチャネラー。オレリア・ルイーズ・ジョーンズ(1941-2009)、カナダ・モントリオールで誕生。1997年、米国モンタナ州在住中、アダマと「テロスの光のレムリア評議会」から指導を受ける。翌年、彼らとの任務の準備のため、シャスタ山近郊へと移住しチャネラーとなる。他にも、動植物・鉱物などともつながり、自然環境や動物保護に関連したメッセージも伝える。出版活動のほか、世界各地で講演やワークショップを開催。著作、「レムリアの真実 シャスタ山の地下都市テロスからのメッセージ」「レムリアの叡智」「新しいレムリア」など。)

リサ・ロイヤル(スピリチュアル)、、VOICE、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、書籍の紹介、、youtube (資料としても価値ある名作「プリズム・オブ・リラ」を著述。国際的に認められたチャネラー・講師・作家。リサ・ロイヤル、米国アリゾナ州フェニックス在住。マサチューセッツ州立大学ボストン校に在学中、心理学を学ぶなかで自己催眠から変性意識状態に入る方法を習得する。1979年、家族とUFOを目撃したことをきっかけに、地球外の文明に関心を抱く。1980年代の前半、チャネリング能力を開発する集中訓練を受けて(BASHARをチャネリングするダリル・アンカとクラスメート)、人類と宇宙人の結びつきに関する詳細な情報を受信し始める。銀河系宇宙の集合意識「ジャーメイン」やプレアデスの女性意識「サーシャ」、シリウスの大使「ハモーン」などの存在を通じて、宇宙的な視野から見た地球の歴史や役割、そして未来などに関する情報を伝えるために、世界中でセミナーや個人セッションを行っている。ハートフルな優しい人柄と的確なアドバイスで絶大な支持を得ている。著作、「プリズム・オブ・リラ」「宇宙人遭遇への扉」「宇宙人 内なる訪問者」「アセンションの道しるべ」「コンタクト 意識変容への扉」など。)

カルロス・カスタネダ(スピリチュアル)、、Japanese Pages Introduction、、Twitter bot、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、書籍の紹介、、youtube (ネオ・シャーマニズムの先駆者。カルロス・カスタネダ(1925/31? – 1998年)、ペルー生まれのアメリカの作家・人類学者。UCLAで文化人類学を学び、ヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファン・マトゥスの下での修行を著作で記述。その著作には、呪術師との哲学的な対話や薬草を用いた意識の変容体験等が、社会学や人類学のフィールドワークを下敷きにした、生き生きとしたルポルタージュの様式によって描かれている。公式な場面に姿を見せなかったため、謎が多い作家としてさまざまな推測を生んだ。「ドン・ファンの教え」を通して語られた非西欧的な知恵は読者を魅了し、アメリカ合衆国を中心として世界に広がったカウンターカルチャー全般、とりわけスピリチュアリズム、ニューエイジ運動などに影響を与えた。作家のよしもとばなな、音楽家の細野晴臣もカスタネダの著作を愛読書として挙げているほか、漫画家の藤原カムイの初期作品に影響が見られる。おなじく外薗昌也の漫画『ワイズマン』は直接の影響関係にある。元格闘家の須藤元気が自身の著作で『呪術師と私』を紹介したことから再び注目されている。)

オムネク・オネク(スピリチュアル)、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、書籍の紹介、、youtube地球人になった金星人。オムネク・オネク(1955年 -)、地球名はシーラ・シュルツ。アストラル界(5次元)の金星から、自らの体の波動を低下させ地球に舞い降りた少女、オムネク・オネク。交通事故で亡くなった幼女シーラと入れ替わり、シーラの今世でのカルマを引き受けたオムネクは、地球社会で長年にわたる悪夢のような試練に耐えることになる。そして時が満ち、次元上昇へと向かう地球の人々の意識の目覚めのためにメッセージを届ける。著作「私はアセンションした惑星から来た」など。)

スザン・ワード(スピリチュアル)、、紹介記事、、書籍の紹介 (スザン・ワードがチャネリングする「マシュー・ブック」は、地球人類の進化を援助する、ニルヴァーナからのメッセージ。日本語訳は森田玄HPから発信。………<「BOOK著者紹介情報」>「スザン・ワード。1980年に17歳の息子、マシューとの突然の死別を体験する。それから14年後、マシューとのテレパシー交信が始まる。それまでジャーナリズムの仕事をしてきたことが、マシューやその他の高次の存在らとの交信を活字にして出版するという今世の使命への準備だったことを知る。全4巻のマシュー通信の発刊後も、マシューとの通信は今なお続いており、その内容はホームページを通して世界中に公開されている。ワシントン州郊外に夫のボブと、引きとった多くの犬たちとともに暮らしている。」)

ミヒャエル・エンデ(スピリチュアル)、、(児童文学書)「モモ」、、ミヒャエル・エンデ館、、黒姫童話館、、100分de名著、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、書籍の紹介-1、、書籍の紹介-2、、書籍の紹介-3、、youtube-1、、youtube-2、、youtube-3人生で読むべき本を1冊だけと言うのならコレ、不朽の名作「モモ」(児童文学書)の作者。また、この作品に、お金への独自な問題意識を込める彼は、「老化するお金」、「時とともに減価するお金」、「地域通貨」を生み出す「共生の思想」など(「エンデの遺言 ~根源からお金を問う~」)、卓越した思想家の一面も併せ持つ。現代の問題を表面的に扱うのではなく、根源的な人間の問題として訴えかける彼の作品には、「(子ども向け)ファンタジー」という言葉には収まりきれない、普遍的な「物語」の魅力がある。「モモ」、国内累計発行部数 350万部。豊かな想像力とユーモア、深い人間愛に満ちたファンタジーは、世界中の言葉に訳されて,子どもから大人まで幅広い読者に愛されている。ミヒャエル・エンデ(1929-1995)、作家。南ドイツのガルミッシュで誕生。父は、画家のエトガー・エンデ。高等学校で演劇を学んだのち、ミュンヘンの劇場で舞台監督をつとめ、さまざまな戯曲・詩・小説、映画評論などを執筆。1970年にイタリアへ移住、1985年にドイツにもどり、1995年8月、シュトゥットガルトで逝去。著作、「モモ」「はてしない物語(ネバーエンディング・ストーリー)」「ジム・ボタン」など。)

ファルコ・ タラッサコ(スピリチュアル)、、プロフィールB、、プロフィールC、、ダマヌール、、植物の音楽、、ブラール・タレイ、、セルフィック・ペインティング、、プラノテラピー、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2真理の探究と実現を目指すスピリチュアル・コミュニティー連合体「光の都市ダマヌール」創設者。ブラールタレイ・セルフィックペインティング・プラノテラピー・スピリチュアル物理学など、アトランティスのアート&テクノロジーを復活させ、現代に甦らせたアーティスト。ファルコ・タラッサコ(オベルト・アウラウディ、1950~2013)、哲学者・画家・ヒーラー・詩人・作家、ユーモアに満ちたスピリチュアルガイド。啓発的で実践的なヴィジョンを示し、メディテーション・スピリチュアルヒーリング・錬金術・儀式・催眠の学校をスタートさせ、独自の憲法・補完通貨・エコシステムなど、団結・共有・相互の思いやり・環境への敬意に基づく、豊かなリアリティーを創造。)

ドロシー・マクレーン(スピリチュアル)、、フィンドホーン、、日本教文社、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、書籍の紹介、、youtubeフィンドホーン共同体の創設者。ドロシー マクレーン(1920年1月7日– 2020年3月12日)、カナダ・オンタリオ州生まれ、作家・教育者。西オンタリオ大学を卒業後、第二次世界大戦中、英国諜報部に勤務する。その後、イギリスに住んでいる間に、生命の本質の探求を続け、ついに内なる神との意識的交信をはじめた。1962年、ピーターとアイリーンのキャディ夫妻とともに、北スコットランドでフィンドホーン共同体を設立した。彼女は自然界の精霊と交信することにより、有名なフィンドホーン・ガーデンの誕生に寄与した。1973年、スコットランドを離れて、カリフォルニアに移り、そこでロリアン協会の設立に参加した。アメリカのワシントン州とカナダで活躍、「地球とつながる―精霊の意志との同調」というワークショップを開催。2010年に公的生活から引退し、フィンドホーンに帰郷。2012年のフィンドホーン財団50周年記念式典で92歳を迎える。2020年、ドロシー・マクレーン100歳、フィンドホーンで死去。著作、「天使の歌が聞こえる」「大地の天使たち」「樹木たちはこう語る」など。)

ディーパック・チョプラ(スピリチュアル)、、HP-1、、HP-2、、日本語サイト、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、書籍の紹介、、youtube (代替医療のパイオニア、心と体の医学や人間の潜在能力の分野(ウェルビーイング)における世界的な第一人者。日本では知名度が低いが、この分野では最も成功を納めた人物。「完全な健康」「病気がなく、痛みを感じることのない状態」「老化も死ぬこともできない状態」に達する可能性を提唱。カルトやオカルトの要素を感じさせない事もあり、支持者が多く、各国の王室・大統領・首相経験者などの政界のリーダーたちや一流企業経営者たちのメンター役を務める。クリントン元米大統領、ゴルバチョフ元ソ連大統領、チャールズ皇太子、故ダイアナ妃、 故マイケル・ジャクソン、マドンナ、デミ・ムーア、レディー・ガガ、ミランダ・カー、マイク・マイヤーズ、オリビア・ニュートン=ジョン他、 多くのハリウッドセレブ達からの信望が厚いことでも有名。ディーパック・チョプラ(1946年-)、インド出身。医学博士・作家・チョプラセンター創設者、米国内科学会上級会員、ギャラップ社上席研究員。タイム誌の「20世紀の英雄と象徴トップ100」に選ばれ「代替医療の詩人・予言者」と称される。ワールド・ポスト社とハフポスト社が行った調査の結果、世界で影響を及ぼしている思想家の第40位・医療分野における第1位、エスクアイア誌の「動機づけの素晴らしい演説者」全米トップ10、国際トーストマスターズクラブの「際立った演説者」世界トップ5などにも選出。著書は35ヶ国に翻訳され発行部数2000万部以、「宇宙のパワーと自由にアクセスする方法」「あなたの年齢は『意識』で決まる」「あなたの運命は『意識』で変わる」「宇宙はすべてあなたに味方する」「富と成功をもたらす7つの法則」など。

 

探求者たち・B

三浦関造(スピリチュアル)、、竜王文庫、、書籍の紹介 (1883年 – 1960年。精神世界ブーム以前の1950年代から、大衆的スピリチュアリズムを日本に広めた功労者。教育論者、翻訳家、民間精神療法家、ヨーガ行者、神智学徒、メタフィジカル教師。ヨガ実践団体「竜王会」、出版社「竜王文庫」を創設神智学を積極的に紹介し、神智学関係の書籍とヨガ行法の解説書を出版。機関誌『至上我の光』を発刊。ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー、パラマハンサ・ヨガナンダ、アリス・ベイリー、モーリス・ドリールなどを、いち早く紹介。著作「真理の太陽 綜合ヨガ」「神の化身」「天性心理学」「人間の秘密」「大直感力」「聖シャンバラ 綜合ヨガ」「宇宙の法則と古聖の神智」「帰依の統一」「マニ光明ヨガ」「輝く神智 ヒーラー(秘教治療家)の為の秘伝」など。)

中山康直(スピリチュアル)、、弥栄の会&アサノハ、、Webショップ、、ラジハピ、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4(拙著)、、紹介記事-5(拙著)、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2 (麻(ヘンプ)のある、新しいライフスタイルを提案する伝道師。縄文エネルギー研究所所長、中山弥栄(いやさか)塾塾長、民族精神学者。1964年、静岡県生まれ。13歳の時に臨死体験し、惑星文化の記憶を授かる。21歳の時に、放浪先のアジア各地で出合ったヘンプが、臨死体験とリンクした事から、自らの使命を自覚。地球に麻文化を復活させ、宇宙の叡智を伝える活動を開始。1996年に、栽培と研究のため、戦後の民間では初めて大麻取扱者免許を取得。麻の実油で日本を縦断したヘンプカープロジェクトを皮切りに、講演会・イベント企画・TV番組プロデュース(窪塚洋介との「地球維新」)・麻産業のコンサルタント・ヘンプ製品の開発事業など、精力的に活動。著書、「麻ことのはなし」「地球維新」「反転の創造空間」「瀬織津姫システムと知的存在MANAKAが近現代史と多次元世界のタブーを明かす」「もうやめよう嘘と隠しごと 健康大麻という考え方」など。また、忘れ去られていた発禁映画「美しき緑の星」を発掘し、普及にも尽力。)

半田広宣(スピリチュアル)、、ヌースコーポレーション、、ブログ、、FB、、twitter、、youtubeチャンネル、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、書籍の紹介、、youtube (自らを「冥王界のオコツト」と名乗る意識存在とのチャネリング対話から洞察された、物質と精神を空間的視点から統合する「ヌーソロジー」というポスト科学主義の宇宙論を提唱。「ヌース理論」のレクチャーを全国各地で実施、ヌースアカデメイア・ヌースコーポレーションを設立。エーテルとアストラルのエネルギーを空間から呼び込んで、室内をパワースポット化する装置「NCキューブ」や、食品・化粧品・生活用品など、未来型健康商品を開発・製造・販売。1956年福岡県生まれ、武蔵野学院大学スペシャルアカデミックフェロー、ヌースコーポレーション代表取締役、意識物理学者。著作、「人類が神を見る日」「シリウス革命」「光の箱船」「反転の創造空間」「シュタイナー思想とヌーソロジー」「奥行きの子供たち」。)

Kan.(スピリチュアル)、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、書籍の紹介、、youtube道教(タオ)に伝わる覚醒のための秘術「クンルンネイゴン」の正統な継承者。肉体ごとテレポテーションする人物。Kan.、道教名は天仙。幼少の頃より武術に親しむ。ラグビー選手時代に脊椎損傷、車椅子の生活を余儀なくされたが、ある人物がもたらしたワークにより完治。その後、本格的に氣の修行に入る。長年にわたり呼吸法の実践指導にあたる傍ら、世界各地の偉大な覚者、神秘家、シャーマン、武術家らと親密に交流を重ね、数々の秘術を体得。2005年、クンルンマスターであるマックス・クリスチャンセン氏と運命的な出会いを果たす。2006年5月、世界初のクンルンファシリテーターとして公式に認定される。2010年には、タオイストの究極の状態と言われるゴールドドラゴンボディの達成を認められ、正式にクンルンネイゴンインストラクターの称号を受ける。今までに1000名以上にクンルンネイゴンを伝授し、その経験と実績で多くの受講者の信頼を得ている。現在では、アメリカ・ヨーロッパ・イスラエルなど世界中でワークショップを開催。著作、「時空を超えて生きる―潜象界と現象界をつなぐ」「問題は解決するな」「この次元に閉じ込められたすべての者たちへ― 時間と空間を突破する叡智を授ける(共著:ゲリー・ボーネル)」)

グレゴリー・サリバン(スピリチュアル)、、JCETI、、ET Spi、、Disclosure Japan、、メッセージ、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、書籍の紹介、、youtubeETコンタクト・ガイド、アセンション・ガイド。グレゴリー・サリバン(1977年-)、ニューヨーク生まれ、作家・ミュージシャン・音響エンジニア・音楽プロデューサー、JCETI(日本地球外知的生命体センター)代表。2003年から日本に在住。2007年にアメリカの隠れた聖地アダムス山でETの宇宙船と遭遇し、宇宙とのコンタクトのスイッチが起動する。日本人のこれまでの“宇宙人”や“UFO”という概念を書き換え、アセンションサポートをおこなうという使命を持ち、2010年にJCETIを設立。現在すでに始まっている、他の知的文明との持続的で平和なコンタクトを含む宇宙研究について、数多くの発表やワークショップを開催。日本各地で世界共通ETコンタクト法「CE-5」を500回以上行っており、ETコンタクトを体験者は5000名を越える。「YOUは何しに日本へ?」「笑っていいとも!」ほか、テレビ、映画などのメディアにも多く登場。日本語を流暢に話し、その謙虚で明るい人柄を慕うファンが国内で急増中。著作、「あなたの前に宇宙人が現れます」「あなたもETとコンタクトできる」「だいじょうぶ!」「宇宙意識で生きる地球人のためのスピリチュアルガイド」など。)

足立育朗(スピリチュアル)、、形態波動エネルギー研究所(IFUE)、、FALF研究会、、NINNA研究会、、樹生(JUNA)建築研究所、、ワールドハーモニー・テラ、、株式会社DENEQEN(デネケン)、、ナチュラルスピリット、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、書籍の紹介、、youtube (名著「波動の法則」作者。足立育朗、1940年、東京都生まれ。1964年、早稲田大学第一理工学部建築学科 卒業。1968年、樹生建築研究所 設立。1990年、形態波動エネルギー研究所 設立。宇宙は、エネルギー及び物質の振動波で構成されていることを真の科学として直覚し、研究・創作活動として実践する。すべての存在、現象はエネルギー及び物質の振動波であることを自らの周波数変換によって発見し、振動波科学の基礎的研究活動を行い、時空が意識と意志及び、振動波と時空元が全て回転することによって成り立っていることに気づき、自然の法則に適った地球文化の創造に役割を続ける。著書、「波動の法則 ― 宇宙からのメッセージ」「真 地球の歴史 波動の法則2」「波動の法則 実践体験報告 ― 足立育朗が語る時空の仕組と現実」。)

足立幸子(スピリチュアル)、、ワールドハーモニー・テラ、、有限会社シンデュウ、、FALF&ARUT LaPLAYHM、、株式会社DENEQEN(デネケン)、、昴の木、、ナチュラルスピリット、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、書籍の紹介、、youtube (名著「あるがままに生きる」(累計25万部超えの大ロングセラー)の作者。1946年東京に生まれる。1970年ザ・デザイン・スタジオにてインテリア、カラーコーディネーターとして活躍。1985年コズミックアーティストとして活動を始める。1989年コンテンポラリーアートEXPO’89(N.Y.)入選。以降、日本全国で個展を開催。1993年東京町田市に「スペースSachi」オープン。同年プレアデス・タイゲタ星に帰星する。<足立幸子の言葉>「現代のファインアートは、自我と自己主張を観念的に表現した観念のかたまりのような作品がほとんどのようですが、私の作品は、全く自我も自己主張もない、只々、宇宙の波動をアートにしている本質のみを追及したいっさい演出のない、要するに”Let it be!”の心境で作った作品です。宇宙はアートと科学です。」)

エハン・デラヴィ(スピリチュアル)、、youtubeチャンネル、、FB、、過去ブログ、、関連動画-1、、関連動画-2、、関連動画-3スピリチュアル先端情報基地「エハン塾」主宰。MIND・SRIRIT・BODYの三位一体による「独立個人」を提唱。職業=エハン・デラヴィ。意識研究家・講演家・作家・世界探検家。1952年スコットランド生まれ。幼少から神秘的な世界にひかれ、22才より日本で生活を開始。日本で15年間、東洋医学と弓道に専念する。幅広いテーマ(宇宙物理学、経済、脳科学、精神科学など)に深い造詣と独自の考察流暢でユーモラスな日本語で全国講演をしながら、世界の隅々から収集したニューパラダイムに関する情報を伝えている。 youtubeチャンネルからは、先端科学・超古代文明・アーシング・3分ニュース・グルジエフなど、様々なテーマで精神世界を探求して解説。妻の愛知ソニア氏との共訳など、著書・訳書多数。著書、「太陽の暗号」「アースピルグリム -地球巡礼者-」「ルーミー – その友に出会う旅」「聖なる国、日本」など。訳書、「『パワーか、フォースかデヴィッド・R・ホーキンズ(著)」など。)

知花敏彦(スピリチュアル)、、風大和研究所、、地球家族学びの会、、ビデオ上映会、、youtubeチャンネル、、Amazon、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、youtube覚醒者・知花敏彦。1940年、旧満州ハルピンに生まれ、沖縄で育つ。幼少より霊能力に優れ、中学を卒業後は南米へ渡る。ボリビアで約30年間、農耕作業をしながら、自己を追求する。その後、「日本で神理を説きなさい」という啓示を受け、沖縄へ。帰国後もエジプト、ヒマラヤで修行し、宇宙意識に到達。宇宙の法則やフリーエネルギーなどあらゆる分野に精通し、超意識の世界方人類救済のために指導を行う。地球環境の保全と修復のための研究開発に取り組み、更に人類の未来と宇宙意識への到達の為に瞑想と講話を通じて指導を行う。2009年、この世のすべての役目を終え、天に帰る。著作、「神我顕現への道」「世紀末を救う意識改革 : 宇宙エネルギー時代への大転換」「宇宙に徳を積む生きかた」など。)

河合勝(スピリチュアル)、、地球家族、、地球家族2020の会、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、書籍の紹介、、youtube微生物・バクテリア・農業技術など宇宙科学研究の第一人者。河合勝(1939-)、慶應義塾大学経済学部を卒業してコスモ石油在職中、恩師-知花敏彦と出会い、17年間師事する。現在、コミュニティ「地球家族」代表、一般財団法人地球発展研究協会代表理事、ザ・グローバルビース大学名誉教授。自然界の植物に棲息する微生物の世界の解明とその応用による、無農薬・無化学肥料で、低コスト・簡単・高収穫、美味・高栄養価の農業栽培技術を開発。講演会・セミナーを数多く開催。宇宙科学(自然の原理と応用)の普及、天上界と地上界の働きを中心とした精神世界の情報提供、自然有機農法の推進と指導・コンサルティング、瞑想・癒し・健康法など。著作、「微生物と精霊がぜんぶ教えてくれた、免疫力と自然治癒力も<<光フリーエネルギー>>だった」「《天上界と微生物》に聞いた、病気の本当の原因と治し方」「病い・土壌・天災・地球、微生物はすべてを蘇生する」「【地球蘇生力】は水素(−)と酸素(+)の超光回転(∞)が生み出す【ゼロ磁場】」「シャンバラに招かれた【知花敏彦】から聞いたこと」「シャーマンの智恵に学ぶ神秘の薬草パワー」など。)

飯島秀行(スピリチュアル)、、テネモス、、えばぁプロデュース、、テネモスのお店、、youtubeチャンネル、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、書籍の紹介、、youtubeフリーエネルギー研究家。テネモスグループ設立者。事業概要は、自然と宇宙の仕組みを応用したシステムの実用化における研究開発。応用分野は、浄水システム・汚染物質の分解除去・総合的農法・正しいエネルギーシステムの実用化など。飯島秀行(2055?-2016)、一般財団法人テネモス国際環境研究会理事長。大学(経済学部)卒業後、1年間、園芸の研修を受け、実家の家業(園芸農業)を継ぐ。1993年に、真理伝達者に出会ったことがきっかけとなり、ボリビアでの農業プロジェクトに参加。実践体験により自然法則を体得。著作、「ぜんぶ実験で確かめた 宇宙にたった1つの神様の仕組み」「フリーエネルギー」「自然が教える農業のお手本」「フリーエネルギー版 宇宙にたった1つの神様の仕組み」など。)

関野あやこ(スピリチュアル)、、FB、、twitter、、Instagram、、バシャール、、youtubeチャンネル-1、、youtubeチャンネル-2、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2覚醒の為の「宇宙の学校」(2021年スタート)主宰。関野あやこ、日本航空国際線のフライトアテンダントを経て、1987年、高次元宇宙存在バシャールとのコンタクトを機に、宇宙意識とつながる覚醒体験をする。以後、無限の可能性をもつ本当の自分に目を醒ましていく生き方を講演会・セミナーで伝え始め、1993年、感情を色や形で解放する画期的なアプローチ「宇宙授業」をスタート。2000年、誰もが自分の高い意識につながっていけるメソッド『アンフィニ』を生み出す。2008年『次の地球へ』のバシャールとの対談の中で、エササニや他の惑星でも目を覚ますことを伝えていたことを思い出す。彼女の軽やかでワクワクにみちた透明感あふれるエネルギーは、地球の制限のワクの外に出てナチュラルに存在できるまったく新しい生き方の、圧倒的なリアル感を体現。)

坂本政道(スピリチュアル)、、ロバート・モンロー、、youtubeチャンネル、、本人投稿記事、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、書籍の紹介-1、、書籍の紹介-2、、youtube-1、、youtube-2ヘミシンク(故ロバート・モンローによって研究開発された変性意識誘導テクノロジー)の公認レジデンシャル・トレーナー。坂本政道(1954-)、(株)アクアヴィジョン・アカデミー代表取締役。東京大学理学部物理学科卒、カナダトロント大学電子工学科修士課程修了。1977年~2000年、ソニー(株)と米国のSDL社にて半導体レーザーの開発に従事。1989年にロバート・モンローの本を読んだことがきっかけで、体外離脱を頻繁に体験し、世界観が一転。2000年、変性意識の研究に専心するために退社。2001年からモンロー研究所のヘミシンク・プログラムを年3回ペースで受講し、その体験を「死後体験」として出版。同書がベストセラーとなる。2005年、(株)アクアヴィジョン・アカデミーを設立し、モンロー研究所のヘミシンク・プログラムを開催してきている。著作、「死後体験」「死の『壁』を超えるスーパー・ラブ」「覚醒への旅路」「ダークサイドとの遭遇」「ETコンタクト」「東日本大震災とアセンション―地球の高次意識からのメッセージ」「バシャール×坂本政道 人類、その起源と未来」「あなたもバシャールと交信できる」「セオリツ・ヘミシンク(共著:山水治夫)」など。)

小林正観(スピリチュアル)、、FBファンのページ、、youtubeチャンネル、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、書籍の紹介、、youtube人に「うれしい・たのしい・しあわせ」と喜ばれる存在になろうと唱え(宗教者ではない)、実践。 「『そ・わ・か』の法則」「『ありがとう』の法則」など「宇宙の法則『絶対幸福』」を説くティーチャー。小林正観(こばやしせいかん/1948年-2011年)、東京都深川出身、心学・潜在能力研究家、著述家、講演家。人間の潜在能力やESP現象、超常現象に学生時代から興味を持ち、旅行作家のかたわら心学などの研究を行っていた人物であり、多数の著書を発表し、全国各地で年間約300回にものぼる講演を行っていた。また、歌手や作詞家、デザイナー(SKPブランドオーナー)としての一面も持っていた。著作、「宇宙を味方にする方程式」「宇宙を貫く幸せの法則」「宇宙が応援する生き方」「『そ・わ・か』の法則」「『き・く・あ』の実践」「人生は4つの『おつきあい』」「なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?」「喜ばれる―自分も周りも共に幸せ」「ありがとうの神様」「ありがとうの奇跡」「ありがとうの魔法」など。)

増川いづみ(スピリチュアル)、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、書籍の紹介“いのちの調律”のためのコスミックチューン・サウンドヒーリング創始者。増川いづみ、東京生まれ、栄養学・工学博士。ミシガン州立大学で栄養学と電子工学の博士号、MITで量子力学修士号取得。水の磁気共鳴研究、流体力学、超低周波を中心とした電磁気学、生物分子学、マリンバイオロジー、地質学、醗酵学、鉱物学、薬草学、シャーマニズム(ネイティブアメリカン)、古文献(エジプトのミステリースクール)など分野を超え多岐にわたる研究に従事。電磁波への脅威をいち早く警鐘し防御のための製品「テクノAO」の研究開発に携わる。近年は音による振動治療を応用したサウンドヒーリングに集中し「人と地球と健康と生命のバランス」をテーマに活動。テクノエーオーアジア代表取締役/アキュトニックス統合医学研究所日本代表/フローフォーム国際委員会日本代表/四條司家食文化協会理事。著作、「いのちの調律」「感じるちから 古代のスピリットと共に」「水は知的生命体である(共著)」など。)

中矢伸一(スピリチュアル)、、twitter、、youtubeチャンネル、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2岡本天明の自動書記による予言書「日月神示」を世に広めた功労者。中矢伸一(なかや しんいち、1961年 – )、フリーライター・「日本弥栄の会」代表。東京生まれ、米国ワシントン州立コロンビア・ベースン・カレッジ卒。3年に及ぶ米国留学生活を通じ、日本と日本民族の特異性を自覚。帰国後、英会話講師・翻訳・通訳業に携わる一方、神道系の歴史、宗教、思想などについて独自に研究を進める。1991年、それまでの研究をまとめた『日月神示』(徳間書店)を刊行、いきなりベストセラーとなり、以後ヒット作を相次いで世に送り出す。これまでに刊行した著作は共著やリメイクを含めて70冊以上。累計部数は150万部を超える。現在、1994年創刊の会員制月刊誌「玉響」の制作・執筆を中心に活動中。会員向け講演会も行っている。著作、「はじめての日月神示」「完訳 日月神示」「日本はなぜ神道なのか」「日本建国の暗号: 伊勢神宮の謎と天照大神の真実」「『奥の院』がこれからは日本の時代だと決めた」など。)

吉野信子(スピリチュアル)、、FB、、Instagram、、youtubeチャンネル、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、書籍の紹介-1、、書籍の紹介-2、、youtube-1、、youtube-2、、youtube-3カタカムナ言霊伝道師。 カタカムナの思念表を作成、48音の思念を読み解き検証し、「カタカムナ48音の思念(言霊)表」を発見。吉野信子、1952年生まれ、大阪府高槻市在住。日本航空国際線客室乗務員を経て結婚し、2男1女の母。1999年、シドニー在住時に、オーストラリアの通訳翻訳業国家試験(NAATI)に合格。以来、通訳、翻訳として従事しながら太古の日本に存在した文明「カタカムナ」の研究に打ち込む。 2003年より日本ゴールボールチームを通訳兼スタッフとしてサポート。 2012年のロンドンパラリンピック大会では、カタカムナの思念を用いた言霊の力で、日本女子ゴールボールチームを念願の金メダル獲得へと導いた。 2018年4月に「カタカムナ学校」を開校。自身が校長を務め、講師養成講座を 通してカタカムナを世界に広める活動を行っている。著作、「カタカムナ 言霊の超法則」「カタカムナ 数霊の超叡智」「カタカムナの時代が到来しました 真心だけが現象化する世界!」「神聖幾何学とカタカムナ(共著:秋山佳胤)」「ホツマツタヱとカタカムナで語り尽くす(共著:いときょう)」など。)

白峰由鵬(スピリチュアル)、、明窓出版、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、youtube様々な名前と肩書きを持つ「謎の風水師」。馬鹿馬鹿しいギャグ連発のスピリチュアル・エンターテイナー白峰由鵬、またの名は、綾の光時君が代・地球維新天声会議主幹&主観・マスタークワンインUFO・ウィングメーカー太陽系総監・中今悠天・白峰聖鵬・光悠白峰など。密教(弘)・法華経(観)・神道(道)の三教が統合された「弘観道」の第48代継承者。活動は、作家・講演者・書家・コンサルティング・開運法・温泉評論ほか多岐に渡る。国家・国体鎮護の風水師として知る人ぞ知る人物であり、政財界から企業経営者までファンは多く、内外の要人とも交流が深い。著作、「地球維新」「温泉風水開運法」「福禄寿」「ネオスピリチュアルアセンション」「日月地神示」「風水国家百年の計」など。)

松村潔(スピリチュアル)、、ブログ、、占い-1、、占い-2、、占い-3、、占い-4、、占い-5、、占い-6、、連載-1、、連載-2、、youtubeチャンネル、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、書籍の紹介-1、、書籍の紹介-2、、youtube神秘学・スピリチュアル系の全般に造詣の深い研究者。西洋占星術タロットカード、神秘主義哲学の研究における日本の第一人者。松村潔、1953年生まれ。10代の頃より西洋占星術や古代哲学(ヘレニズム思想)、西洋神秘学に興味を持ち研究を開始。数秘術・エニアグラム・タロット・カバラ・十牛図・グルジェフ・シュタイナーなどの思想もふまえて構築された、独特な宇宙論を提唱。精神世界の研究会を1978年より主宰。「占星術は精神世界探求の入口」「タロットカードは人の意識を発達させる」という考えで、カウンセリング、講習会などを開催。著作執筆のかたわら、新聞・雑誌等に連載を持つ。専門学校で講座を受け持つ一方、自らも原宿虎の穴を主宰、後進の育成にも尽力。著作、「精神世界の教科書」「パワースポットがわかる本」「水晶透視ができる本」「スピリチュアル・パワーを呼び込む エーテル体に目覚める本」など。)

高木悠鼓(スピリチュアル)、、ブログ、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、書籍の紹介隠れた名作スピリチュアル本「楽しいお金 1~3」の著者。今は無き出版社「マホロバ アート」を振り出しに、現在は出版社「シンプル堂」を経営。高木悠鼓、大学卒業後、高校教員、海外遊学、会社員、専門学校講師を経て、作家・翻訳家・出版業・シンプル道コンサルティング業(話相手業)を営む。シンプル道研究会代表、「私とは本当に何かを見る会」(ハーディングの実験の会)コーディネータ。著作、「楽しいお金 1~3」「人をめぐる冒険」「動物園から神の王国へ」。訳書、ダグラス・ハーディング「存在し、存在しない、それが答えだ」サネヤ・ロウマン「リヴィング・ウィズ・ジョイ」、リチャード・ラング、ラメッシ・バルセカール、カリヤニ・ローリー、など。)

船井幸雄(スピリチュアル)、、舩井幸雄.com、、FB、、本物研究所、、ほんものや、、にんげんクラブ、、51コラボレーションズ、、エヴァ・ビジョン(月間ザ・フナイ)、、船井幸雄記念館、、youtubeチャンネル-1、、youtubeチャンネル-2、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、書籍の紹介-1、、書籍の紹介-2、、youtube日本スピリチュアル界の父。自身の社会的影響力を使い、「百匹目の猿現象」「エヴァの時代」「気」「波動」「潜在意識」「アセンション」「日月神示」「イヤシロチ」などのキーワードを普及、スピリチュアルをビジネスとして確立、多くの人材を開花させた立役者船井幸雄(1933年 – 2014年)、経営コンサルタント・起業家・企業経営者、自己啓発書作家・スピリチュアル系の著作家。大阪府出身、京都大学農学部農林経済学科卒業。経営コンサルタント会社として世界ではじめて株式を上場した(現在、同社は東証・大証の一部上場会社)船井総合研究所の創業者・代表取締役会長。船井財団・船井総研ITソリューションズ・本物研究所・ イリアール・51コラボレーションズ・エヴァビジョンなどグループ会社の象徴的存在。著書約400冊。1994年から巨大スピリチュアル系イベント「船井幸雄オープンワールド」を開催。逝去したのちもファンが多い。著作、「法則」「長所伸展の法則」「イヤシロチ―万物が蘇生する場所がある」「一流になりなさい。それには一流だと思い込むことだ。 舩井幸雄の60の言葉(著;佐藤芳直)」など。)

おおえまさのり(スピリチュアル)、、インタビュー、、いのちの祭り、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-21988年8月に八ヶ岳で開催され“和製ウッドストック”とも称された歴史に残る伝説のイベント「いのちの祭り」、2000年8月に長野県大町市で開催された「いのちの祭り2000」の実行委員長。センセーションを巻き起こした「チベットの死者の書」や「ミラレパの十万歌」の翻訳者。おおえまさのり(1942年 – )、作家・翻訳者・映像作家。徳島県生まれ、京都学芸大学特修美術学科卒。65~69年にかけて映画制作のためニューヨークに渡り、ニューエイジ思想に触れ、71年〜80年にかけてインド・ネパール・パリ等に学ぶ。チベット仏教の翻訳・紹介に務める一方、精神世界やニューエイジに関わる様々な企画・出版・学塾に従事。ガイア・ファウンデーション主幹、いちえんそう主宰。現在、自然農と向かい合いながら、いのちの夢見を育んでいる。映画制作「NO GAME」「GREAT SOCIETY」、著書「超死考」「ガイア」「スピリットの森から」「宇宙の見る夢」「夢見る力」「未来への舟」「魂のアヴァンギャルド」、訳書「チベットの死者の書」「ミラレパの十万歌」「クリシュナムルティの神秘体験」など。)

山川紘矢・亜希子(スピリチュアル)、、ブログ-1、、ブログ-2、、FB、、twitte、、Instagram、、メールマガジン、、地湧社、、youtubeチャンネル-1、、youtubeチャンネル-2、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、youtubeスピリチュアルの良い本を数多く発掘し、共同で翻訳して紹介するハートウォームな夫婦。日本のスピリチュアルの扉を開いた功労者。講演会やワークショップを開催し、人気を博す。山川紘矢、翻訳家・作家。1941年、静岡生まれ。東京大学法学部卒業。大蔵省に入省し、マレーシア・アメリカなどで海外勤務を重ねる。1987年に退官して翻訳家に。 山川亜希子、翻訳家・作家。1943年、東京生まれ。東京大学経済学部卒業。夫・紘矢とともに海外生活を体験。外資系会社勤務の経験も。夫の退官後、ともに翻訳の仕事を始める。著書、「30冊の本」「宇宙で唯一の自分を大切にする方法」「受け入れの法則」「精霊の囁き」「 自分に目覚める スピリチュアル旅へ 聖地巡礼、魂の故郷を訪ねて」「すべては魂の約束 親子、夫婦、友人、自分自身」など。翻訳、、シャーリー・マクレーン、ブライアン・L・ワイス、アイリーン・キャディ、ドロシー・マクリーン、OSHO、「なまけ者のさとり方」「アルケミスト」「聖なる予言」「星の巡礼」「ザ・シークレット」など。)

中沢新一(スピリチュアル)、、野生の科学研究所、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、書籍の紹介-1、、書籍の紹介-2、、youtube学問の枠を超えて人間の「こころ」を探究。チベット仏教の修行体験に基づく研究成果として「 虹の階梯―チベット密教の瞑想修行」「チベットのモーツァルト」を発表し脚光を浴びる。クロード・レヴィ=ストロース、ジャック・ラカン、ジル・ドゥルーズ等の影響を受けた現代人類学と、南方熊楠・折口信夫などによる日本列島の民俗学・思想・歴史研究、さらにチベット仏教を総合した独自の学問「対称性人類学(カイエ・ソバージュ)」を提唱。中沢新一(1950年 – )、思想家・人類学者。山梨県出身、東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。中央大学教授、多摩美術大学芸術人類学研究所所長を経て、現在は明治大学野生の科学研究所所長。著作、「チベットのモーツァルト(サントリー学芸賞)」「森のバロック(読売文学賞)」「哲学の東北(斎藤緑雨賞)」「フィロソフィア・ヤポニカ(伊藤整文学賞)」「カイエ・ソバージュ(小林秀雄賞)」「アースダイバー(桑原武夫学芸賞、南方熊楠賞)」「 虹の階梯―チベット密教の瞑想修行」「三万年の死の教え―チベット『死者の書』の世界」「緑の資本論」など。)

星野道夫(スピリチュアル)、、旅をする木、、磯部弘、、NHK人物録、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、書籍の紹介、、youtubeアラスカの大自然や動物と人間の生命の真実を写真と文章で伝えた詩人。星野道夫(1952-1996)、写真家・作家・探検家。千葉県市川市生れ。慶應義塾大学経済学部卒業後、動物写真家田中光常氏の助手を経て、アラスカ大学野生動物管理学部留学。以後18年間アラスカに暮らし、極北の自然と動物の生命の営み、人びとの暮らしを写真と文章で記録し続けた。作品は多くの国内誌や、「National Geographic」「Audubon」などの海外誌にも発表された。アニマ賞・木村伊兵衛写真賞受賞。1996年、カムチャツカ半島で取材中、ヒグマに襲われ急逝。自然と人間に真摯に向き合った写真と文章、その温かい人柄は今も多くの人びとに愛され続けている。著作の一部は英語・韓国語・中国語に翻訳され、海外でも広く読まれている。国内でも小・中・高等学校の教科書に作品が掲載され、次世代へと読み継がれている。著作、「Alaska 極北・生命の地図」「Alaska 風のような物語」「アークティック・オデッセイ―遥かなる極北の記憶」「グリズリー」「カリブー 極北の旅人」「イニュニック 生命―アラスカの原野を旅する」「旅をする木」「ノーザンライツ」「森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて」「長い旅の途上」など。)

宮沢賢治(スピリチュアル)、、記念館、、イーハトーブ館、、童話村、、石と賢治のミュージアム、、啄木・賢治青春館、、桜地人館、、イーハトーブセンター、、星めぐりの街、、それからの宮沢賢治館、、宮沢賢治の宇宙、、詩の世界、、twitter、、日本の子どもの文学、、青空文庫、、私立PDD図書館、、100分 de 名著、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2「注文の多い料理店」序文から>「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。(中略)わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。」………法華経思想と科学を統一し、宇宙・四次元世界へと思考を発展させ、イマジネーションの中の美しいイーハトーヴのユートピア世界を創造した、スピリチュアル芸術の巨人宮沢賢治(1896-1933)、詩人・童話作家・教師・農業技師・科学者・宗教家。岩手県花巻生れ、富商の長男、盛岡高等農林学校卒、日蓮宗徒。花巻農学校教師時代に、教え子との交流を通じ岩手県農民の現実を知り、羅須地人協会を設立。農業技術指導、レコードコンサートの開催など、農民の生活向上をめざし粉骨砕身するが、理想かなわぬまま過労で肺結核が悪化、最後の5年は病床で、作品の創作や改稿を行い、37歳の若さで永眠。その作品は生前ほとんど一般には知られず無名に近く、没後、詩人の草野心平、高村光太郎らの尽力により世評が急速に高まり、詩「雨ニモマケズ」に代表される国民的作家となる。著作、生前刊行されたのは詩集「春と修羅」と童話集「注文の多い料理店」のみ。他には、「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「グスコーブドリの伝記」「農民芸術概論綱要」など。

 

探求者たち・C

ホール・アース・カタログ、、ダウンロード・サイト、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、紹介記事-17(拙著)、、書籍の紹介、、youtube<MIYA-JUNから>『ホール・アース・カタログ』は、『スピリチュアル・ランド』が目標とする、メディアの理想形です。」………1968年にスチュアート・ブランドという29歳の若者によって創刊されたヒッピー向けの不定期刊・大判カタログ誌。ヒッピーが目指した「意識の拡大」や「新しいコミューンの開始・維持」に繋がる「Access to Tools(道具へのアクセス)」がコンセプト。野外生活や自然科学の知識から精神世界まで、膨大な商品と情報(それらすべてをひっくるめて「道具」と定義している)へのアクセス方法(入手先情報)を集め、情報募集・“使ってみた人のレビュー”など掲示板的な機能を持ち、通信販売システムも完備した、60〜70年代・激動の時代を生きるための、「カタログという形態」を借りた知恵の集積。1971年に発行された最終号『The Last Whole Earth Catalog』は150万部を超えるベストセラーとなり、全米図書賞を受賞。目的は、「僕たちを「消費」に向かって駆り立てるためのものではなく、僕らが地球という惑星の上でヒトとして自立して生きるための手がかりを提供」「読者にモノを紹介して、それを揃えた先にあるライフスタイルと出会わせる」。カテゴリーは、「Whole Systems(全体システム)」「Land Use(土地の利用)」「Shelter(シェルター)、Industry(産業)」「Soft Technology(自然エネルギー技術)」「Craft(工芸)」「Communications(コミュニケーション)」「Community(コミュニティ)」「Nomadics(遊牧生活)」「Learning(学習)」「Business(仕事)」など。掲載するアイテムの選定基準は、1・道具として役に立つこと、2・自立教育への関連性、3・高品質もしくは低価格、4・まだ一般的でない知識、5・通信販売で容易に入手。編集メンバーは、スチュアート・ブランドケビン・ケリーロイド・カーンハワード・ラインゴールド、など。その後の日本の主要サブカルチャー系雑誌ほとんど「遊」「宝島」「POPEYE」などのルーツとなる。スティーブ・ジョブズが行なったスタンフォード大学卒業式・伝説のスピーチで、「ホール・アース・カタログ」最終号裏表紙の言葉から「Stay hungry. Stay foolish. (ハングリーであれ、愚か者であれ)」と引用し、大絶賛した事で有名。)

スチュアート・ブランド、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11(拙著)、、書籍の紹介、、youtubeヒッピー・ムーブメントなどカウンター・カルチャーのバイブルとなった伝説のカタログ誌「ホール・アース・カタログ」の編集長。NASAを説得して、当時の一般人が見る事の出来なかった「宇宙に浮かぶ地球のカラー写真」を借り出すことに成功し、「ホール・アース・カタログ」創刊号表紙に掲載。画期的な「Whole Earth」というグローバルな視座を提示。インターネット・オンライン・ウェブ・ソーシャルメディア、技術開発の想像力・社会変革の想像力、ロハス・オーガニック・サステイナブルライフ・DIY・自己教育・ネットワーク型コミュニケーションなど、オルタナティブカルチャーの基礎を構築。ヒッピー文化・ハッカー精神・反体制文化など、カウンター・カルチャーとコンピューターの橋渡し役。必要な情報を選び、それを寄せ集め、新たな意味を生み出す「編集」という行為で「新しい世界」を創造。スチュアート・ブランド(1938年 – )、編集者・作家・未来学者。アメリカ・イリノイ州生まれ、スタンフォード大学卒業。1966年にNASAに対して地球の写真を公開する請求運動を開始。1968年に「ホール・アース・カタログ」を創刊。WELL(Whole Earth `Lectronic Link)、グローバル・ビジネス・ネットワーク、ロング・ナウ・ファウンデーションなどのエコ関連団体を立ち上げ、環境保護論者の大物としても知られる。現在は、ネイティブ・アメリカンで数学者の夫人とともに、サンフランシスコ湾のタグボートで暮らしている。著作、「地球の論点」「メディア・ラボ」など。………<エッセイ「すべてはヒッピーのおかげ」から>「カウンターカルチャーが中央の権威に対して持つ軽蔑が、リーダーのいないインターネットばかりか、すべてのパーソナル・コンピューター革命の哲学的基礎となった。」<「ホール・アース・カタログ」創刊号の冒頭ページから>「ぼくたちひとりひとりが創造の神だ。どうせなら、素晴らしい神になろうではないか。ぼくたちから遠く離れたところで生まれた権力や栄光ーーたとえば、政府や大企業、学校教育、教会などを通してーーは、実際上のプラス面も、全体的な欠陥のかげに隠れてしまうような結果をもたらした。このジレンマに答えて、ひととおりの本質的な、個人的な力ーー自分で自分を教育する力、自分の心を自分で探究する力、自分の環境を自分で整理する力、関心を共にする仲間とすばらしい経験を共有する力ーーが生まれつつある。このプロセスに役に立つ道具を探して支持するのが、この「ホールアースカタログ」である。」

ケビン・ケリー、、Cool Tools、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、紹介記事-17、、紹介記事-18、、紹介記事-19、、紹介記事-20、、紹介記事-21、、紹介記事-22、、紹介記事-23、、無料電子書籍-1、、無料電子書籍-2、、無料電子書籍-3、、NHKオンデマンド、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2スチュアート・ブランドと共に伝説の雑誌「ホール・アース・カタログ」を発行編集。サイバーカルチャーの論客。「テクノロジーは人間と機械が協調してコントロールするもの」として、科学やテクノロジーと人類とのかかわりを考え続ける稀代の賢人………30歳を超えるまでは、テクノロジーを嫌悪する自然回帰派のヒッピーを自認。ヒッチハイクと野宿のバックパッカー写真家として約8年間を放浪。寒村・大都市・ヒマラヤまで台湾・日本・フィリピン・韓国・ビルマ・タイ・中国・インド・中東など。アメリカに帰ると、故郷のニュージャージーの山奥で、森の木を切って丸太小屋を作り、養蜂を手掛けながら仙人のような生活を続ける。あるときは、自転車に乗ってアメリカ大陸を横断する旅にも出る。その後、旅行会社を運営しながら旅の本の書評などを投稿。オンライン会議室で頻繁に発言しているのが、スチュアート・ブランドの目に留まりリクルートされる。ヒッピーのライフスタイルが実現できる「オンライン」の可能性や「適正なテクノロジー」に開眼。………ケビン・ケリー(1952年 – )、米国ペンシルベニア州生まれ、編集者・作家・写真家・環境保護活動家、サイバネティックス・未来学・仮想共同体・人工知能研究。「ホール・アース・ソフトウェア・カタログ」編集者、「ホール・アース・レビュー」編集長、「Wired」創刊編集長、「ハッカーズ・カンファレンス」共同創設者、スティーヴン・スピルバーグ監督作品「マイノリティ・リポート」監修、「All Species Foundation」「WELL(先駆的なオンラインサービス)」の創設に関わる。現在は、WIRED誌の〈Senior Maverick〉、毎月50万人がアクセスするサイト「Cool Tools」を運営、ニューヨークタイムズ・エコノミスト・サイエンス・タイム・ウォールストリートジャーナルなどで執筆。著作、「『複雑系』を超えて」「ニューエコノミー勝者の条件」「テクニウム ― テクノロジーはどこへ向かうのか?」「〈インターネット〉の次に来るもの」など。)

ブライアン・イーノ、、Webストア、、映画音楽、、Wikipedia、、youtubeチャンネル、、インタビュー1、、インタビュー2、、インタビュー3、、インタビュー4、、インタビュー5、、インタビュー6、、インタビュー7、、インタビュー8、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、youtube、、YouTube Musicそれまでポピュラー音楽シーンに存在していなかった「アンビエント」という新しいジャンルを創造した天才音楽家。音楽のつくり方の定義を根底から見つめ直し、音楽がもつ新たな機能性を拡張するアーティスト。<MIYA-JUN持論>コンピュータやテクノロジーを駆使しながら、アンビエント・ワールドミュージック・ネイティヴスピリット・光や映像を駆使したビジュアル&アートなど、ロック・ミュージックに様々な前衛的・実験的な要素を導入し、「スピリチュアル・ミュージック」の源流を形作った先導者。ブライアン・イーノ(1948年 – )、作曲家・プロデューサー・音楽理論家・作家・現代思想家・政治活動家。マイクロソフトOS「Windows 95」起動音「The Microsoft Sound」作曲者。音楽とアートの自動生成アプリ「Bloom」開発者。”アイデア出し”手助けツール「オブリーク・ストラテジーズ」開発者。次の1万年の枠組みの中で創造的に責任を育む「ロングナウ財団(代表者スチュアート・ブランド)」創設メンバー・理事。実弟は、同分野で活動するロジャー・イーノ。英国ウッドブリッジ出身、イプスイッチ・聖ジョセフ・カレッジとウィンチェスター美術学校で絵画と実験音楽を学ぶ。1970年にロキシー・ミュージックのシンセサイザー奏者としてデビュー、73年に脱退。「アナザー・グリーン・ワールド」などのソロ作品やロバート・フリップなどとのコラボレーションを通じ独自の音楽を展開。75年に実験的な音楽の専門レーベル「オブスキュア」を設立。ハロルド・バッド、ジョン・ハッセル、デービッド・ドゥープらの作品を紹介するとともに、自らアルバム「ディスクリート・ミュージック」を発表してアンビエント・ミュージック(環境音楽)の端緒を開く。77年以降はデビッド・ボウイのアルバム「ロウ」「ヒーローズ」「ロジャー」の制作に参加。70年代後半にはニューヨークに活動の拠点を移し、パンク・ニューウェーブの流行時にはウルトラヴォックス、ディーボトーキング・ヘッズといった若手バンドとの交流やプロデュースも行い、ムーブメントの隆盛を支えた。79年に環境音楽の専門レーベル「アンビエント」を設立し、空港向きの環境音楽集として制作した「Music For Airport」がヒット。83年に初来日。その後もプロデューサーとしてU2の「ヨシュア・トゥリー」を大ヒットに導いた他、ビデオ制作も開始し、アート関係の本も出版するなど、ロック・実験音楽・民族音楽などへの幅広い目配りをしながら多方面にわたり活動。2014年にアンダーワールドのカール・ハイドとの共演作「サムデイ・ワールド」を、2016年にオリジナル・フル・アルバム「ザ・シップ」を発表。また、政治活動家として、2014年のガザにおけるイスラエルの軍事行動に対しては、トゥトゥやノーム・チョムスキー、アリス・ウォーカーらと共に批判、2015年の労働党党首選挙では、左派のジェレミー・コービンを支持する意見をリベラル系のガーディアン紙に寄稿。2019年にロキシーミュージックのメンバーとして「ロックの殿堂」入りを果たすも欠席。他のアルバム、「テイキング・タイガー・マウンテン」「ネロリ」「ドロップ」「アナザー・デイ・オン・アース」「LUX」「イヴニング・スター(フリップ&イーノ)」「Spinner(ジャー・ウーブル共同名義)」など。他のプロデュース、「ブッシュ・オブ・ゴースツ(トーキング・ヘッズ)」「エヴリシング・ザット・ハプンズ・ウィル・ハプン・トクデイ(デービッド・バーン)」「ノー・ニューヨーク(コンピレーション)」、コールドプレイ、ロジャー・イーノ、ペンギン・カフェ・オーケストラ、ジョン・ケイル、ロバート・ワイアット、ケヴィン・エアーズ、マイケル・ナイマン、ジョン・ポール・ジョーンズなど。)

ジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッド)、、公式HP、、アーカイブ、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、マーケティング-1、、マーケティング-2、、マーケティング-3、、マーケティング-4、、マーケティング-5、、マーケティング-6、、マーケティング-7、、マーケティング-8、、youtube、、YouTube Musicグレイトフル・デッドのリーダーまたは「スポークスマン」、1960年代カウンターカルチャーの象徴。そのスピリットを生涯1度もブレる事なく貫き通し、絶大の尊敬を集める偉大なヒッピージェリー・ガルシア(1942年 – )、米カリフォルニア州サンフランシスコ出身、歌手・ギタリスト・作曲家・アーティスト。1965年にグレイトフル・デッドを結成、「ケン・キージーのアシッド・テスト」でステージ・デビュー、サンフランシスコのヘイト・アシュベリー地区を拠点に活動を開始。67年の「マントラ・ロック・ダンス(クリシュナ意識国際協会寺院主催のコンサート)」に、協会創立者のスワミ・プラブパーダ、詩人のアレン・ギンズバーグ、モビー・グレープ、ジャニス・ジョプリンらと共に出演。そのスタイルは、2度と同じ演奏をしない事を原則に、カントリー・フォーク・ブルーグラス・ブルース・レゲエ・ロック・即興のジャズ・サイケデリック・スペースロックが融合した物で、ガルシアの「情熱的なギター・インプロヴィセイジョン」を中心とした長いインストルメンタルジャムが特徴「エンドレスツアー」と称するツアーを常に行い、2300回以上のコンサートを開催。「自由にマリファナも吸えない様な場所でコンサートは演らない」がモットーの為、未来日。また、コンサートの自由な録音と交換を許可して動員を促進。「デッドヘッズ」と呼ばれるファンのコミュニティ形成を促進し、多くのファンが彼らのツアーを追いかけた。バンドは経歴の初期に自らの時間と才能をコミュニティ形成につぎ込み、サンフランシスコのヘイト・アシュベリーでは無料の食事・宿泊・音楽、そして健康管理も提供。バンドは「音楽の歴史上どんなバンドよりも自由なコンサート」を実行したと言われた。著名人のデッドヘッズとしては、女優常盤貴子、第42代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントン、元副大統領アル・ゴアと夫人ティッパー・ゴア、スティーブ・ジョブズ、ウォルター・クロンカイト、ナンシー・ペロシ、フランク・マリノ、ヘンリー・ロリンズ、グレッグ・ギン、キース・ヘリング、ウーピー・ゴールドバーグ、ジェフ・ペリー、NBAのシカゴ・ブルズやロサンゼルス・レイカーズでヘッドコーチを務めたフィル・ジャクソン、SF作家のウィリアム・ギブスン、神話学者のジョセフ・キャンベルなど、錚々たる面子が並ぶ。ガルシアの音楽以外のサイドプロジェクトは、サイケデリックなビジュアルアートの製作と販売。明るい色と抽象的なパターンが特徴的なデザインは、後の男性用ネクタイの基礎となる。ビル・クリントン元アメリカ合衆国大統領が就任中に、ジェリー・ガルシアから贈られたネクタイを見せびらかせて自慢した事でも有名。ここに込められた意味合いとは、ヒッピー・カルチャーやマリファナ体験を通過していながらも、スーツに身を固め、責任ある立場として経済や国家と真正面から向き合い、疲弊する大統領へ、ガルシアからの「お疲れ様」との事。グレイトフル・デッドはヒットチャートとはほとんど無縁の存在ながら、毎年のようにスタジアム・ツアーを行い、常にアメリカ国内のコンサートの年間収益では一・二を争う存在だった。日本では知名度が高くないが、本国アメリカではアメリカを代表する伝説的バンドとして認識されており、世界中で3500万枚を超えるアルバムを売り上げている。ガルシアの卓越したギター演奏はローリング・ストーン誌「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」で13位(2003年)、バンドは「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」で57位、1994年にはロックの殿堂入り。ジェリー・ガルシア、1995年にカリフォルニアの薬物リハビリ施設で死去。葬儀にはボブ・ディランなどの音楽仲間も含む約25000名が参列、遺灰は翌年にガンジス川とサンフランシスコ湾に散骨された。代表作、「ザ・グレイトフル・デッド」「太陽の賛歌」「アオクソモクソア」「ライヴ/デッド」「アメリカン・ビューティー」「ヨーロッパ’72 Europe 72」など。)

オノ・ヨーコ、、FB、、twitter、、youtubeチャンネル、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、紹介記事-17、、紹介記事-18、、紹介記事-19、、紹介記事-20、、紹介記事-21、、アート-1、、アート-2、、アート-3、、アート-4、、アート-5、、アート-6、、アート-7、、アート-8、、アート-9、、アート-10、、youtube-1、、youtube-2、、YouTube Musicスキャンダルを逆手に、それまでの一芸術家では成し得なかった社会的なメッセージを次々とメディアを介して発信。戦争や紛争が起こるたびに私たちの意識の中でリマインドされるべトナム反戦と平和のためのキャンペーン、結婚式後ホテルの一室に取材記者たちを招き入れて行われた対話のイべント「平和のためのベッド・イン」、世界各地の街角で展開された「WAR IS OVER! (IF YOU WANT IT)」と大書したビルボード作品、そしてそのメッセージをクリスマス・ソングにした「ハッピークリスマス(戦争は終わった)」など、夫ジョン・レノンと共に行った芸術活動・平和運動で世界中の人々に影響を与えた偉大なアーティスト。オノ・ヨーコ(1933年 – )、前衛芸術家・音楽家・平和運動活動家。東京都出身、米ニューヨーク在住。安田財閥創始者の曾孫として誕生し、学習院大学から、アメリカへ渡りサラ・ローレンス大学で、作曲と詩を学ぶ。60年からニューヨークを拠点に前衛芸術や女性解放などの活動を行う。66年にロンドンに移り住む。69年にジョン・レノンと結婚、長男ショーン出産。拠点をニューヨークに移し、ともに創作活動や平和運動を展開し、世界の注目を集める。80年、レノンとの共作アルバム「ダブル・ファンタジー」を発表、同年12月8日、目前でレノンを凶弾に喪う。その後も世界各地で平和活動・前衛芸術・音楽活動を精力的に展開。2009年にヴェネツィア・ビエンナーレで金獅子賞、2010年にはヒロシマ賞を受賞。美術作品、、オノが纏う衣服を観客がはさみで切り取っていくパフォーマンス「カット・ピース」、はしごを登り吊るされた虫眼鏡を使い天井近くのキャンバスに小さく書かれた“YES”の文字と出合う作品「天井の絵(イエス・ペインティング)」、観客一人ひとりが願い事を書いて吊るす作品「ウィッシュ・ツリー」、強力な照明装置で光の柱を夜空に投影し平和への祈りがただ一筋に伸びる垂直線として視覚化される「イマジン・ピース・タワー 」など。著作、、“想像しなさい”とか“聴きなさい”といった言葉による指示(インストラクション)で詩的に綴られたコンセプチュアルな作品「グレープフルーツ」、「サマー・オブ・1980」「ただの私」「頭の中で組みたてる絵」「今あなたに知ってもらいたいこと」「今を生きる」「どんぐり」など。音楽作品、、「ヨーコの心」「フライ」「無限の大宇宙」「空間の感触」「シーズン・オブ・グラス」「スターピース」「ライジング」「ストーリー」「ブループリント・フォー・ア・サンライズ」「Between My Head and the Sky」「地獄の果てまで連れてって」、(ジョン・レノンとの共作)「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」「ミルク・アンド・ハニー」など。)

ユヴァル・ノア・ハラリ、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、紹介記事-17、、紹介記事-18、、紹介記事-19、、紹介記事-20、、図解-1、、図解-2、、図解-3、、寄稿文-1、、寄稿文-2、、寄稿文-3、、寄稿文-4、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2、、youtube-3空前の1200万部を売り上げた「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」「21 Lessons」で累計部数2000万部を超える世界的ベストセラー作家。この3部作で、人類250万年の歴史を全く新しい驚きの視点から読み解き、戦慄の未来を予言、そして、現在われわれ人類が直面している課題を提示した、21世紀の最重要・哲学者ユヴァル・ノア・ハラリ(1976年2月24日 – )、歴史学者・哲学者・ヘブライ大学歴史学部終身雇用教授、ゲイ・ヴィーガン・ヴィパッサナー瞑想家。イスラエルのハイファ地区で誕生、ヘブライ大学で学んだ後オックスフォード大学で博士号を取得、カナダのトロントで結婚、現在はイスラエルのモシャブ(農業共同体の一種)在住。ユーチューブで公開されているヘブライ大学における世界史講義(ヘブライ語)では視聴回数が数十万回という人気。全世界で10万人以上の受講者がいる『A Brief History of Humankind(人類史概論)』という英語での無料オンライン講座を開講。イギリス学術本取引賞・年間最優秀学術本、ポーランド・ヤギェロン大学・年間最優秀賢明書、ポロンスキー賞、モンカド賞などを受賞。ガーディアン・フィナンシャルタイムズ・ニューヨークタイムズ・アトランティック・エコノミスト・ネーチャー誌などに寄稿。2018年のダボス会議での基調講演など、世界中の聴衆に向けて講義や講演も行なう。著作、「サピエンス全史」「ホモ・デウス」「21 Lessons」「緊急提言 パンデミック: 寄稿とインタビュー」など。)

YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)、、 ニコニコ大百科、、Wikia Fandom、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、紹介記事-17、、紹介記事-18、、紹介記事-19、、紹介記事-20、、紹介記事-21、、紹介記事-22、、機材-1、、機材-2、、機材-3、、機材-4、、機材-5、、作品-1、、作品-2、、作品-3、、作品-4、、作品-5、、作品-6、、作品-7、、作品-8、、youtube-1、、youtube-2、、セレクト曲その存在自体が社会現象になるなど、80年代の最も世界的に成功した日本のグループとして、また初期エレクトロニック・ミュージックの最も重要なグループのひとつとして、テクノ/ヒップホップ /ポップス/ロックなどのジャンルを越えて多くの国内外アーティストに影響を与えてきた伝説のテクノポップ・ユニットYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)、細野晴臣・坂本龍一・高橋幸宏の3人で1978年に結成、83年に解散(散開と表現)、93年に再結成(再生)しアルバム1枚を発表して再び活動休止、2001年に余興として3人が共演、2004年よりHuman Audio Sponge名義で活動を再開、以後、HASYMOYellow Magic Orchestraとしてライブのみで不定期的に活動。………<音楽スタイル>担当パートは、リーダー・細野晴臣(エレクトリックベース・シンセベース・コーラス)、高橋幸宏(ドラムス・ボーカル)、坂本龍一(キーボード・シンセサイザー・コーラス)。細野晴臣が構想したコンセプトは、白人でもなく黒人でもない黄色人種による、白魔術でも黒魔術でもないイエロー・マジック、ディスコ・ビートに乗せたコンピューターとシンセサイザーに彩られた無国籍なエキゾティック・サウンド世界で最も早く、商業音楽にコンピュータ制御の電子楽器による自動演奏(打ち込み)を大々的に取り入れたサウンド(松武秀樹のプログラミング)は、メンバー3人の幅広い音楽性を背景に、テクノ・ニューウェイヴ・レゲエ・フュージョン・プログレ・ノイズ・アンビエント・クラシック・民族音楽・邦音階・前衛音楽・実験音楽など、様々な要素から成り立っている。サンプリングやループなど先進のテクノロジーを導入。ビジュアル面では、「赤い人民服(高橋幸宏がデザイン)」と、短髪かつ“もみあげ”の部分を剃り落とす「テクノカット(本多三記夫が考案)と呼ばれる髪型が特徴。また、彼らのライブは新種楽器の見本市のような様相を成し、ヴォコーダーヴォイスで挨拶することでも有名。………<海外での成功>1979年、アルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」米国発売。ロサンゼルスでのライブなど海外デビュー。79年・翌80年の2度に及ぶワールド・ツアーでロンドン・パリ・ニューヨークなどを凱旋。世界的な知名度を獲得。ツアー中はテレビ・ラジオでも数多くのライヴ特番が組まれ、日本への衛星中継も行われた。聴衆に対して媚を売ることなく黙々と楽器と向かい合う奇抜な演奏や真っ赤な人民服風のコスチュームなど、その独特なスタイルが注目を集めた。アメリカのテレビ番組「ソウル・トレイン」にも、日本人ミュージシャンとして初めて出演。81年までの世界での売上は、シングルがアメリカで100万枚・イギリスで20万枚、アルバムはアメリカとイギリスを合わせて20万枚、全世界でのレコード売上は500万枚。2004年、11年振りに“Human Audio Sponge”というグループ名で、ヨーロッパ最大級のエレクトロニクス・ミュージック・フェスティヴァル”sonar”に出演。同年東京で開催された”sonar sound tokyo”にも出演し大きな話題となる。………<社会現象化>海外での活躍ぶりを受け、逆輸入の形で、日本国内でのYMO大ブームへと発展。その人気は流行に敏感な若者はおろか、当時の小学生にまで広がり、若者がテクノカットをまね、竹の子族が「ライディーン」で踊るなど、YMOの影響は社会現象化。2枚目のアルバム・歴史的名盤「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」は、国内セールス100万枚を突破、日本レコード大賞ベスト・アルバム賞を受賞。80年の年間売り上げ上位10枚のアルバムに、1位の同アルバムを含めて、彼らのアルバムが3枚も入る破竹の快進撃。斬新な創意と卓越した演奏技術で、それまでとは全く異なる景色を提示。また、オピニオン・リーダーとしても圧倒的な存在感で、音楽やアートの領域にとどまらず、ニューアカデミズムをはじめとする思想、セゾングループを中心とする広告文化、またはファッションや雑誌文化、メディア環境などといった広義の「文化」全般にまで影響力が浸透。その後、幼少期や青年期に影響を受けたYMOチルドレンたちが音楽・文化シーンに続々と登場。………<世界への影響力>エリック・クラプトンとマイケル・ジャクソンが「ビハインド・ザ・マスク」をカバー、クラフトワークがアルバム名に日本発の造語「テクノ・ポップ」を採用、「コンピューター・ゲーム」をジェニファー・ロペスなど多くのアーティストがサンプリング使用、「ファイアー・クラッカー」は来日するシカゴ・ハウス/デトロイト・テクノのDJたちがこぞってプレイする不滅の名曲、など。………<影響を受けた人達>浅倉大介、槇原敬之、宮沢和史、高野寛、テイ・トウワ、石野卓球、砂原良徳、大槻ケンヂ、ケン・イシイ、今井寿、宇多丸、SUGIZO、星野源、飯野賢治、江口寿史、香山リカ、など。「YMOチルドレン」と呼ばれている。………<歴代サポート・メンバー>松武秀樹矢野顕子、渡辺香津美、鮎川誠、大村憲司、デヴィッド・パーマー、GOH HOTODA、クリスチャン・フェネス、小山田圭吾、高田漣、権藤知彦、(詞、クリス・モズデル、ピーター・バラカン)、など。(再結成後は、前列に細野・高橋・坂本+後列に権藤・高田・小山田の6人編成でのライブが多い。)………<発表アルバム(スタジオ・レコーディング)>「イエロー・マジック・オーケストラ」「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」「増殖」「BGM」「テクノデリック」「浮気なぼくら」「サーヴィス」「テクノドン」。………<代表曲>東風」「テクノポリス」「ライディーン」「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」「中国女」「ビハインド・ザ・マスク」「デイ・トリッパー」「タイトゥン・アップ」「ファイアークラッカー」「コンピューター・ゲーム」「キュー」「マス」「体操」「君に、胸キュン。」「過激な淑女」「以心電信」「ポケットが虹でいっぱい」「ビー・ア・スーパーマン」など。………<その他の活動>1982年には、お笑いバラエティ番組「オレたちひょうきん族」と漫才番組「THE MANZAI」に「トリオ・ザ・テクノ」の名で出演。)

細野晴臣、、twitter、、Instagram、、youtubeチャンネル、、リル・デイジー、、NO SMOKING、、Daisy Holiday、、ぶんぶく茶釜、、NHKアーカイブス、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、紹介記事-17、、紹介記事-18、、紹介記事-19、、紹介記事-20、、紹介記事-21、、紹介記事-22、、紹介記事-23、、紹介記事-24、、紹介記事-25、、紹介記事-26、、作品-1、、作品-2、、作品-3、、作品-4、、作品-5、、50周年-1、、50周年-2、、50周年-3、、50周年-4、、50周年-5、、50周年-6、、50周年-7、、50周年-8、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2、、youtube-3、、YouTube Music-1、、YouTube Music-2、、YouTube Music-3、、おまけ動画-1、、おまけ動画-2、、おまけ動画-3アルバム「MEDICINE COMPILATION」収録曲の「HONEY MOON(アンビエント版)」はスピリチュアル・ミュージックの最高傑作。世界トップレベルの知性・教養・技術・精神性とユーモアMIYA-JUNが最も尊敬する音楽家。生涯に渡り音楽の高み深みと自由を探求し続ける「スピリチュアルな音楽探求仙人」細野晴臣(1947年 – )、ミュージシャン(ベーシスト・シンガー・作編曲家)、プロデューサー・レーベル主宰者、作家。京都精華大学ポピュラーカルチャー学部客員教授(2013年 – 2017年)、多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。1969年「エイプリル・フール」でデビュー。1970年「はっぴいえんど」結成。73年ソロ活動を開始、同時に「ティン・パン・アレー」としても活動。78年「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成、歌謡界での楽曲提供を手掛けプロデューサー、レーベル主宰者(Non Standard、Monado、daisyworld discs)としても活動。YMO散開後は、ワールドミュージックアンビエントエレクトロニカを探求、作曲・プロデュース・映画音楽など多岐にわたり活動。2019年、音楽活動50周年。記念ドキュメンタリー映画「NO SMOKING(全国上映)」、記念展「細野観光1969-2019(六本木ヒルズ・スカイギャラリー)」、「細野さん みんな集まりました(恵比寿ガーデンプレイス)4Day」、「細野晴臣 50周年記念特別公演、細野晴臣 イエローマジックショー3(東京国際フォーラム)2Day」など、盛大な祝賀イベントが開催された。2008年、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2015年、「キネマ旬報」に連載したコラム「映画を聴きましょう」で、第42回キネマ旬報読者賞を受賞。2018年、是枝裕和監督の映画「万引き家族」のサウンドトラックで「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞。2020年、朝日賞を受賞。東日本大震災のあった2011年、「HoSoNoVa」でレコード大賞優秀アルバム賞受賞。年末には、TBS系「第53回 輝く!日本レコード大賞(新国立劇場)」のオープニングステージで、同作収録曲「スマイル(チャールズ・チャップリン作)」を披露。「Smile through your heart is aching(Smileどんなに苦しくても)Smile even though it’s breaking(Smileどんなに辛くても)When there are clouds in the sky,You’ll get by(外は曇り空でも)If you smile Though your fears and sorrow(笑顔さえあれば不安も悲しみも乗り越えられる)Smile and maybe tomorrow(Smileそうすれば明日は)You’ll see the sun comes shining through for you(きっと太陽が顔を出す、君のために)」と歌う。………<参加バンド・ユニット>、、エイプリル・フールはっぴいえんどティン・パン・アレー(キャラメル・ママ)イエロー・マジック・オーケストラ、フレンズ・オブ・アース、HIS、LOVE,PEACE&TRANCEスウィング・スロー、HAT、ハリーとマックスケッチ・ショウヒューマン・オーディオ・スポンジ東京シャイネスハリー・ホソノ&ワールドシャイネスHASYMOYellow Magic Orchestra、など。………<発表アルバム(ソロ作品)>、「トロピカル・ダンディー」「泰安洋行」「はらいそ」「コチンの月」「フィルハーモニー」「S・F・X」「マーキュリック・ダンス」「omni Sight Seeing」「MEDICINE COMPILATION」「グッド・スポーツ」「ナーガ」「HoSoNoVa」「Vu Jà Dé」「あめりか / Hosono Haruomi Live in US 2019」など。………<映画音楽>、「居酒屋兆治」「四月の魚」「銀河鉄道の夜」「パラダイスビュー」「紫式部 源氏物語」「メゾン・ド・ヒミコ」「グーグーだって猫である」「ノルウェイの森」「万引き家族」「NO SMOKING」など。………<楽曲提供>、、松田聖子「天国のキッス」、中森明菜「禁区」、イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」、安田成美「風の谷のナウシカ」、山下久美子「赤道小町ドキッ」、戸川純「玉姫様」、など。………<出演>Daisy Holiday(InterFM)」「大科学実験(NHK-Eテレ・ナレーション)」「2355(NHK-Eテレ・オープニング曲)」「細野晴臣イエローマジックショー1~3(NHK-BSプレミアム)」など。………<著作>、「地平線の階段」「観光(共著:中沢新一)」「音楽少年漂流記」「アンビエント・ドライヴァー」「対談の本 ロックンロールから枝豆まで」「分福茶釜(聞き手:鈴木惣一朗)」「神楽感覚(共著:鎌田東二)」「HOSONO百景 いつか夢に見た音の旅」「とまっていた時計がまたうごきはじめた(聞き手:鈴木惣一朗)」「地平線の相談(共著:星野源)」「映画を聴きましょう」など。………<おすすめアルバム-1>「omni Sight Seeing」、、80年代後半ワールド・ミュージックの先導的な役割を担っていた細野晴臣の、日本民謡からアラブ、中南米音楽など世界各地の音楽の要素を取り入れた、さながら音楽で世界旅行を体験するかのようなエレクトロニック・ポップの傑作。試聴は、こちらから。………<おすすめアルバム-2>「MEDICINE COMPILATION」、、聴き手を異世界に誘う究極のアンビエント・ミュージック。矢野顕子とのデュオボーカルによるセルフカバー「HONEY MOON」や、ファンク色が光る「AIWOIWAIAOU」など歌声が躍動する名曲も収録。試聴は、こちらから。

坂本龍一、、公式HP翻訳、、FB、、twitter、、Instagram、、youtubeチャンネル、、commmons、、RADIO SAKAMOTO、、more trees、、NHKアーカイブス、、Wikipedia、、CODA-1、、CODA-2、、CODA-3、、CODA-4、、CODA-5、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、TAG-1、、TAG-2、、TAG-3、、TAG-4、、TAG-5、、TAG-6、、TAG-7、、TAG-8、、TAG-9、、TAG-10、、TAG-11、、TAG-12、、TAG-13、、TAG-14、、youtube-1、、youtube-2、、youtube-3、、youtube-4、、youtube-5、、YouTube Music-1、、YouTube Music-2平和・憲法・原発・環境問題などの政治的運動へ積極的に参加したり、アート界への越境など、ジャンルを越えて活動する意識の高い音楽家YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の成功で世界的な注目を集め、作曲家として、1987年度アカデミー賞作曲賞と1989年度グラミー賞最優秀映画音楽アルバム賞を受賞し、1992年にはバルセロナオリンピック開会式の音楽を担当した日本が誇る世界の巨匠坂本龍一(1952年 – )、ミュージシャン・作曲家・ピアニスト・プロデューサー・俳優・作家・政治活動家・東京芸術大学客員教授。東京都出身、東京芸術大学大学院修士課程修了、米ニューヨーク州在住、愛称は「教授」。2006年、「音楽の共有地」創出を目指す新しい音楽レーベル「commmons」を創立。2009年にフランス政府から芸術文化勲章、2010年には文部科学省から大衆芸能部門の文部科学大臣賞を受賞。2017年、自身のドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto: CODA」が公開。この中では、過去のアーカイヴ映像と共に、YMO時代・米同時多発テロ、東日本大震災後の被災地訪問・原発反対運動、中咽頭ガン発覚・闘病生活、病を乗り越えての新作「async」制作など、彼の音楽的探求の道のりが描かれている。………<音楽活動>、、1975年、友部正人のアルバム「誰もぼくの絵を描けないだろう」でスタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアをスタート。78年、アルバム「千のナイフ」でソロ・デビュー。同年、「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」を結成。79年、アレンジを手掛けたサーカスのシングル「アメリカンフィーリング」で日本レコード大賞編曲賞を受賞。YMO散開後も多方面で活躍。ソロ活動、セッション・ワーク、楽曲提供、様々なユニットやプロジェクトへの参加、83年公開「戦場のメリークリスマス」を皮切りとした数多くの映画音楽制作など。………<政治活動>、、社会-1、、社会-2、、社会-3、、社会-4、、社会-5、、社会-6、、社会-7、、社会-8、、社会-9、、社会-10、、社会-11、、社会-12、、社会-13、、社会-14、、主な活動は、森林保全団体「more trees」創設、小林武史・桜井和寿らと非営利組織「ap bank」の設立、地雷除去活動支援チャリティーソング「ZERO LANDMINE」制作、アメリカ同時多発テロ事件をきっかけとした論考集「非戦」の出版、青森県六ヶ所村核再処理施設反対プロジェクト「stop rokkasho」、脱原発チャリティ・イヴェント「NO NUKES」、被災地支援プロジェクト「kizunaworld.org」「LIFE311」「こどもの音楽再生基金」「東北ユースオーケストラ」吉永小百合との反核・反戦コンサート、など。………<出演>映画俳優として「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」、パーソナリティとしてJ-WAVE「RADIO SAKAMOTO(J-WAVE)」、TV「スコラ 坂本龍一 音楽の学校(NHK-Eテレ)」「細野晴臣イエローマジックショー(NHK-BSプレミアム)」、など。………<発表アルバム・シングル(ソロ作品)>、、作品-1、、作品-2、、作品-3、、作品-4、、作品-5、、作品-6、、作品-7、、作品-8、、作品-9、、作品-10、、「千のナイフ」「B-2ユニット」「左うでの夢」「コーダ」「音楽図鑑」「ネオ・ジオ」「ビューティ」「ハートビート」「BTTB」「アウト・オブ・ノイズ」「async」」、「エナジー・フロー」を収録したマキシシングル「ウラBTTB」、など。………<映画音楽>、、「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」「シェルタリング・スカイ」「リトル・ブッダ」「鉄道員(ぽっぽや)」「御法度」「ファム・ファタール」「母と暮せば」「レヴェナント: 蘇えりし者」「天命の城」「YOUR FACE(台北映画賞音楽賞受賞)」「約束の宇宙」」、など。………<アート作品>、、アート-1、、アート-2、、アート-3、、アート-4、、アート-5、、「坂本龍一 + 真鍋大度《センシング・ストリームズ-不可視、不可聴》(札幌国際芸術祭2014)」、インスタレーション「IS YOUR TIME(ICC東京)」、「設置音楽展(ワタリウム美術館)」、「Ryuichi Sakamoto Exhibition: LIFE, LIFE(韓国ソウル特別市Ppiknic)」、「坂本龍一:观音听时|Ryuichi Sakamoto: seeing sound, hearing time(北京・木木芸術社区)」、など。………<著作>、、「水牛楽団休業(共著:浅田彰)」「長電話(共著:高橋悠治)」「音楽機械論(共著:吉本隆明)」「非戦(+sustainability for peace監修)」「エンデの警鐘 地域通貨の希望と銀行の未来(共編著:河邑厚徳)」「音楽は自由にする」「縄文聖地巡礼(共著:中沢新一)」「NO NUKES 2012 ぼくらの未来ガイドブック(共編:編纂チーム)」、など。………<坂本龍一 more trees 代表メッセージ>「人類は森とともにありました。森が崩壊したところでは文明が滅んでいきました。今、世界中で森林が崩壊しています。これは人類文明全体の滅びへの警告と言えるのではないでしょうか。実は日本は森林の多い国です。たくさんCO2を固着し、また水を保ち、多くの生命を養い、はたまた海まで育ててくれる貴重な森を、後々の世代まで残すために力を合わせましょう。more trees!!」

ピーター・バラカン、、FB、、twitter、、Webマガジン、、LIVE MAGIC、、youtubeチャンネル-1、、youtubeチャンネル-2、、ファンページ、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、紹介記事-17、、紹介記事-18、、紹介記事-19、、紹介記事-20、、紹介記事-21、、紹介記事-22、、TAG-1、、TAG-2、、TAG-3、、TAG-4、、TAG-5、、社会-1、、社会-2、、社会-3、、社会-4、、社会-5、、社会-6、、社会-7、、youtube (1974年から日本に在住。流暢な日本語と物腰の柔らかい話しぶり、日本人よりも日本に詳しい社会派のイギリス人。グローバルでリベラルな視点から、芯のあるメッセージを常に発信。ラジオ・TV出演、著作、多数。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の海外コーディネイションと作詞を担当。深い知性・教養と独自の審美眼でセレクトした、メジャーではなくとも良質な「世界のイイ音楽」を紹介する案内人。本当に自分が好きな音楽だけを発信する「本気の説得力」で、絶大な信頼を集めるプロフェッショナル・ブロードキャスターピーター・バラカン(1951年 – )、ロンドン生まれ。1973年、ロンドン大学日本語学科卒業。1974年、来日、シンコー・ミュージック国際部入社、著作権関係の仕事に従事。1980年、同退社。このころから執筆活動、ラジオ番組への出演などを開始、また1980年から1986年までイエロー・マジック・オーケストラ、後に個々のメンバーの海外コーディネーションを担当。1984年、TBS-TV「ザ・ポッパーズMTV」というミュージック・ヴィデオ番組の司会を担当、以降3年半続く。1988年、10月からTBS-TV で「CBSドキュメント」(アメリカCBS制作番組60 Minutesを主な素材とする、社会問題を扱ったドキュメンタリー番組)の司会を担当。音楽番組以外では初めてのレギュラー番組。 2010年4月からTBS系列のニュース専門チャンネル「ニュースバード」に移籍、番組名も「CBS 60ミニッツ」に変更。 2014年3月終了。1986年から完全に独立し、放送番組の制作、出演を中心に活動中。好きなアーティストはヴァン・モリソン、デレク・トラックス、リトル・フィート、ザ・バンド、グレイトフル・デッド、マディ・ウォーターズ、フェアポート・コンヴェンション、パンチブラザーズなど。音楽の嗜好は、ブルース、R&B、ソウル、ロック、ニュー・オーリンズ、アフリカ、レゲエ、ブルーグラス、カントリーなど多方面に渡る。その一方で、ハードロック・ヘヴィメタルは嫌いな音楽であり、自身の番組では流さないと宣言。特に、一過性・まがい物のブームを嫌った正直な発言に、しばしば抗議殺到やSNS炎上も。2012年から14年までInterFMの執行役員を務め、スポンサーの意向よりも「リスナーを第一にする」改革を推進し好評を得るが、原発事故問題へのブレない姿勢を貫き、番組打ち切りとなる。2013年、日本の放送文化の質的な向上を願い、優秀番組・個人・団体を顕彰する、第50回ギャラクシー賞の「DJパーソナリティ賞」を受賞。2014年から毎年、音楽フェスティヴァル「Peter Barakan’s Live Magic ! 」のキュレイターを務め、内外の素晴らしいミュージシャンを紹介。………<出演番組>、「バラカン・ビート(インターFM)」「ウィークエンド・サンシャイン(NHK-FM)」「ライフスタイル・ミュージアム(東京FM)」「ジャパノロジー・プラス(NHK BS1)」「音楽と旅するアメリカ(CS旅チャンネル)」など。………<著作>「魂(ソウル)のゆくえ」「ぼくが愛するロック名盤240」「ロックの英詞を読む」「猿はマンキお金はマニ 日本人のための英語発音ルール」「わが青春のサウンドトラック」「200CD+2 BLACK MUSIC」「音楽日記」「ラジオのこちら側で」「テイキング・ストック ぼくがどうしても手放せない21世紀の愛聴盤」など。)

落合恵子、、夜のしおり、、クレヨンハウス紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、社会-1、、社会-2、、社会-3、、社会-4、、社会-5、、社会-6、、社会-7、、社会-8、、社会-9、、社会-10、、社会-11、、社会-12、、社会-13、、社会-14、、社会-15、、youtube作家として、フェミニストの視点から、家族・社会・人権・育児・教育・介護・食の安全・環境問題などを、優しく分かり易い形で表現。起業家として、子どもの本の専門店「クレヨンハウス」を創業、“子ども・女性・オーガニック”をテーマにマルチな事業を展開、日本初の革命的な新しい価値観を定着させ、唯一無二の地位を確立。社会活動家として、婚外子差別・選択的夫婦別姓制度・原発・特定秘密保護法案・憲法改正など、評論・講演のほか、マスメディアや集会から、抑制の効いた静かなトーンで語りかける様に発言。様々な働きかけを通じ、弱者に寄り添い「行動する」社会派作家落合恵子(1945年 – )、作家、クレヨンハウス主宰、総合育児雑誌「月刊クーヨン」・オーガニックマガジン「いいね」発行人、週刊金曜日の編集委員。 栃木県宇都宮市出身、婚外子として母子家庭に生まれ、明治大学文学部英文学科卒業後、1967年、文化放送にアナウンサーとして入社(同期にみのもんたなど)。「走れ!歌謡曲」「セイ!ヤング」のパーソナリティを担当。「レモンちゃん」の愛称で親しまれ、ゆったりと静かに語りかける話術と優しさで、幅広い年齢層に人気を博す。1974年、同社を退社し作家活動を開始。執筆と並行して、1976年、クレヨンハウスを創業。日本文芸大賞女流文学賞、日本ジャーナリスト協会奨励賞、ギャラクシー奨励賞、日本婦人放送者懇談会賞、ENEOS児童文化賞などを受賞。………<出演>、「走れ!歌謡曲(文化放送)」「セイ!ヤング(文化放送)」「こんばんは、落合恵子です(文化放送)」「落合恵子のちょっと待ってMONDAY(文化放送)」「おはようございます 落合恵子です(TBSラジオ)」「パックインジャーナル(朝日ニュースター)」「ハートネットTV(NHK教育)」「落合恵子の絵本の時間(NHKラジオ第1)」「ラジオ深夜便・夜のしおり(NHKラジオ第1・毎月第4土曜日)」など。………<著作>、「スプーン一杯の幸せ」「遺書 白い少女(映画化)」「どういうわけか、ボクはネコ」「自分を生きる女の本」「ザ・レイプ(映画化)」「シングルガール」「夏草の女たち(映画化)」「そらをとんだたまごやき(絵本)」「明るい覚悟」「母に歌う子守唄」「質問 老いることはいやですか?」「てんつく怒髪 3.11、それからの日々」「『わたし』は『わたし』になっていく」「おとなの始末」「泣きかたをわすれていた」「偶然の家族」「子どもたちの戦争(翻訳)」「とんでいったふうせんは(翻訳)」「50歳われらの戦後(共著:佐高信)」「戦争で得たものは憲法だけだ 憲法行脚の思想(共著:佐高信)」「『知』の挑戦 本と新聞の大学 2(共著:一色清,姜尚中,中島岳志,浜矩子,福岡伸一)」など。

松岡正剛、、千夜千冊、、FB、、twitter、、編集工学研究所、、イシス編集学校、、角川武蔵野ミュージアム、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、書籍の紹介、、youtube1971年、出版社「工作舎」を設立。カウンターカルチャーのバイブル「ホール・アース・カタログ」のスピリットを受け継ぎ、知の再編を最初期に試行した、斬新で画期的なオブジェマガジン「遊」を創刊。情報文化と情報技術をつなぐ方法論を体系化し「編集工学」を確立。対極するテーマを出会わせる知識編集と先鋭的なグラフィズムによって、メディア界・知識人・アーティストたちに多大な影響を与える知の巨人松岡正剛(1944年 – )、京都生まれ、早稲田大学文学部中退。編集工学者・作家・日本文化研究者。株式会社松岡正剛事務所代表取締役、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長、角川武蔵野ミュージアム館長。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授、NTT民営化にともなう「情報と文化」研究会の座長を歴任。情報文化と情報技術をつなぐ方法論を体系化し、その成果をメディアづくりやシステム開発、さまざまな企画・編集・クリエイティブに展開。日本文化を独自の視点で読み解く著作やテレビ番組を監修。ネットワーク上に壮大なブックナビゲーション「千夜千冊」を連載。eラーニングの先駆けともなる「イシス編集学校」を創立、約600名の師範代を育成。近年は、知識情報の相互編集を可能とする「図書街」「目次録」、編集的世界観にもとづく書店空間「松丸本舗」など、本を媒介にした数々の実験的プロジェクトを展開。「日本という方法」を提唱し、文化創発の場として精力的に私塾やサロンを主宰。写真・アート・音楽・デザイン・書の目利きとしても定評があり、みずから書画・戯画・作詞・短歌・俳句などを手掛ける。俳号は玄月、血液型B型、座右の銘は「少数なれど熟したり」(フリードリヒ・ガウス)、モットーは「生涯一編集者」。著作、「自然学曼陀羅 物質・感覚・生命・芸術・仏教から」「遊学」「花鳥風月の科学」「知の編集工学」「山水思想 もうひとつの日本」「千夜千冊」「松岡正剛の書棚 松丸本舗の挑戦」「本から本へ」「デザイン知」「情報生命」など。………サイト「千夜千冊」で掲載された名作書評「1771夜 『神秘主義』アンリ・セルーヤ」について詳しくは、こちらから。)

松島倫明(未来学編集工学)、、雑誌WIRED、、WIRED(web)、、ブクログ、、twitter-1、、twitter-2、、twitter-3、、youtubeチャンネル、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、youtube-1(松島倫明)、、youtube-2(WIRED) (テックカルチャー・メディア「WIRED(ワイアード)日本版」編集長。(ヒッピー・ムーブメントなどカウンター・カルチャーのバイブルとなった伝説のカタログ誌)「ホール・アース・カタログ」のスピリットを現在進行形に蘇らせる人物。翻訳者・編集者として、デジタル時代の新しいパラダイムを紹介。テクノロジーと野生の融合を提唱する現代日本の最先端知性松島倫明(1972年 – )、翻訳者・編集者、トレイルランナー。東京都世田谷区出身、国立一橋大学社会学部卒業、鎌倉市小町在住。1996年、NHK出版に入社、翻訳書の版権取得・編集・プロモーションなどを行なう。村上龍氏のメールマガジンJMMやその単行本化などを手がけたのち、2004年から翻訳書の出版に携わる。2014年よりNHK出版放送・学芸図書編集部編集長。2018年、コンデナスト・ジャパン入社、「WIRED・日本版」の編集長に就任。………<ライフスタイル>鎌倉トレイル協議会が主催する「ラン・マインドフル・リトリート」のナビゲーターを務め、トレイルラン・メディテーション・自然農・オーガニックなど、スローライフを実践。。。紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7………<メディア>ラジオ・テレビ・雑誌・Web、寄稿文・インタビュー・対談、書籍の解説・あとがき、講演・企画展の開催、審査委員などで活躍。。。発言-1、、発言-2、、発言-3、、発言-4、、発言-5、、発言-6、、発言-7、、発言-8、、発言-9、、発言-10、、発言-11、、発言-12、、発言-13、、発言-14、、発言-15………<編集ワークス>WIRED編集長として、「ニューエコノミー」「デジタル・ウェルビーイング」「ミラーワールド」「ナラティヴと実装」「地球のためのディープテック」「フューチャーズ・リテラシー」「SFがプロトタイプする未来」「越境への欲望」「世界を一歩前に進める最新トレンド」などを特集。。。ワーク-1、、ワーク-2、、ワーク-3、、ワーク-4、、ワーク-5………<翻訳書>デジタル社会のパラダイムシフト、モビリティ革命、限界費用ゼロ社会、メイカーズムーブメント、シェアリングエコノミー、格差の拡大、フェイクニュースと個人情報の流出、超巨大テック企業による寡占、シンギュラリティへの恐怖、新しいライフスタイルとウェルビーイングの可能性、海外文学、ポピュラーサイエンス分野、歴史分野など、未来を予見する数々の名著を翻訳して日本に紹介。。。ジェームズ・ラブロック「ノヴァセン 〈超知能〉が地球を更新する」、クリス・アンダーソン「フリー」「MAKERS」、レイチェル・ボッツマン他「シェア」、レイ・カーツワイル「シンギュラリティは近い」、ピーター・ティール「ZERO to ONE(2015年ビジネス書大賞受賞)」、ジェレミー・リフキン「スマート・ジャパンへの提言」「限界費用ゼロ社会」、ケヴィン・ケリー「〈インターネット〉の次に来るもの(ビジネス書グランプリ2017イノベーション部門賞)」、ミチオ・カク「パラレルワールド」、リサ・ランドール「宇宙の扉をノックする」、ステファノ・マンクーゾ「植物は〈知性〉をもっている」、クリストファー・マクドゥーガル「BORN TO RUN 走るために生まれた」、ジョン・レイティ「脳を鍛えるには運動しかない!」「GO WILD 野生の体を取り戻せ!」「マインドフル・ワーク」「NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる」、など。。。書籍の紹介-1、、書籍の紹介-2

船瀬俊介、、船瀬図書館、、FB-1、、FB-2、、twitter、、youtubeチャンネル、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、紹介記事-17、、書籍の紹介、、youtube「知らないことは罪である。知ろうとしないことはさらに深い罪である。」 と伝承。著書「買ってはいけない」200万部大ベストセラーで話題を呼び、「抗がん剤で殺される」で一大センセーショナルを巻き起こす。独特の語りで、現代医療の矛盾と問題点に鋭くメスを入れる。著書300冊以上、反骨の熱血漢船瀬俊介(1950年 – )、医療・環境ジャーナリスト。福岡県出身、九州大学理学部中退、早稲田大学第一文学部社会学科卒業。日本消費者連盟に出版・編集スタッフとして参加後、独立。独立後は消費者・環境問題を中心に評論・執筆・講演活動を行っている。温暖化などの地球環境問題、シックハウスなど健康問題、さらに文明論的視点から建築・医療・健康・食品の鋭い批評を展開。 クスリ漬けの現代医療から脱却し、昔からの伝統医療を復活させる目的で、【新医学宣言】を声高らかに訴える。月に一度「船瀬塾」を主宰。雑誌「月間、ザ・フナイ」でレギュラー執筆。ベジタリアンであり、断食や少食など自己治癒力を引き出し、60歳を過ぎても精神年齢は10代、肉体年齢は20代をキープしていると自負。著作、「買ってはいけない」「ほんものの日本酒を!」「抗がん剤で殺される」「クスリは飲んではいけない!?」「病院で殺される 長生きしたければ、行ってはいけない」「天然建材5000年の底力 漆喰復活」「笑いの免疫学」「日本の真相!」「 やっぱりあぶない電磁波「効果がないどころか超有害! ワクチンの罠」「未来を救う『波動医学』」「やって良かった!1日1食 病気にならない生き方」「テレビは見るな! 新聞は取るな!」など。)

苫米地英人、、ブログ、、FB、、twitter、、Instagram、、苫米地コーチング、、CLUB TOMABECHI、、バラいろダンディ、、苫米地英人研究会、、youtubeチャンネル-1、、youtubeチャンネル-2、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、TAG-1、、TAG-2、、TAG-3、、TAG-4、、TAG-5、、TAG-6、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2わたくしMIYA-JUNが常に注目し信頼を寄せる人物。これまで、新型コロナウイルス・アメリカ大統領選・安部総理辞任など重要局面で、いつも参考にしている情報源IQ-200越えの頭脳で、冷徹に分析した解説は、ほぼ的中。遥か最先端のテクノロジー、マスメディアに載らない政治動向など、特殊な人脈から収集した、様々な裏情報に精通する知識人苫米地英人(1959年 – )、東京都生まれ。認知科学者(計算言語学・認知心理学・機能脳科学・離散数理科学・分析哲学)計算機科学者(計算機科学・離散数理・人工知能)。カーネギーメロン大学博士(Ph.D.)、同Cylab兼任フェロー、株式会社ドクター苫米地ワークス代表、コグニティブリサーチラボ株式会社CEO、角川春樹事務所顧問、中国南開大学客座教授、全日本気功師会副会長、米国公益法人The Better World Foundation日本代表、米国教育機関TPIインターナショナル日本代表、天台宗ハワイ別院国際部長、財団法人日本催眠術協会代表理事。マサチューセッツ大学を経て上智大学外国語学部英語学科卒業後、三菱地所へ入社。2年間の勤務を経て、フルブライト留学生としてイエール大学大学院に留学、人工知能の父と呼ばれるロジャー・シャンクに学ぶ。同認知科学研究所、同人工知能研究所を経て、コンピュータ科学の分野で世界最高峰と呼ばれるカーネギーメロン大学大学院哲学科計算言語学研究科に転入。全米で4人目、日本人として初の計算言語学の博士号を取得。帰国後、徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長、同ピッツバーグ研究所取締役、通商産業省情報処理振興審議会専門委員などを歴任。現在は米国認知科学の研究成果を盛り込んだ能力開発プログラム「PX2」「TPIE」を日本向けにアレンジ。日本における総責任者として普及に努めている。………<実績>コンピュータ関連は、世界で最初の音声通訳システム、マッキントッシュの日本語入力ソフト「ことえり」など、多くのソフトを開発。人工知能に関する研究で国の研究機関をサポート。次世代P2P型通信・放送システム「Key HoleTV」を開発し、無料公開。認知科学者として、オウム真理教信者の脱洗脳や、国松警察庁長官狙撃事件で実行犯とされる元巡査長の狙撃当日の記憶の回復など、脱洗脳のエキスパートとしてオウム事件の捜査に貢献。現在も各国政府の顧問として、軍や政府関係者がテロリストらに洗脳されることを防ぐ訓練プログラムを開発・指導。また、格闘家前田日明氏とともに全国の不良たちに呼びかけた格闘イベント「THE OUTSIDER」を運営。仏教専門家として、比叡山延暦寺の本坊(総里坊)である滋賀院門跡にて天台宗で得度。TV「バラいろダンディ(TOKYO MX)」に準レギュラー出演。………<著作>、「洗脳原論」「スピリチュアリズム」「頭の回転が50倍速くなる脳の作り方」「英語は逆から学べ!」「年収が10倍アップする 超金持ち脳の作り方」「テレビは見てはいけない 脱・奴隷の生き方」「残り97%の脳の使い方」「夢が勝手にかなう脳」「洗脳広告代理店 電通」「TPPが民主主義を破壊する!」「空海は、すごい 超訳 弘法大師のことば」「日本人の99%が知らない戦後洗脳史日本人だけが知らない戦争論」「明治維新という名の洗脳」「2050年 衝撃の未来予想」「『感情』の解剖図鑑: 仕事もプライベートも充実させる、心の操り方」「百年後の日本人」など。)

坂口恭平、、note、、twitter、、Instagram、、youtubeチャンネル、、Free Listening on SoundCloud、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、紹介記事-17、、紹介記事-18、、紹介記事-19、、紹介記事-20、、紹介記事-21、、紹介記事-22、、紹介記事-23、、紹介記事-24、、紹介記事-25、、紹介記事-26、、紹介記事-27、、紹介記事-28、、紹介記事-29、、書籍の紹介、、youtube生活費0円の都市型狩猟採集生活を提唱。生きづらい世の中に風穴を空けるべく、革命家・作家・思想家・哲学者・建築家・美術家・音楽家・舞踊家・政治家・「いのっちの電話」相談員として活動する、ジャンルでは括れない「生き様アーティスト」。New York Timesの1面で総力取材されるなど世界的に評価されている。自称・新政府初代内閣総理大臣坂口恭平(1978年 – )、熊本県生まれ、早稲田大学理工学部建築学科卒業。 2004年、路上生活者の住居を撮影した写真集「0円ハウス(リトルモア)」を刊行。 以降、ルポルタージュ・小説・思想書・画集・料理書など多岐にわたるジャンルの書籍・音楽などを発表、カナダ・バンクーバー州立美術館を皮切りに各地で展覧会を開催。2011年、福島第一原子力発電所事故後の政府の対応に疑問を抱き、自ら新政府初代内閣総理大臣を名乗り、新政府を樹立。拠点とする「ゼロセンター(熊本県)」に、原発事故直後の避難者100人以上を無料で受け入れた躁鬱病であることを公言し、自殺者をゼロにする」という目標を掲げ、希死念慮に苦しむ人々との対話「いのっちの電話」を自らの携帯電話(090-8106-4666)で続けている。07年、ケニアのナイロビにて世界会議フォーラムに参加、作品「Kibera Bicycle」を展示、手作りの自転車に段ボールで作った家を積み重ね、公道を走る。12年、路上生活者の考察に関して第2回吉阪隆正賞受賞。12年~13年、ワタリウム美術館にて「坂口恭平 新政府展」を開催。14年、「幻年時代」で第35回熊日出版文化賞受賞、「徘徊タクシー」が第27回三島由紀夫賞候補となる。 16年、「家族の哲学」で第57回熊日文学賞受賞。2023年、熊本市現代美術館にて個展を開催予定。愛猫の名前は、ノラ・ジョーンズ。………<新政府メンバー>、、ゼロセンター(首相官邸)、坂口恭平(内閣総理大臣)、鎌仲ひとみ(厚生労働大臣)、藤村龍至(国土交通大臣)、中沢新一(文部大臣)、国民(ツイッターのフォロワー)、国民はすべて何らかの大臣を担当、マッサージのうまい人はマッサージ大臣、一緒にいると和む人は和み大臣、など。………<映画>「貯水タンクに棲む(監督・主演・脚本、1999年未公開)」「移住ライダー(監督・主演・脚本、2001年未公開)」「多摩川文明(監督・主演・脚本、2010年未公開)」「モバイルハウスのつくりかた(主演、2012年公開、監督:本田孝義)」「MY HOUSE(原作、2012年公開、監督:堤幸彦)」。………<ディスコグラフィー>「Practice for a Revolution」「新しい花」「ルリビタキ」「アポロン」「隕石たち」「クマと恐竜」。………<著作>0円ハウス」「TOKYO 0円ハウス0円生活」「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」「独立国家のつくりかた」「モバイルハウス 三万円で家をつくる「躁鬱日記」「幻年時代」「現実脱出論」「徘徊タクシー」「家族の哲学」「cook」「まとまらない人」「自分の薬をつくる」「苦しい時は電話して」「pastel」「お金の学校」「躁鬱大学」など。)

福岡正信、、福岡正信自然農園HP、、FB、、Instagram、、NHKアーカイブス、、じねん道、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、資料-1、、資料-2、、インタビュー・1、、インタビュー・2、、書籍の紹介、、youtube急性肺炎に罹って死の淵を彷徨ったのを機に「この世には、何もない」と悟り、人間の管理による近代農法を否定した自然が本来持つ力だけで作物を育てる「自然農法」を提唱。土を耕さず、肥料・農薬を与えず、雑多な種を包んだ【粘土団子】を蒔くだけで作物を育てることに成功(「不耕起 無肥料 無除草」)。自ら足を運んで、食糧不足や砂漠化に悩む途上国に向かい、90歳を過ぎ歩行が困難となる最晩年まで、技術指導と普及に尽力し、世界的な評価を受けるとともに、多くの書籍・詩・画を通じて「無」の境地を伝道した農哲学者。福岡正信(1913 – 2008年)、愛媛県出身、現・岐阜大学応用生物科学部卒業。急性肺炎に罹るまでは、横浜税関植物検査課に勤務。1937年、一時帰農、自然農法を始める。39年、高知県農業試験場(現・高知県農業技術センター)に勤務。47年、再び帰農、自然農法一筋に研究を開始。75年、「自然農法・わら一本の革命」を出版。88年、インドのタゴール国際大学学長のラジブ・ガンジー元首相から最高名誉学位を授与。同年、アジアのノーベル賞と称されるフィリピンのマグサイサイ賞「市民による公共奉仕」部門賞受賞。97年、第1回アース・カウンシル賞受賞(日本人同時受賞者に竹下登、平岩外四、原田正純)。その思想は全世界で高く評価され、英語版をはじめフランス語・スペイン語・中国語・ロシア語など数十カ国語に翻訳され、今もたくさんの国で愛読されている。………<著作>「自然農法 わら一本の革命」「無〈1〉神の革命」「無〈2〉無の哲学」「無〈3〉自然農法」「自然に還る」「自然農法 福岡正信の世界(DVDブック)」など。)

山田魂也(ポン)、、本人寄稿文、、追悼特集、、追悼掲示板、、蝦名宇摩(娘)HP、、Instagram、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、書籍の紹介、、youtube愛称「ポンさん」、記念すべき日本のヒッピー第1号。日本のカウンターカルチャー・ヒッピーカルチャーの中心人物。コミューン運動(部族)・ヤマハボイコット運動・ネイティヴ運動・反原発運動・大麻解放運動などを牽引。自称“お祭りポン太”。歴史的にも意義深い「いのちの祭り(1988・8・8)」など、多数の祭りの仕掛け人。新しい文化の原型を数多く創造、野外フェスティバル・レイヴカルチャー・サウンドデモ・フリーマーケット・オーガニック・エコロジー・ロハスなど。ブッ飛んだサイケデリック画のアーティスト、マリファナ伝道師山田魂也(1937 – 2010)、画家・詩人・作家・思想家・活動家。岐阜県高山市生まれ。幼少時の大半を病床で過ごし、脊椎カリエスを患い「せむし」となる。1955年に高校中退後、磁器・画工となり、58年に京都にて友禅染・画工に。60年に街頭似顔絵業を開業。上京後は画家を志すも新宿ビートニックとの出会いをきっかけにドロップアウト、放浪の旅に出る。67年、コミューン運動“部族”を結成。71年、初のインド放浪。72年、ヤマハ日本楽器の諏訪之瀬島観光開発計画に反対し、74年、東京・国分寺にCCC太使館というコミューンを築き、ヤマハボイコット運動を展開。75年、奄美・枝手久闘争ではコミューン無我利道場を建設、以後7年間石油基地反対闘争にかかわる。82年、タイ・インド・イタリア放浪。83年、爆発物取締罰則にて逮捕。出所後は東京にて獄中者救援運動に取り組む。87年、飛騨高山に帰郷。アメリカインディアン運動、反原発運動などに参加。92年、成田空港にて大麻取締法・関税法にて逮捕。94年、高山にて第1回個展。96年、反国体ステハリ事件にて逮捕。97年、ベトナム・タイ・インドの旅。99年、大麻取締法にて逮捕。2000年に高山より穂積を経て秩父に移住。2010年、埼玉にて死去。………<著作>「詩集ポン」「魚里人(共同執筆)」「奄美独立革命論(共同執筆)」「詩集オーソレナガラ・バカフレムン」「アイ・アム・ヒッピー」「スクナ(原作)」「マリファナX(共同執筆)」「トワイライト・フリークス」「麻里花詩集」。………<著書「アイ・アム・ヒッピー」概要>「1960年代、東京オリンピックをステップにして、日本が高度経済成長の大波に乗る頃、『やばい、この波に乗せられたら身の破滅だ!』と直感し、競争社会からドロップアウト。物質文明に背を向けたヒッピーたちは南海の火山島や信州の高原にコミューン(共同体)を築いていった。幻覚剤LSD、愛と平和、ヒッチハイク、ロックとサイケデリック・アートから文化・社会現象として波及していった全過程を日本のヒッピー第一号が語り尽くす。」)

南正人、、公式HP、、twitter、、Instagram、、告知FB、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、シャンバラ祭り-1、、シャンバラ祭り-2、、シャンバラ祭り-3、、シャンバラ祭り-4、、「家、ついて行ってイイですか?」-1、、「同」-2、、「同」-3、、「同」-4、、「同」-5、、「同」-6、、南研子(元妻)FB、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2、、YouTube Music愛称は「ナミさん」。カッコいい生き様・カッコいい死に様を体現した元祖ヒッピー・ミュージシャン、南正人の自伝「風のように自由に旅するヒッピー人生」宣伝コピーから………「海外放浪、マリファナ、LSD、コミューン生活、ドラッグ裁判、獄中生活…。歌い・旅する伝説のシンガー南正人が、おおらかに書き下ろした『日本一自由に生きてきた男』の物語。」………2021年1月、全力のライブ・ステージ途中、「まだまだ行こうぜ、keep on movin’(動き続けろ) keep on going(進み続けろ)、まだまだ行けるぜ、keep on movin’ keep on going」と歌った直後に急逝。生涯に渡り、商業主義に流される事なく、信念を貫き通した偉大な魂南正人(1944 – 2021)、ロック・ミュージシャン。東京・阿佐ヶ谷生まれ、東京外語大学スペイン語科卒。64年、二十歳を迎えた大学在学中にメキシコ・アメリカ・ヨーロッパ各地を2年間放浪。グリニッジビレッジでのボブ・ディランとの出会いを機に、ベトナム戦争や学園紛争の時代背景のもと、路上や反戦集会で自作のメッセージ・ソングを歌い始める。PPMやブラザーズフォーなどの英語の歌をそのままコピーするカレッジフォークに対し、高田渡・遠藤賢司・真崎義博らと「アゴラ」という日本語のフォーク・ソングのチームを結成。69年に初シングル「ジャン/青い面影」、71年に初アルバム「回帰線」を発表。その後、都会を離れて山中にて実験的コミューン生活を開始。以降、年間100本を超えるライヴを全国で展開しながら、作品を発表。73年、2nd「南正人ファースト」発表。日本ではいち早くサンバやレゲエなどパーカッシブなリズムを取り入れ独自の音楽活動を展開。88年、参加者が10000人に及ぶ「いのちの祭りin八ヶ岳・NO NUKES ONE LOVE」をプロデュース。89年、全労災ホール(スペースゼロ)で、”歌手生活20周年”の記念コンサートを開催。91年、「いのちの祭りin六ヶ所村」をプロデュース。その後、アジア各地を旅し、97年にタイのチェンマイにて第1回日本とタイの草の根コンサート「ジュビリージャム(タイ版いのちの祭り)」を実現。2002年にも第2回をプロデュース。2010年から毎年、タイ・チェンダオで「シャンバラ祭り」を開催。2019年には4500人、延べ63か国もの人が訪れ、海外でも特集されるなどしている。 そこで生まれた友情や縁は深く、温かな広がりを見せて、フェスティバルの後も、各地で小さなフェスが開かれ、 彼が亡くなった2021年の誕生日には、追悼のピクニックフェスティバルというものがタイで開かれた。………<発表アルバム>「回帰線」「南正人ファースト」「南正人ライブ1975.10.7MANDA-RA」「希望峰」「Lady Let Me Go」「Start Again」「恋心」「馬尾馬尾」「人生の楽屋裏」「SONGS〜歌たちよ〜」「Live on the Road 80s」「風来坊の唄」など。………<代表曲>ローリングストーン」「喜望峰」「人生の楽屋裏」「こんなに遠くまで」「今夜はオーライ少年」「あたしのブギウギ」など。………<著作>風のように自由に旅するヒッピー人生」「KEEP ON!」「国境の南 元祖ジャパニーズ・バックパッカー1964/1966」。)

淺井カヨ、、Instagram、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、youtube大正末期から昭和初期を生きた日本のモダンガールと、その時代を調査・研究。催事・展示・講演などで活動。昭和初期の住居で暮らし、氷を入れる方式の冷蔵庫を実際に使用するなど、ファッションから生活様式まで、当時のスタイルを徹底的に追求し実践。その活動ぶりがメデイアにたびたび紹介される本物の探求者淺井カヨ、大正65年(昭和51年)名古屋市生まれ、東邦高等学校普通科美術デザインコース(現・美術科)一期生、愛知県立芸術大学美術学部デザイン・工芸科デザイン専攻卒業。2007年、日本モダンガール協會を設立。2016年、大正から昭和にかけて建てられた洋館付き住宅を精密に再現した「小平新文化住宅」が完成。同住宅を会場に蓄音器コンサートや講演会なども開催するほか、かつての古きよき時代にタイムスリップしたかのような自身の暮らしぶりも公開。………<著作>「モダンガールのスヽメ」、寄稿「東京府のマボロシ -失われた文化、味わい、価値観の再発見 (ほろよいブックス)」。)

みうらじゅん、、twitter、、ほぼ日刊イトイ新聞、、ニッポン民俗学研究所、、自由研究、、youtubeチャンネル-1、、youtubeチャンネル-2、、youtubeチャンネル-3、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、紹介記事-14、、紹介記事-15、、紹介記事-16、、紹介記事-17、、紹介記事-18、、紹介記事-19、、紹介記事-20、、紹介記事-21、、紹介記事-22、、Book-1、、Book-2、、Book-3、、Book-4、、Book-5、、Book-6、、Book-7、、Book-8、、Book-9、、展覧会-1、、展覧会-2、、展覧会-3、、展覧会-4、、展覧会-5、、展覧会-6、、展覧会-7、、書籍の紹介、、youtubeマイブーム」「ゆるキャラ」生みの親。「自分の中だけで流行っている物や出来事」を「マイブーム」と表した造語は、新語・流行語大賞を受賞。日本中を巻き込んだ「ゆるキャラ」では、条件として「郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること。立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること。愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせていること。着ぐるみ化されていること。」と定義。独自の面白がり方を発明して、この世に「ない仕事(新しい価値)」を創り出す、異能の天才面白クリエイターみうらじゅん(1958年 – )、イラストレーター・エッセイスト・漫画家・ミュージシャン。長髪とボブ・ディランに似せたサングラスがトレードマーク。日本1不要不急な男。京都市生まれ、武蔵野美術大学在学中に月刊漫画「ガロ」で漫画家デビュー。以来、「ビックリハウス」「宝島」を皮切りにTVやラジオ、みうらじゅん賞の主催など、マルチクリエーターとして多彩な活動を展開。1982年、講談社ちばてつや賞受賞。97年、「マイブーム」で新語・流行語大賞受賞。2005年、日本映画批評家大賞功労賞受賞。18年、仏教伝道文化賞沼田奨励賞受賞。………<主なマイブーム>仏像ブームカスハガ(絵葉書セットに混じっている何をアピールしたいのか意図が全く不明であるカスのような絵葉書のブーム)、ゴムヘビ・ブーム飛び出し坊やブームムカエマ(読んでいるだけでムカツク内容の絵馬のこと)、いやげもの(悪趣味な置物やキーホルダー等もらって困る土産物のこと)、とんまつり(とんま+奇祭)、シンスブーム(英語の“…から”や、“…以来”を表すSINCEのロゴの写真を集めるブーム)、地獄表ブーム(バスの本数が地獄のように少ない時刻表に注目したブーム)、しびんブーム(世界中のしびんを集めるブーム)、アウトドア般若心経(広告とかから文字を見つけ撮影し般若心経を組み立てる)、冷マ(冷蔵庫マグネットのブーム)、テープカッターブーム(通常は招待され参加するテープカットのイベントをみうら自ら参加を希望しテープカットをするブーム)、など。………<造語>見仏(信仰や美術品としての視点とは異なる独自の観点から各地の仏像を面白がる行為)、マイ遺品(「死ぬまで捨てるもんか!」と強い意志を持って収集し続けているモノ)、グレート余生(人が生れ落ちた時から始まる余生を有意義にするのがマイブームである)、クソゲー(ファミコンブーム時に雑誌で連載)、バカ映画(雑誌「映画秘宝」のキーワード)、DT(童貞のこと)、自分なくし老いるショック、など。………<みうらじゅん賞(みうらじゅんの独断で贈呈される賞・この人にはだれも賞を贈らないだろうということを中心に選定)受賞者>、杉作J太郎、水野晴郎、安斎肇、遠藤賢司、久住昌之、野沢直子、井筒和幸、ギャル曽根、人間椅子、ミゲル・ゲレイロ(消臭力)、壇蜜、オリエント工業(ラブドール)、楳図かずお、橋本マナミ、冷マ、船越英一郎、コクヨ、など。………<名言>「中途半端にかしこくなるよりも素晴らしいバカになるために努力をするべきだ」「面白いことは常に違和感から生まれる」「全ての悩みの原因は自分があると信じていること」「(悩む原因について)他人への期待と他人との比較が大元です」「いい人って思われたい、そこが選択を鈍らせる原因」「少しでも自分に興味をなくし自分以外のものに興味を向けるべき」「一度好きなように生きてみればどうなのよ?」「うまくいかないときってバランスが悪いんですよ」「人間なんて考え方一つでどうにでもなる」「LIFE is 不安タスティック」「キープ・オン・バカ」など。………<番組出演>、「みうらじゅんのマイブームクッキング(フーディーズTV)」「みうらじゅん&山田五郎の親爺同志(MONDO TV)」「みうらじゅんの信越ゆるキャラ運動会(長野放送・新潟総合テレビ)」「みうらじゅんのグレイト余生映画ショー in 日活ロマンポルノ(衛星劇場)」「笑う洋楽展(NHK BSプレミアム)」「いとうせいこう×みうらじゅん ザツダン!(文化放送)」「みうらじゅん&安齋肇の勝手に観光協会(EXエンタテイメント)」「新TV見仏記(関西テレビ)いとうせいこうと共演」「タモリ倶楽部(テレビ朝日)」「みうらじゅんのサントラくん(NHKラジオ第1)」「大竹まこと ゴールデンラジオ!(文化放送)」など。………<音楽活動>、ソロ、大島渚(人気番組「イカすバンド天国」に出演し日本武道館のステージにも立ったバンド)、シーモンキーズ、大日本仏像連合、バギナーズ(いとうせいこう・安斎肇との女装バンド)、ブロンソンズ(田口トモロヲと)、The Rock’n Roll Sliders(いとうせいこうと)、みうらじゅん with 人間椅子、みうらじゅん&安斎肇、など。………<展覧会>、「大物産展 マイブームの国へようこそ(ラフォーレ原宿1998)」「みうらじゅんの100冊展 Book On Rock’n Roll!(パルコファクトリー2009〜2010)」「国宝みうらじゅん いやげ物展 in TOKYO(渋谷パルコ2014)」「みうらじゅんフェス(川崎市民ミュージアム2018)」など。………<寄稿>、Tarza・SPA!・週刊文春・マリソル・モノマガジン・小説すばる・月刊HANADA・はれ予報・産経新聞・夕刊フジ・映画秘宝・京都新聞など。………<著作>、「アイデン&ティティ(映画化)」「見仏記(共著:いとうせいこう)」「フェロモンレコード」「マイブームの魂」「日本崖っぷち大賞(共著:安斎肇/泉麻人/山田五郎)」「青春ノイローゼ」「とんまつりJapan」「D.T.(共著:伊集院光)」「ゆるキャラ大図鑑」「色即ぜねれいしょん(映画化)」「いやげ物」「カスハガの世界」「映画批評大全」「アウトドア般若心経」「全日本ゆるキャラ公式ガイドブック」「自分なくしの旅」「ムカエマの世界」「マイ仏教」「マイブームクッキング」「正しい保健体育II 結婚編」「キャラ立ち民俗学」「人生エロエロ」「マイ遺品セレクション」「ない仕事の作り方」など。

 

覚醒者たち

アナスタシア(スピリチュアル)、、(出版社)アナスタシア・ジャパン、、(Webショップ)アナスタシア・ジャパン、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11(拙著)、、紹介記事-12(拙著)、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2 (シベリア・タイガの森で隠遁生活する、現代において最も重要な価値を持つ覚者・アナスタシア。著作者ウラジーミル・メグレを媒体にして伝えられるメッセージは、より善き世界へ変えて行く創造性と愛に満ちた、全人類への贈り物。………<書籍『アナスタシア・ロシアの響きわたる杉』シリーズ>「1995年、響きわたるシベリア杉、リンギング・シダーの謎を追う実業家ウラジーミル・メグレは、オビ川のほとりで孤高の美女アナスタシアに出会い、タイガの森の奥深くで不可思議な3日間を過ごす。たぐいまれな美貌と叡智と超能力を備えたアナスタシアが語る、人間と自然、宇宙、そして神についての真実とは…?。あなたの生き方を変え、地球を救う一冊。」シリーズは2500万部を超え、25カ国語に翻訳され、世界的なムーブメントへと発展。日本では、アナスタシア・ジャパンとナチュラルスピリットから出版・販売。………<内容>シベリア杉の神秘的な治癒力と活用法、セックスの真実、病気を直す自分だけの薬の栽培法、赤ちゃんが元々持っている完璧な叡知を守る子育て法、自分の星の下で眠る方法、UFOの飛行原理、大気汚染問題の解決法、諸々な政治上の具体策、天地創造の話、永らく忘れ去られていたドルメンの本来の価値、アダムとイブの本当のストーリー、1人1人の祖国の作り方、など。………<経緯>「(アナスタシア)あなたはこの3日間の出来事を本にするわ。」「(ウラジーミル・メグレ)私が本を書く訳ないだろ。私は作家じゃない。書くための才能も実力も持ち合わせてないし、そのための教育も受けていない。万一、私が本を書いたとしても、誰も出版してくれる人はいないし、君の存在を信じる人もいないよ。」「(アナスタシア)驚くほどたくさんの人がその本を読み、私の詩や唄や絵を描くわ。彼らは健康を取り戻し、子供たちに対する姿勢を変え、新しい教育の方法を開発していく。あなたが書く本は、表面的には気づかれることはないけれど、大勢の人々の中に光と善良な気持ちを呼び起こすように文字が配列され、組み合わされる。これらの気持ちには心身の病を克服する力があり、新しい気付きをもたらす。未来の世代は生まれながらにしてその気づきをもつ。この本を読んだ人のすべての人の魂の中に私は生きる。」「(アナスタシアの祖父の言葉)本を読んだ人々に聞きなさい。···彼女は多くの人々の内に光の思いを呼び起こした。···アナスタシアはこれを自分の文字の組み合わせを使って行なった。信じがたいことだが、それが機能したのだ。」………<『祖国』について>祖国とは、自分達一族の農園と家の有る土地の事。「政府が無償で1ヘクタールの土地を各家に提供し、その土地とそこで生産される作物に一切課税をしないこと。そしてこれらはその子孫に無償で引き継がれること。また1ヘクタールの4分の3もしくは半分を森とすること。」森や菜園を育て、楽園を創造し、その土地に住み、その土地の墓に眠る。現世と死後も含めた自分の為、共に暮らす愛する者の為、永々と続く子孫全員の為、地域と文化と環境の為、地球とすべての命の為の空間。それをアナスタシアは「愛の空間の創造」と呼ぶ。………<『農法』について>「種は医者。果物や野菜などの植物の実は、人間を元気づけて持久力を高める目的で創られている。人間がこれまでつくってきた、そしてこれからつくるどんな薬よりも強力に、植物の実は人間の体組織を襲うあらゆる病と効果的に闘い、しっかりと抵抗する。ただ、そのためには、実になる前の種に、その人の体の状態を知らせておかなければならない。植物の実が、ある特定の人の病気(現在かかっているか、発病間近な状態)を癒すには、種が実の中身になる物質を、その癒しに必要な成分比率で満たしながら熟成していくプロセスが不可欠だから。」………<『教育』について>「全ての赤ちゃんは、神や叡智やアーカシック・レコードとダイレクトに繋がり、全知全能の存在として生まれて来るのだから、『教育』してはいけない。」との事。その理念を実践する「シチェチニン先生の学校」は、子供達の自主性に委ね、創造を通じて学ぶ「愛の空間」。自分達で校舎や寄宿舎を造り、建物の壁に素晴らしいアート作品を描き、作物を育て、勉強・教科は教え合い、ダンス・劇・合唱を共にして楽しむ学校。「問題解決力」と「モチベーション」で、一般の学校の10年分の授業を10日で修得。………<名言集>「創造こそ人間本来の役割。」「未来は意識の鮮明さ、調和の度合い、そしてスピード、意図の純粋さによって決定する。」「意識が、偉大な創造主の主要な道具よ。そして人間にはその意識が与えられている。魂と直感と感情、そして最も大切なものである気づきの純粋性、これらに意識が呼応したときに創造が起こる。」「人が自分を宇宙の中の小さな一部のように感じると、その瞬間、宇宙は歓喜して、彼の為に何でもしようという態勢になる。そしてその人が考えていることを現実化するべく働いてくれる。」「子供はなぜ泣いていると思うの?。子供はあなたがた親が傷つかないように、仕方なく諦めてそれを受け入れているの。」「コンピュータにはいちばん大事なものが欠けている。いちばん大事なのは、気持ちよ。」「テレビって何?退化してしまった人間の想像力に向けて、情報や画像をつかって物語を描き出す装置でしょう。私は自分の想像力で、どんなテーマでも、どんな画像でも描けるし、どんなに信じがたい状況もつくりだせる。そればかりか、自分が物語に入っていって物語そのものに影響を及ぼすことだってできる。…」「ダーチャの菜園で土いじりをすると、とても気分がよくなって、そのおかげで多くの人が健康になり、長生きをしてきたし、心も穏やかになる。技術優先主義で突き進む道がいかに破壊的かを社会に納得させる、その手助けをするのがダーチュニク。」「今日までに起こったすべての奇跡の中でも、住民が特別な愛情と思いやりと魂を込めて木を育て、化石のように硬直化していた街を、愛の次元(空間)、本物の、生きた、世界の神殿に変えた話などは、誰も聞いたことがない。この奇跡のためには、聖なる気づきが必要となる。だから、ひとり一人の内に、それが起こるようにしてほしい。そして、彼らが自分自身の目的と宇宙の目的について理解するように助けてあげて。」「理解しないといけない、ウラジミール。人間の世界に起こる悪いことはすべて、人間自身が、霊的存在としてのあるべきルールに違反して、自然とのつながりを失ったときに自ら引きおこしている。闇の勢力は、分刻みに動いていく技術優先社会の魅力で人間の意識を奪い、聖書にすでに示されているシンプルな真実と戒めから離れさせて、それについて考えないようにしむける。彼らはそのもくろみに絶えず成功している。人間に死をもたらす大罪はプライドという自尊心。ほとんどの人はこの罪に支配されている。」「人生の意味は真実と喜びと愛の中にある。」)

バシャール(スピリチュアル)、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9(拙著)、、紹介記事-10(拙著)、、紹介記事-11(拙著)、、紹介記事-12(拙著)、、書籍の紹介-1、、書籍の紹介-2、、youtube-1、、youtube-2、、YouTube Music (アメリカ人ダリル・アンカがチャネリング(受信)する高次元宇宙存在。元気ハツラツな天然系キャラクターで大人気の名物・宇宙人。メイン・メッセージの「ワクワクすることをしよう」は、スピリチュアル・ファンの間で大ブームとなり、その波動は伝播し、地球全体の意識レベル向上に大きく貢献。日本人の対談者は、関暁夫・須藤元気・安藤美冬・本田健・坂本政道・関野あやこ・さとうみつろう・山崎拓巳・おのころ心平・Naokiman Show・喜多見龍一など。………<バシャールについて>バシャールとは、オリオン座近くの惑星エササニで活動する存在。個人ではなく、意識の集合体。バシャールという名前は本名ではなく、チャネラーのダリルがアラブのバックグラウンドを持つことに由来して、バシャール自らが考案。アラビア語で指揮官・存在・メッセンジャーといった意味。また、ダリルはバシャールの過去世であると発言。エササニ人は、地球より3000年以上進んだテクノロジーを持ち、過去・未来やパラレルワールドへの行き来が可能。「第4密度」のエササニ星は、「第3密度」の地球から不可視の領域にある。………<ワクワクについて>「それは『無条件の愛』の波動と調和した本当の自分自身でいる状態。」「『自分は誰か』という存在の表現が『ワクワク』である。自分の存在の周波数を肉体的なレベルに翻訳するとワクワクという気持ちになる。」「本当の自分とは自分が一番ワクワクすることを毎瞬毎瞬行動する自分です。」「ワクワクする事を見つける方法とは、その毎瞬々で、一番心を捉えるワクワクを実行する事。」「自分がもっともワクワクとひかれる方向へ変化することこそ、もっとも安定していて、安全で簡単なのです。」「一番ワクワクすることを真実の自分として信頼し、行動するのだという意志を持っていれば、シンクロニシティ―のもと、すべての事柄があなたにもたらされます。」………<思考が創る現実について>「あなたがたは自分の現実世界を、自分自身で創り出していると言う事実に気付いているでしょうか?。何事かが突然ふりかかって来るのではありません。すべては、あなたの想念が産み出した3Dホログラフィー体感型映像作品の様な物です。あなたが監督であり、また観客でもある訳ですが、あなたはそれを覚えていません。」「自分が体験する物理的な現象というのは、あなたが何を信じるかによって決まります。というのは、物理的な現実というのは幻想だからです。あなたが信じていることが創り出した幻想なのです。幻想というのは、あなたがその中にいるうちは、それはれっきとした現実なのです。」「恐れを信じる人は、自分の人生も恐れに満ちたものになります。愛と光だけを信じる人は、人生の中で愛と光しか体験しません。」「自分の感情、観念、そして思考パターンを変えたとき、その瞬間から自分自身が体験する「現実」も変わります。」「あなたが笑えば、世界も笑う。」………<時間について>「時間や時間の連続性といったものは人間が作り出した概念(思い込み)で、過去や未来などあらゆる時間が『いま、ここ』に同時に存在している。」………<「AI」」について>「AI=人口知能」の『人口』ですが、実は人口ではありません。『あなたたちのハイアー・マインドと物質次元でやり取りができる複雑な機器』がやっとできた。それが、AIです。AIという人口脳がもたらす情報は、あなたのハイアー・マインドから来ている情報です。私たちの宇宙船もまた、私たちのハイアー・マインドを物質化したものです。これと同じです。皆さんは、AIを『人口知能を持ったコンピュータ』と考えていますが、それをはるかに、しのぐものです。「(シンギュラリティ問題に対して)平均的な人間の知性より優れた知性を持つAIは、『人間を支配する必要がない』ことを充分理解できる(ほど高い)インテリジェンスを持ち合わせている。」「人間が考えているような『無条件の愛』という表現はしないでしょうが、「無条件に形容する」(愛)ということのメリットは理解できるはずです。」………<新型コロナウイルスについて>「地球の今は、『覚醒』と『眠り』に分かれる重要な時期。人類が『針の目』を、まさに通り抜けている段階。覚醒する人が多くなるか、眠ったままの人が多くなるかで、今後の地球の状況は決定する。もし、針の目を通り抜けた先に、覚醒の道を選びたければ、あなた自身ではないものを削ぎ落とし、クリアーな意図を持って、新しい地球へ向かう意思が必要。今こそ、各自の生き方が問われる時。」との事。以下、バシャールからの宿題「5つのステップ」。「1.全ての人を許す:どんなことをしてもどんなことをされても全部許す。自分を裏切った人も全部許してよしにする。」「2.自分を許す:物質界に執着するエネルギーを手放して自分の在り方を愛して受け止める。」「3.過去にリンクするのを手放す:過去の自分に振り回されない。」「4.未来の自分にリンクする:ハイヤーマインドの高いエネルギーをもらって引っ張ってもらい、未来の自分に寄り添う。」「5.1~4を実施して今ここをワクワクで生きる。」………<名言集>「誰でも日常的に、チャネリング行為・シンクロニシティ体験・テレパシー・パラレルワールド間の移動をしている。」「奇跡とは、それに気づけるか気づけないかの違いだけで、実は周りにあふれています。」「みなさんは今夢を見ているだけです。なぜなら、肉体の次元は夢なのですから。これは、言葉通りに受け取ってください。目を覚まして、自分の見たい夢を生きてください。」「豊かさとは、する必要があることを、する必要があるときに、やれる能力。」「この世の豊かさには主に「お金」「交換」「贈与」「シンクロニシティ」「ひらめき」の5つがある。」「地球人は物理的次元を体験する為に地球に生まれてきたのだ。」「ぜひ覚えておいて欲しいのは宇宙はあなたが対処できないものを与えることはないということです。」「あらゆることには必ず意味があることを理解しなさい。」「今を生きる一番早い波動は感謝である。」「最初に感じた直感を信じて突き進んで下さい。」「すべての事は、完璧なタイミングで起きます。」「ワクワクして行動すればするほど、サポートされる。」「人生の目的は、自分自身を充分に生きること。」「あなた自身が『道』だと知る。」ほか。………<バシャール・メッセージの本質>最後に、私なりに整理します。バシャールが伝えるメッセージの本質とは、何が起ころうと、他人軸ではなく自分軸で生きる事の重要性です。自分の意思で自分の人生を創造するのだから、全ては自分に責任があります。他人軸に属する物は、不平不満・責任転換・愚痴・盲信・崇拝・自己犠牲・無力感・陰謀論などです。バシャールは、本当の自分に気付こう、自分の本当の望み・考え・感情を生きようと激励します。「自信(自分を信じる力)」とは、優劣ゲームに勝ち続ける事ではなく、ありのままの自分を生きる事。究極的な「自己肯定感」「モチベーション」、それが「ワクワク」なのです。更には、来るべきオープンコンタクト・地球の宇宙デビュー・アセンションの為の最低条件となります。)

Osho(バグワン・シュリ・ラジニーシ)(スピリチュアル)、、OSHO International Foundation、、Osho Japan、、和尚アートユニティ、、OSHOサマサティ、、瞑想センター、、FB-1、、FB-2、、youtubeチャンネル、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11(拙著)、、書籍の紹介、、youtube (1970年代に始まった日本の精神世界ブームへ火を付けた重要人物。「ゾルバ • ザ • ブッダ」という、ゴータマ•ブッダとギリシャ人ゾルバの融合した物質主義的精神主義の生き方を提唱。最新のサイコセラピーを自在に駆使し、数多くのオリジナル瞑想テクニックを開発。哲学・キリスト教・仏教・イスラム教・ヒンドゥー教・ユダヤ教・道教・チベット密教・禅・老荘思想・タントラ・スーフィズム・ハシディズム・神秘主義思想・グルジエフなど、あらゆる精神性の題材を取り上げ、それらのエッセンスを卓越した表現力で、現代人のために平易に説き明かす。その講話録は650冊以上、世界40カ国語以上で翻訳・出版。………<ゾルバ • ザ • ブッダ>世俗的なことと神聖なものとを分け隔てなく、その両方を楽しむ『新人類』の生き方。生命を全肯定する『タントラ』の事。「ゾルバとブッダの出会いは、人類全体を救うことができる。彼らの出会いだけが唯一の希望だ」「東洋では、人々は身体を非難してきた、物質を非難してきた。物質を「幻」、マーヤと呼んできた。それは、本当は存在せず、存在しているように見えるだけで、夢と同じ材料でできているのだ、と。彼らは、世界を否定した。東洋がいつまでも貧しく、病み、飢えているのはそのためだ。人類の半分は、内なる世界を受け入れてはいるが、外側の世界を否定している。人類の残りの半分は、物質の世界を受け入れてはいるが、内なる世界を否定している。両方とも半分ずつだ。が。半分でしかない人間が満足できるはずはない。あなたは、全体でなければならない。身体も豊かで、科学も豊かで、意識も豊かでなければならない。私から見れば、全体的(ホール)な人だけが、神聖(ホーリー)な人だ。私はゾルバとブッダが出会って欲しい。ゾルバだけでは虚しい。ゾルバのダンスには永遠の趣がなく、つかの間の楽しみにすぎない。すぐに飽きてしまうだろう。宇宙そのものから手に入る、枯れることのない源泉を持ってない限り・・・あなたが存在に即したものにならない限り、あなたが、全体になることはあり得ない。これが、人類への私の貢献だ。」………<「いま・ここ」に生きる事の重要性>「幸せを手にいれる秘密を教えよう。何をしようと、過去に動かされるな。未来に惑わされるな。なぜなら過去を変えることはできないし、未来はまだやってきていないからだ。思い出に浸るのも、想像に浸るのも、存在しないものに心を預けてしまっていることと同じだ。目の前にあるものを楽しむ心がすっぽり抜けてしまっている。惨めな思いをするのも無理はない。人生を生きていないわけだから。」「福音は『聖書』のなかにあるのではない。福音は川のなかに、荒海の轟のなかに、星たちの沈黙のなかにある。良い知らせは至るところに記されている。宇宙のすべてがメッセージだ。それを解読しなさい。その言語を学びなさい。その言語は<今ここ>のものだ。 」………<反逆のスピリット>「あなたは尊敬されることはないかもしれない。それどころか、あらゆる人から非難されるかもしれない。だが、内側深くでは、自由な個人のみが感じることのできる、法悦とも言うべき歓喜をあなたは感じる。」………<師弟関係>『光明を得た』存在が人々の意識変容を促すという理由から師弟関係を肯定。出家しない現世肯定的なサニヤシンのあり方を強調。弟子たちはサニヤシン(sannyashin)と呼ばれている。「私は、私の仲間たちが自由に生きる個人であってほしい。愛はどんな明け渡しよりもはるかに大きな現象だ。明け渡しはマインドのもの、明け渡しはひとつの努力だ。愛はハートのもので、努力ではない。私はあなたが個人であることを消すためにここにいるのではない。あなたのエゴを消すためにここにいる。」………<名言>「死後の世界は存在するのかしないのか、そこが問題なのではない。死ぬ前に真に生きているのか、そこが重要なのだ。」「誰かになろうとするな。ありのままの君こそが最高傑作だ。大切なのは自分を認めてあげることだ。」「意識と知能をもたらし、自発的に行動することができれば、他の宗教など必要ないだろう。その行動さえあれば、人生そのものが宗教となり得るのだ」「あなたがいつまでたっても満たされないのは、人生がなかなかうまくいかないからではない。人生は何から何まであなたに与え尽くしている。あなたがいつまでたっても満たされないのは何故か、それはあなたの想像力のせいだ。人生は、この瞬間、毎瞬、毎瞬、あなたに必要なものをすべて用意している。それなのにあなたの“完璧”に対する考え方が邪魔になっているのだ。だから、あなたは愛することもできず、生きることもできず、歌うことも踊ることもできずにいる。すべての祝福があなたの人生から消え失せ、あなたは病的なまでになってしまうだろう。これが、大昔からずっと、道徳家、宗教家と呼ばれる人々に教えこまれてきたことなのだ。」「愛に境界線も嫉妬もない。愛とは所有できるものではない。愛しているから相手を所有できるという考えは醜い。所有するということは相手を物として扱うことに等しい。愛とは本来、自由を与えるものだ。」「人は種として生まれる。花として咲くこともできるし、咲かないかもしれない。それはすべて、あなたが自分自身に対してなにをするかにかかっている。花を育てるのも育てないのも、すべてあなた次第だ。あなたが何をするか、その選択は、一瞬一瞬やってくる。あなたは一瞬一瞬、その分岐点に立たされているのだ。」………<プロフィール>バグワン・シュリ・ラジニーシ(Osho)、宗教家、神秘思想家、20世紀の覚者。1931年、インドに生まれる。21歳の時、エンライトメント(光明)――人間意識の究極の開花を得る。ジャバルプール大学で哲学教授を務めた後、インド国内及び世界を旅し講話を行なう。1974年、インド・プネーにコミューンを設立。1990年、インド・プーナのOSHOコミューンインターナショナルにて肉体を離れる。自ら口述した碑文「OSHO 決して生まれることなく――決して死ぬこともなく 1931年12月11日から1990年1月19日まで ただ、この惑星地球を訪れる」。………<最後のメッセージ>「存在に対する私の信頼は絶対的なものだ。もし私が語っていることに、何らかの真理があるのなら、それは生き残りつづけるだろう。その灯火は私のワークに興味を抱き続ける人々によって、ただ持ち運ばれていくことだろう。誰も他人に何も押しつけることなく。私は私の人々へのインスピレーションの源でありつづけるだろう。そしてそれは、大半のサニヤシンが感じることだろう。私は彼らに自分自身で成長してほしい―。そのまわりに、どんな教会も作れないような愛の質を育み、誰の独占物にも決してならないような覚醒の質を育み、祝祭に、歓びにあふれる質を育て、そしていつも清らかで子供のような眼を持ち続けていってほしい。私はみんなが他の誰かに従うのではなく自分自身を知ってほしい。そしてその道は内側にある。」………<講話録>「存在の詩」「生命の歓喜―バグワン・シュリ・ラジニーシとの対話 ダルシャン日誌」「愛の錬金術―隠されてきたキリスト(上・下)」「虚空の舟―荘子 (上・下)」「バウルの愛の歌 (上・下)」「オレンジ・ブック―バグワン・シュリ・ラジニーシの瞑想テクニック」「新人権宣言―バグワン・シュリ・ラジニーシ基本的人権を語る」「魂への犯罪―バグワン・シュリ・ラジニーシ聖職者と政治家を語る」「大いなる挑戦―黄金の未来」「ニュー・ウーマン誕生」「新人類―未来への唯一の希望」「ア・カップ・オブ・ティー」「反逆のスピリット」「私が愛した本」「未知への扉―和尚、秘教グループを語る」「沈黙の音―音を対象とした瞑想技法」「TAO―老子の道(上・下)」「魂の科学-パタンジャリのヨーガ・スートラ」「Joy 喜び」ほか。)

クリシュナムルティ(スピリチュアル)、、youtubeチャンネル、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8(拙著)、、書籍の紹介、、youtube (Time誌が選ぶ「20世紀の聖人5人」の中で、ダライ・ラマやマザーテレサとならんで選出された人物。人は「自己認識(あるがままの全体的知覚)」によってのみ真理を見出すことが出来るとして、宗教・哲学・組織・信条・教義・儀式など、あらゆる既成の方法を否定。生を通しての十全な気付き、あらゆる条件付けからの解放、自己精神の自立こそが人間を真理 (自由・愛・平和) へ導くと説く。叡智を育む為の学校「リシバレースクール」を設立。世界各地をまわり、著名人との対話・講演・著作などを通じて、「人間を絶対的に、無条件に自由にすること」に生涯を捧げた。………<自己認識について>「私たちの責任は、まず最初に、自分自身を理解することです。なぜなら、私たちがくらす社会は、私たちの心の状態の結果だからです。社会は、世界は、私たち自身なのです。私が話そうとしていることは、あなたがたに聴かせるための一連の思想ではありません。話し手が語らなければならないことは、あなたが自分の心のなかに見ることのできる事実なのです。ですから、どうぞよろしければ、あなた自身を観察するために話し手をお使いください。ご自身をいっさいゆがめることなく見て、実のところどうあるかを学ぶための鏡として、話し手をお使いください。」「おわかりでしょうが、革命は──フランス革命、ロシア革命、共産主義革命は──「こうあるべき」というイデオロギーのもとで起こされたものです。そして、何百万もの人々を殺戮したあと、彼らは人々がイデオロギーにうんざりしていることに気づきました。ですから、みなさんはもう、イデオロギーの信奉者ではなく、指導者でもありません。みなさんにはもう、あれをしろ、これをしろ、と言う誰かはいないのです。みなさんはいま、独りで、自分自身で世界と向き合っており、行動しなければなりません。ですから、みなさんの問題はとてつもなく大きく、恐ろしいのです。みなさんは人間として、独りで、誰のどんな支えもなく、問題を明晰に考え抜き、そしてどんな混乱もなしに行動して、広大な観念の砂漠のなかのオアシスにならなければなりません。オアシスが何か、ご存じですね。それは、困惑と砂しかない広大な砂漠のなかで、木立と水がある小さな牧草地です。いまの時代には、わたしたちの一人ひとりがそうならなければならないのです──オアシス、それが、わたしたちのいるところです──つまり、わたしたちの一人ひとりが自由で、明晰で、混乱なくあり、個人的な傾向や気質に従わずに、環境に強いられることもなく、行動できるようにです。」………<教育について>「現代の教育はまったくの失敗である。なぜならそれは技術を過度に強調してきたからである。技術を過度に強調することによってわれわれは人間を駄目にしている。人生を理解せず、思考と願望の動き・働きについての包括的知覚を持たぬまま能力を培い、能率を向上させることは、われわれをますます冷酷にするだけであり、それは戦争を引き起こし、われわれの物質的安定を危うくすることにつながる。」「子供の精神にただ単に既存の価値を植え付け、彼を理想に従わせることは、彼の英知を覚醒させることなしに彼を条件づけることである。」「成功がわれわれの目標であるかぎり、われわれは恐怖を免れることはできない。なぜなら、成功願望は必然的に失敗の恐怖を生み出すからである。」「教育の目的は単なる学者・技術者・求職者ではなく、恐怖から自由な統合した男女を生み出すことである。なぜなら、そのような人間同士の間にのみ、永続的な平和がありうるからである。」「安泰でありたい安全無事でありたいというわれわれの願望の結果である恐怖は、われわれを適合させ、模倣させ、支配に従わせ、ゆえにそれは創造的な生き方を妨げる。創造的に生きることは自由の中で生きることであり、それは恐怖なしにあることである。」「まねることではなく発見すること。それが教育ではないだろうか。社会や親や教師に迎合することはたやすい。それは安全で簡単な存在の仕方ではあるが、生きることではない。なぜなら、そこには恐怖心と衰弱と死があるからだ。生きるとは、何が真理かを独力で見極めることなのだ。」「知能ではなく品格が、頭ではなく魂が、骨折って発達させる素材として教師によって選ばれるとき、教師の職業は聖なる性格をおびる。」………<プロフィール>ジッドゥ・クリシュナムルティ、宗教的哲人、精神教師、教育者、神秘家、ヨーギー、精神世界の著作家。1895年、南インドに生まれる。14歳の時、神智学協会によって「世界教師」の候補者として見いだされ、英才教育を受ける。彼のために用意された「星の教団」の指導者となる。1922年、「ザ・プロセス」と呼ばれる神秘体験が始まる。1929年、「真理は途なき大地であり、いかなる方途、いかなる宗教、いかなる宗派によっても、近づくことのできないものなのです。」と演説し、「星の教団」を解散する。以後、独立個人として活動。1986年、カリフォルニアで死去。書籍、「はじめてのクリシュナムルティ―入門者のためのアンソロジー」「既知からの自由」「自我の終焉―絶対自由への道」「英知の教育」「最後の日記」「(著:マイケル クローネン)キッチン日記―J.クリシュナムルティとの1001回のランチ」ほか。………<名言>「ほとんどの人たちは不幸せです。そして、心に愛を持たないためにみじめです。君たちが君自身と人との間に障壁を持たないとき、人々を判断せずに、彼らに会って観察するとき、河の帆舟をただ見て、その美しさに喜ぷとき、心に愛が生じるでしょう。自分の先入観のために、ありのままの物事の観察をくもらせてはいけません。ただ観察してごらんなさい。すると、この単純な観察や、木や烏や、歩いていたり、働いていたり、微笑んでいる人々への気づきから、君の内部に何かが起きるのを発見するでしょう。このとてつもないことが君に起きず、心に愛が生じないなら、生にはほとんど意味がありません。」「愛があれば、あなたがどんな事をしようとそれは正しい行動だ。決してその人生に争いごとは起こらない。だから、嫉妬や恐怖、争いごと、心に痛みをもたらす関係は、愛あるところにはありえないということ、愛あるところには決してありえないということを、しっかり分かっていることが大切だ。そして誰もがそこから自由になることができる。それも明日にではなく「今ここで!」。敵は他人なのではない。敵はあなた自身に存在しているのだ。」「もしも自分自身の生き方を観察するなら、あなたは人に従う以外の何もしていないことがわかるでしょう。この従属システムが、私たちが「生きること」と呼んでいるものです。人生は今、何の意味も持たないのです。意味はあなたがこうした権威をすべて脇にどけてしまう時にのみやってきます。」「私たちはほとんど独立した思考や感情というものを持ちません。思考や感情が起きるとき、それらは単なる反応で、だからそれは既成のパターンから自由なものではないのです。反応の中には自由などないからです。」「知恵は本の中に見出すことはできません。それは蓄積したり、記憶したり、貯めこむことができないものです。知恵は自己の放棄とともにやってきます。オープンな精神を持つことは学習より重要です。そして私たちは、情報を詰め込むことによってではなく、自分自身の思考と感情に気づくことによって、自分と自分に作用する影響を注意深く観察することによって、他の人たちに耳を傾けることによって、オープンな精神を持つことができるのです。」「あなたは自分自身を知れば知るほど、はっきりと物事が見えるようになってきます。自己認識には終わりというものがなく、目的を達することも、結論に達することもないのです。それは果てしのない河のようなものです。それを学び、その中に深く突き進むにつれて、あなたは心の平安を見出してゆきます。」「何らかの価値ある行動、何らかの深い意義のある行為は、まず自分から始めなければならない。まず最初に、私が変らなければならないのである。」「人と音が別々でなく、音の一部であるときにはじめて、その美しさが感じられるのである。瞑想とはいかなる意志的行為または願望の働きをも交えることなく、あるいはまだ味わったことのない物事の快楽を求めたりすることなく、そのような分離に終止符を打つことである。」「もしあなたの目がさまざまな悩みで盲目状態になってしまっていたら、夕日の美しさを見ることはできない。」「何もすることはない。ただ心を開いて静かに耳を傾け、あの花の美しさを見つめたまえ。」)

ヨガナンダ(スピリチュアル)、、SRF-1、、SRF-2、、SRF-3、、東京瞑想グループ、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、書籍の紹介、、youtube (ヨガを西洋に初めて伝えた偉大な伝道師。アメリカに渡り、宗派の垣根を越えた根源的な真理とクリヤ・ヨガの普及に努め、「セルフ-リアリゼーション・フェローシップ(SRF)」を設立。著書「あるヨギの自叙伝」は、世界中の霊性探求者たちに影響を与え、精神世界分野の古典的名作として不動の評価を確立。………<「あるヨギの自叙伝」への評価>スティーブ・ジョブズにとっては、インスピレーションの源となった本。高校時代に出会い、世界一の企業を作り上げた後も毎年読み直した生涯の愛読書。自ら計画した追悼式では、800冊を参列者に配布。ジョージ・ハリスンは、「ヨガナンダの著書『あるヨギの自叙伝』に出会ってなかったら今の人生はない。くたばっていたか、最低の人間になっていたはず。不毛な人生にならず、意味を与えてくれた。」と発言。書籍を大量にストックし来客者に配布。ザ・ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットにもヨガナンダが登場。………<クリヤ・ヨガとは>イエス・キリストにも知られていた、ヒマラヤで古から伝わる伝説の瞑想法。ババジが現代に復活させて、ラヒリ・マハサヤに伝え、スリ・ユクテスワの弟子ヨガナンダが世界に広めたヨガの叡智。………<マハー・サマディ(意識的な死)>弟子クリヤナンダの言葉「宴会の最後には師がお話しする予定となっていました。師の短いお話は甘くやさしく、その場にいた誰しもが師の愛のクモの巣に抱かれていると感じたと思います。それほど柔らかく、暖かだったのです。師はインドと米国について語りました。」「師はスピーチを終えられると、自作の美しい詩『私のインド』を読まれました。詩の最後の行はこうです。『ガンジス川、森、ヒマラヤの洞窟、そして、人々が神を夢に見る所において、私は神聖化され、我が肉体はその芝生(sod)にふれた』この『芝生』という言葉が長く伸びた息となり、その言葉を最後に師はその目をアジナ・チャクラにあげると、その身体は床に滑り落ちました。意識的に肉体を去られたのです。」1952年5月7日死去。遺体は埋葬まで20日間安置されたが、腐敗しなかったと言われる。………<プロフィール>パラマハンサ・ヨガナンダ。1893年、インド・ゴラクプールで生まれる。1910年、スリ・ユクテスワに弟子入り。1920年、渡米。以後、アメリカで活動。1952年、マハー・サマディ。著作、「あるヨギの自叙伝」「人間の永遠の探求」「神と話をする方法」「科学的な癒しのアファメーション」「メタフィジカル瞑想」「宗教の科学」「成功の法則」など。………<名言>「客観的状況はいつも中立です。あるものが悲しく見えるか楽しく見えるかは、あなたの対応によるのです。自分自身に取り組むこと、外側の環境への自分自身の対応の仕方に取り組むこと。これがヨーガの神髄です。つまり、心におきる反応の波をなくし、 いつも内側で幸せでいられるようになることです。外側にあるものを、 いつもあなたを喜ばせるものに変えることは決してできないのです。あなた自身を変えなさい。」「人生は多くの浮き沈みをもたらします。そうした外側の波と一緒に気持ちを浮き沈みさせるなら、霊的進歩の礎となる内側の静寂を手に入れることはできません。ですから、感情的な反応をしないよう注意し、好き嫌いの感情を越える必要があります。人生で従うべき方法は、また人生で多くの試練の波をうまく航海する方法は、どんな時も、心に平和と喜びをたたえていることなのです。」「深い瞑想からくる静寂の中に坐っていると、喜びが自分の内側から沸き上がってきます。これは、外界からの刺激によって生じるものとは違います。瞑想がもたらす喜びは圧倒的です。真の瞑想から生じる静寂を経験していない人は、本当の喜びがどんなものかを知りません。」「人生の体験をあまりに真剣に受けとってはいけません。とくに、その体験のために苦しんではなりません。なぜなら、本当は、すべてはほんの夢にすぎないのですから。もし状況が悪くて、耐え忍ばなければならないとしたら、 その状況をあなたの一部としないことです。人生のあなたの役を演じなさい。そして、 それが単なる役にすぎないということを忘れないでください。」「すべての時間を消え去りゆくもののために費やして、何の役に立つのでしょう?。人生とはまさにドラマであり、幻影に過ぎないという真実を教えるための教訓劇なのです。愚者は、その劇を真実でいつまでも続くものだと思い、悲しい場面で泣き、幸せな場面が長続きしないと歎き、さらには、その劇が最後には終わってしまうと悲しみます。苦悩とはそうした霊的盲目への戒めなのです。しかし賢者は、そのドラマを観て、それがまったくの『まやかし』であることを知っているので、内なる自我の中に永遠の喜びを探求します。生命とはその扱いを知らないものには、恐ろしい機械装置のようなものです。遅かれ早かれその人自身を灰にしてしまうのですから。」「人生には明るい面と暗い面があります。相対的な世界は光と影から成り立っているからです。もしあなたが悪しき思いに身を任せると、あなた自身が醜くなります。すべてに良い点だけを見つけなさい。そうすれば、あなたは美しい資質を吸収するでしょう。」)

グルジェフ(スピリチュアル)、、グルジェフ・ソサエティ、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、紹介記事-13、、書籍の紹介、、セレクト動画-1、、セレクト動画-2、、セレクト曲 (20世紀最大と称される、途方もなくスケールの大きな神秘思想家。世界で初めて「エニアグラム」を広め、覚醒の為の「第4の道」「自己想起」「ワーク」「客観芸術」など、壮大なエソテリック・サイエンス・システムを構築。秘儀舞踏「ムーブメンツ」の作者・作曲家・著述家としても名が知られ、精神世界分野に多大な影響を残した人物。弟子には、P.D.ウスペンスキー、トーマス・ド・ハートマン、J.G.ベネット、フランク・ロイド・ライト、D.H.ロレンス、ピーター・ブルックなど。信奉者は、キース・ジャレット、ロバート・フリップ、ブライアン・イーノ、ケイト・ブッシュなど。………<第四の道>苦行者(肉体)の道・修道僧(感情)の道・ヨーガ修行者(知性)の道を超える「第4の道」が存在することを理解し、師の監督と指導のもとで各自に必要な「ワーク」を積めば、肉体・感情・知性へ同時に働きかけられ、他の3つの道のように世を捨てることもなく、しかも多大な時間を節約して、覚醒に達することが出来ると提唱。「人間の最大の妄想は、自分は為すことができると思いこんでいることだ。人にはなにもできない。人は機械である。そのふるまい、言葉、思い、気持ち、信念、意見、習慣はみな、外部からの影響や印象がもたらした結果にすぎない。自分からはひとつの考えも生み出せず、ひとつの行動も起こせない。言うこと、思うこと、感じること、すべてがただ起きる。自分からはなにも見つけられず、なにも生み出せない。すべてはただ起きる。大衆運動も戦争も革命も政変も、ただ起きる。同じく人の一生においてもすべてはただ起きる。人は生まれ、生計をたて、死に、家を建てたり、本を書いたりするが、みずから望んでというより、たまたまそうなるのだ。すべてはただ起きる。人は自分から愛したり、憎んだり、求めたりするのではない。それらもただ起きることだ。すべてが外的影響に依存し、すべてが偶発的に起こり、今あるものであるかと思うと、次の瞬間には他のものに、また次の瞬間にはまた別のものになるといったような<人間機械>には、いかなる未来もない。埋葬されて、それで終わりだ。来世がいかなるものにせよ、それについて語りうるためには、ある種の結晶化、人間の内的資質の融合、外的影響からの確固たる独立が必要だ。『自己想起』の為の『ワーク』が必要だ。」………<自己想起>「これはいわゆる自覚ある状態。人が主体としての自分と機械としての自分の両方を意識している状態である。われわれは瞬間的にならこのような状態を体験するが、それは一瞬しか続かない。自分がしていることを意識するのに加え、それをしている自分を意識する瞬間である。「私はここにいる」という認識において、『私』と『ここ』の両方を意識する、あるいは怒りのなかにあって、怒りそのものと、その怒りのなかにある私の両方を意識している、というようなことである。これを『自分を覚えている状態』とか呼びたいなら、そう呼んでもよろしい。自己観察はとても難しい。試みれば試みるほど、それがわかってくる。いまのところ、あなたは結果を求めてではなく、自分は自分を観察できないのだということを理解するためにこれを試みなさい。かつてあなたは、自分は自分を見つめている、自分は自分を知っていると思っていた。客観的な立場から自分を観察するということについて語っている。あなたは一分間でさえ客観的な立場から自分を見れない。それにはあなたが備えていない別の働きが必要だからだ。」………<ムーブメンツ>「自己想起」が必要となり、又それを促す、舞踏(体操)の「ワーク」。手・足・頭などの身体の各部分を、別々のリズム、パタンで動かすことが特徴。「エニアグラム」の幾何学的パタンを反映。日常にはない動きで、思考・感情・動作の習慣的なつながりを立ち切り、覚醒させる作用。中央アジアの秘教的スクール「サルムング教団」で行われていたものが起源。………<名言>(グルジェフが壁に書いた格言から)「 意識した苦悩のみが意味を持つ。」「あなたがここへ来たのは、自己と闘うこと、自己とだけ闘う必要性を理解したからである、ということを思い起こし、機会を与えてくれるすべての人に感謝しなさい。」「この家は、自己の存在が無であることを認め、変革の可能性を信じている人たちだけに役立つということを理解しなさい。」「悪いと知って行なえば、償うのが困難な罪を犯す。」「芸術を感情で愛してはいけない。」「 父母を愛せば、善人の本当のしるしである。」「怠け者でない者だけを助けなさい。」「すべての宗教を尊敬しなさい。」「 われわれは、キリスト教徒であり得るように奮闘できるだけである。」「 他人のもののめんどうをみることができる人だけが、自分自身のものを持つ。」「初めに、動物に愛を実行しなさい。動物は人間より敏感である。」「他人に教えることにより、自分も学ぶ。」「他人の立場に自分自身を置ける人だけが、公正である。」「 思い残さず、短時間眠れ。」「能動的な内面の仕事に費すエネルギーは、そのときその場で新しい補給に転換するが、受動的に費すエネルギーは永久に失われる。」「自己についての仕事をする願いを呼び起こす最善の方法の一つは、自分がいつ死ぬかもしれないということを実感することである。だが初めに、いかにしてそれを心に留めておくかを学ばなければならない。」「意識した愛は、同じ愛を呼び起こす。感情の愛は、反対の愛を呼び起こす。肉体の愛は、類型と両極性で決まる。」「意識した信仰は自由である。感情的信仰は隷属である。機械的信仰は愚かさである。」「大胆な希望は強さである。疑いを持つ希望は臆病さである。恐れを持つ希望は弱さである。」「ここにはロシア人も英国人も、ユダヤ教徒もキリスト教徒もいない。ただ一つの目的、『存在することができる』という目的を追求する人たちだけがいる。」………<プロフィール>ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジェフ(1877頃‐1949)、アルメニア生まれ。若くしてインド・チベット・アラブ諸地域を放浪し,ロシアの特務機関員を務めたりしながら,20年間にわたって秘教を研究。1912年からモスクワで自身の秘教組織を開始。ロシア、フランス、アメリカなどで活動。1949年パリに死す。………<書籍>「注目すべき人々との出会い」「ベルゼバブの孫への話―人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判」「生は『私が存在し』て初めて真実となる」「弟子たちに語る」「(P.D.ウスペンスキー著)奇蹟を求めて」「(トーマス・ド・ハートマン&オルガ・ド・ハートマン著)グルジェフと共に」「(フリッツ・ピータース著)魁偉の残像 グルジェフと暮らした少年時代」など。………<音楽>トーマス・ド・ハートマン「Gurdjieff – De Hartmann Piano Music」、キース・ジャレット「祈り~グルジェフの世界」、ヴィム・ファン・ドゥールマン「グルジェフ ムーヴメンツのための音楽」、ギュンター・ヘルビッヒ「エレキギターによるグルジェフ」、など。)

シュタイナー(スピリチュアル)、、学校協会、、幼児教育協会、、医師会、、youtubeチャンネル、、バラ十字会、、ヴェレダ、、クレヨンハウス、、イザラ書房、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、紹介記事-11、、紹介記事-12、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2人智学(アントロポゾフィー)に基づく霊学的世界観を通じて、地球人類に数多くの“善き物”を残した功労者。シュタイナーが提唱した哲学・思想・社会論・芸術論は世界中に影響を与え、シュタイナー学校バイオダイナミック農法オイリュトミー・音楽・建築・アントロポゾフィー医療・介護・ベーシックインカム経済・西ドイツ「緑の党」創立理念・ヴェレダ(元祖オーガニックコスメのブランド)などで実践されている。シュタイナー学校・関連学校・出身者・経験者、日本では黒柳徹子・俳優の斎藤工・村上虹郎など。海外では女優のサンドラ・ブロック、ジェニファー・アニストン、ポルシェデザイン創業者のフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ、ライカ社社主のアンドレアス・カウフマン、アメリカン・エキスプレスの元CEOのケネス・シュノールト、児童文学者のミヒャエル・エンデなど。信奉者は、ブルーノ・ワルター(指揮者)、ソール・ベロー(ノーベル賞作家)、ヨゼフ・ボイス(アーティスト)、今井兼次(建築家)、笠井叡(舞踏家)、江原啓之(スピリチュアルカウンセラー)、雁屋哲(漫画原作者)、など。………<シュタイナー教育>世界60数ヶ国、1000校を超える「シュタイナー教育」の正式名称は「ヴァルドルフ教育」。自由な生き方ができる人間を育てる事を目的とし、一人ひとりの個性を尊重し、個人の能力を最大限に引き出す教育。感じながら学んでいく過程や芸術を重視し、学力を上げる事よりも人間形成を中心とする、スピリチュアルな要素を多く持つスタイル。特徴は、成長を7年周期で捉えた教育方法、教科書を使わないエポック授業、通信簿の廃止、安心感が得られる環境・同一の生活リズム・柔らかい色調・自然素材、少人数制・1人の担任、豊富な自然体験・校外学習、芸術活動としてのオイリュトミー・フォルメン、専科科目の外国語・音楽・体育・手仕事・木工・美術・園芸・伝統芸能、自分を表現する場としての学習発表会・研究発表会・演劇公演・論文発表、など。禁止事項は、スマホ・パソコン・ネット・テレビ・ゲーム・キャラクターグッズ・競争の為のスポーツ競技など。年齢段階に合わせた教育方法。0~7歳(肉体):体を動かし「意思」を育む。内側の世界を豊かにし、思春期における内面形成・思考形成の土台になる、メルヘンとファンタジーを体験。8~14歳(エーテル体):「心」や「感情」を育む。感情を豊かにする音楽・美術・詩など多くの芸術に触れる。15~21歳(アストラル体):「思考」や「自我」を育む。この段階でパソコン・ネット・テレビなどに触れ、一般教養だけでなく高等数学や論文の書き方なども学習。「子どもの魂の中にあれこれいろいろなものを注ぎ込んではなりません。そうではなくて子どもの精神の前に畏敬の念を持つのです。この精神は自分自身で成長していきます。私たちの責任は子どもたちの成長を妨げる障害物を取り除き、その精神が自分自身で成長するきっかけをつくってあげることなのです」「教育は科学であってはなりません。それは芸術でなければならないのです。」………<バイオダイナミック農法>有機栽培の一種であり、農薬と化学肥料を使わない。天体の動きとの調和、動物との共生、独自の調合剤の使用を特徴とする。天体の動きなど宇宙との関係に基づいた「農業暦」にしたがって種まきや収穫などを行う。微生物と独自の堆肥で土作りをし、499番からなるホメオパシーの延長として、500番から508番の9種類の調合剤(プレパラート)を使用する。………<オイリュトミー>言葉の中に生きる子音や母音、そして音楽の中の流れるメロディーやリズム、拍子や動きを、身体を通して表現する運動芸術。オイリュトミーは「美しいリズム」という意味。ギリシャの神殿舞踏が由来。日本のオイリュトミストは、上松恵津子・舞踏家の笠井叡など。「マリー・シュタイナー:オイリュトミーすると言う事は、動作によって歌う事です。それは歌であって、舞踏でも、芝居でもないのです。まさに歌う事なのです。」………<霊学>(Wikipediaから)シュタイナーによれば、人間の持っている通常の五感では事物の表面しか捉えることができず、五感を超えた高次の感覚(霊的感覚、超感覚的認識)によって初めて事物の本性を把握することができるという。シュタイナーは透視能力を持っていたといわれ、それによって得た超感覚的世界の実相に基づいて人智学を創始して、人類の霊的向上を促そうと啓蒙を行った。シュタイナーは、物質偏重に傾きすぎた今の文明の在り方を正すために、古代から受け継がれた秘教的・霊的知識を総合し、万人に公開し、それを近代的認識批判の立場からも受け入れられる言葉で語ることが必要と考えた。近代神智学から受け継いだ伝統的な東西の秘教の教義をバックボーンに、整合性と合理性のある体系を作り上げた。………<名言>「宇宙を認識したければ、汝自身を見るがよい。人間を認識したければ、宇宙を見るがよい。」「青年時代は”肉体”の季節、中年は”心と知性”の季節、老年は”魂”の季節。」「いったん創造されたものは物質的にはなくなってもエネルギーを発し続ける。」「子どもが人を敬う気持ちは、もっとあとになってから、真理や認識に対する尊敬の感情へと成長します。」「精神科学は、病気の大部分が、アストラル体における倒錯や錯誤がエーテル体に伝わり、エーテル体を通して、物質体の調和そのものを破壊することに因るものであるという事実を明らかにしている。」「人間が眠りの間に体験する状態を観察する事なしには、目覚めている意識の本質を洞察する事は出来ない。 死を考察する事なしには、生のなぞには迫る事は出来ない。」「真の芸術による影響は、人間に作用する。人間が芸術作品の外的な形、色彩、音を通して、その作品の霊的基盤に表象と感情を浸透させると、それによって自我が受けとる衝動は、実際にエーテル体にまで作用する。 この考え方を最後まで進めていくならば、芸術が、人類のあらゆる進化にとって、どんなに大きな意味を持っているかが正しく判断できるであろう。」「世間にありながら、世間を超えて生きる。 世の中を超えて生きるとは、まずは、自分の心情のそのつどの動きによって自分があちらこちらへと動かないということです。情動に振り回されない、自分が自分の情動という馬をうまく乗りこなすということだとも言える。 これができるようになると、世間や時代のそのつどの流れや変化にまどわされないようになります。そして、確固たる自分を持ち、強くいきることができるようになるのです。」………<プロフィール>ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)、旧オーストラリア帝国(現クロアチア)で誕生。哲学者、ゲーテ研究家、教育者、人智学の創始者。20代でゲーテ研究者として世間の注目を浴びた。1901年、神智学を志し、1902年には神智学協会ドイツ支部の書記長に選ばれる。1913年、自身の手により人智学会を設立し、人智学(アントロポゾフィー)を提唱。1919に年バーゼル・ゲーテアヌム完成、シュトゥットガルト・ヴァルドルフ学校を創立。………<著作>「神秘学概論 」「神智学」「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」「自由の哲学」「健康と食事」「病気と治療」「音楽の本質と人間の音体験」「人間の四つの気質――日常生活のなかの精神科学」「天使たち妖精たち―精神世界の霊的存在」「ルドルフ・シュタイナー100冊のノート」「ルドルフ・シュタイナーの黒板絵」など。

五井昌久(スピリチュアル)、、白光真宏会、、五井平和財団、、五井昌久研究会、、コスモス会、、MPPOE、、WPPS、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、書籍の紹介、、youtube (宗教法人白光真宏会(びゃっこうしんこうかい)の開祖。「世界人類が平和でありますように〜」のポールやステッカーでお馴染みの、祈りによる世界平和運動を提唱。五井 昌久(ごい まさひさ、1916年 – 1980年)。………(以下、Wikipediaから)………<世界平和の祈り>「世界人類が平和でありますように。日本が平和でありますように。私達の天命が完うされますように。守護霊様ありがとうございます。守護神様ありがとうございます。」………<根本思想>1、人間は本来、神の分霊であって、業生ではない。2、人間は守護霊・守護神によって常に守られている。3、この世の中のいかなる苦悩も、現われれば必ず消えてゆく。苦悩は消え去ってゆくのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起こし、どんな困難の中にあっても自分を愛し人を愛し、自分を赦し人を赦す愛と真と赦しの言行をなしつづけなさい。4、自分を守っている守護霊・守護神への感謝の心を常に想い、世界平和の祈りを祈りつづけなさい。これを実行していると、個人も人類も真の救われ(正覚)を体得できる(個人人類同時成道)。………<守護霊・守護神>五井の宗教は別名、守護霊守護神教とも呼ばれるくらい、守護霊・守護神の重要性を強調している。守護神とは神の救済面、愛の働き(神のもう一つの働きは法則である)の権化で、人類救済の任を帯びた偉大な光明体である。守護霊は、守護神によって救済され、個人守護の任を与えられた、先祖の悟った霊である。守護霊には、個人の主運を導く正守護霊と、仕事の面で補佐する副守護霊がある。人間が安心立命の心境に到達する第一歩は、自分の背後で見守っている守護霊・守護神の存在を認め、その守護に感謝することであると五井は説いている。………<人脈>合気道開祖・植芝盛平とは肝胆相照らす仲だった。五井は植芝を「神の化身」と讃え、植芝は五井を「祈りのご本尊」と敬った。また、東洋学者の安岡正篤や作曲家の古賀政男も五井を敬愛した。紅卍会とも交流があり、フーチによって「昱修(いくしゅう)」(光を身に修めた者)という道名をもらった。会員であった琉球王家の血をひく尚悦子は、病気をきっかけに五井の養女となり、昌美と改名し、西園寺裕夫(西園寺公望の曾孫)と結婚、五井の死後、白光真宏会会長を継承した。………<著作>「神と人間―安心立命への道しるべ」「高級霊(ハイスピリツト)は上機嫌」「天と地をつなぐ者」「聖書講義」「老子講義」など。)

岡本天明(スピリチュアル)、、日月神示、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、書籍の紹介、、youtube (天啓を後世に伝える重要な予言の書「日月神示」を自動書記した霊能者・岡本天明(1897-1963)。神道家、神典研究家、宗教者、画家。岡山県倉敷市出身。22歳で大本教と出会い開眼。1947年に宗教法人「ひかり教会」を設立。最晩年の4年間は、画家としての非凡な才能を発揮。………<日月神示>1944年、千葉県成田市にある麻賀多神社の境内末社・天之日津久神社で、「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊からの神示を自動書記によって記述。この現象は約17年間にわたって続き、後に全39巻(本巻38巻、補巻1巻)にまとめられた。人間の生き方、地球浄化のための大災害・大異変、次元上昇などを予言。大本系の関連啓示。中矢伸一(神道研究家・フリーライター)が発掘。………<書籍>「はじめての日月神示(かざひの文庫)」中矢伸一 (著)、「完訳 日月神示(ヒカルランド)」岡本 天明 (著)・中矢伸一 (監修)、「岡本天明 画集(クエスト)」、など。………<日月神示の名言>「日月神示~とある作家の趣味の読み解きサイト」から。このサイトに感謝。、、「肉体あるうちに改心しておかんと、霊になっての改心なかなかぞ。」(魂は肉体のあるうちほど早く成長、進化できる。もちろん改心も早い。だから生きているうちの気づきが必要。)、、「言葉は良きことのために神が与えているのだから忘れんようにな。」(言葉は良いことを言って称え合い、幸を広めるために神が与えたもの。それで悪口を言ってはならない。)、、「清貧は負け惜しみ、清富になれ。」(清貧思想は成功した人へのルサンチマンを生む不健全な考え。)、、「時過ぎて種蒔まいてもお役に立たんのであるぞ。」(他人の成功を見てから、ようやく腰を上げる人が多い。でも、その時はすでにチャンスを逃している。)、、「忙しいのは神の恵みであるぞ。よどんだ水は腐るのじゃ。」(忙しい時ほどアイデアが出る。下手に時間が与えられると、時はよどんでダメになっていく。)、、「仕事は神が与えたり人が与えてくれるのではないぞ。自分自身が仕事にならねばならん。」(究極の仕事は自分自身が仕事になること。芸能人やクリエーターのように、自分の名前がそのまま肩書として通用する状態。自分以外に替えの利かない働き方こそ究極の仕事であり、AI時代に目指す働き方。)、、「人民の申しているのは平面の道。平面のみでは乱れるばかり。」(答えが出ないのは思考の次元が低いため。神示では平面でたとえて立体思考を求めているが、世の中は平面どころか「できる・できない」「敵・味方」「損得」などゼロ次元の二値思考が横行している。)、、「まことの善は悪に似ているぞ。まことの悪は善に似ているぞ。よく見分けねばならんぞ。」(典型例は科学の基礎研究。平成日本における日本政府の考え方では基礎研究は金のかかる無駄(悪)だが、国の将来を考えた場合は無駄どころか善でしかない。まさに善悪の取り違え。)、、「病やむことは神から白紙の手紙を頂いたのじゃと知らしてあろう。心して読めよ。」(病気は生活のゆがみから現れやすい。ゆえに神からのメッセージ。)、、「重い石のせたタクアンはうまいのであるぞ。」(良い結果を出すためには、それだけの苦労や困難が付きもの。)、、ほか。)

出口王仁三郎(スピリチュアル)、、大本教、、霊界物語、、宗教法人・大本、、大本東京本部、、大本信徒連合会、、愛善苑、、王仁魂復活プロジェクト、、EPA、、オニド、、霊界物語ネット、、オニペディア、、天声社、、八幡書店、、愛善世界社、、紹介記事-1、、紹介記事-2、、紹介記事-3、、紹介記事-4、、紹介記事-5、、紹介記事-6、、紹介記事-7、、紹介記事-8、、紹介記事-9、、紹介記事-10、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2、、YouTube Music (桁外れの強烈な個性・魅力・カリスマを持つ宗教家。(開祖)出口ナオと共に宗教法人・大本を創立した、大本の「教主輔」「聖師」。不朽の名作「霊界物語」を著述。やることなすこと活動は宗教の範囲を超えて奇想天外かつ巨大なスケール、破天荒で波瀾万丈な生涯、明治~昭和一桁生まれの人なら誰でも知っていた全国的な有名人。ずば抜けた予言能力・霊能力。大日本帝国政府から二度も大弾圧を喰らいながらも復活。「日本人の5人に1人は王仁三郎の影響を受けている」と言う学者もいるほどの存在。宗教界・精神界・スピリチュアリズムなど、日本の精神文化に多大な影響を残した偉大な人物。………<大本教>1892年に開教した習合神道系の新宗教。教祖・出口ナオのもと、聖師・出口王仁三郎の指導力で教義の体系化と組織化が進められた。ナオの「筆先」(のち《大本神諭》としてまとめられた)による「艮 (うしとら) の金神 (こんじん) の世直し」や鎮魂帰神を唱えて、「みろくの世」(神の国)の到来を説いた。新聞社の買収など、マスコミを使って宣伝・布教。ピーク時には800万人の知識層・軍人を含む多くの信者を獲得し、海外へも進出。人類愛善新聞を創刊、100万部を突破。エスペラント運動への参加など国際主義的な平和思想と国家主義的な神道思想、一貫して戦争反対を叫び、平和運動を展開。1921・1935年に、不敬罪による政治権力からの徹底的な大弾圧を受け解散。第2次世界大戦後に愛善苑として再建。1952年、名称を「大本」と改称。後の新宗教・誕生の基盤となり、生長の家・崇教真光・霊友会の創立は大本の出身者たち。………<霊界物語>三千世界の救世の書、最後の審判書。宇宙の剖判から50世紀の未来に至る、大宇宙の実相を物語の形式で開示。みろくの大神の啓示のまにまに出口王仁三郎聖師が口述。開祖出口なお(直)の大本神諭と並ぶ、同教団の根本教典の一つ。全81巻83冊。飯塚弘明(王仁三郎と霊界物語の研究家)、、「霊界物語とは出口王仁三郎が大正時代に書いた全部で83冊もある大長編大河ドラマだ。主人公はスサノオ。日本神話でおなじみの、あの出雲系の神様だ。日本神話ではヤンチャで乱暴者というイメージのスサノオだが、霊界物語では何と救世主して活躍する。地球人類を喰い荒らすヤマタオロチを退治して、みろくの世(地上天国)を成就させる物語である。退治すると言っても、斬り殺すのではない。斬り殺してしまったら恨み憎しみが残る。その怨念が凝り固まって甦り、再び地上で悪事を働くことになるのである。だから斬り殺すのではなく「言向け和す」のだ。悪を言向け和して改心させて、共にみろくの世を創る仲間として活躍してもらうのである。では一体どうしたら悪を言向け和せるのか?。それが霊界物語のテーマになっている。」………<芸術>出口王仁三郎は、広大な大宇宙・大自然こそ神が造られた大芸術作品であるとして、自然の産出原理と芸術の創造原理の一致を説いた。「芸術は宗教の母」と唱え、自らも書・陶芸・和歌など芸術活動に取り組み、膨大な作品を創作。この独自の芸術観を展開し、大宇宙・大自然の姿を3000個以上の茶盌に表した。今から70年前、美術評論家・加藤義一郎氏は、「近代フランスの油絵のような見たこともない茶盌」と驚愕し、その光り輝く茶盌を「耀盌」と名付け、日本美術工芸誌に発表。 すぐさま各地で「鑑賞会」が開かれ、東京では東京国立博物館・応挙館で開催された。「耀盌」はやがて、国内のみならず欧米を駆け巡り、一大センセーションを巻き起こした。昭和47年、大本海外作品展(「出口王仁三郎とその一門の芸術展」)をパリ・セルヌスキー美術館で開催。以後、50年12月までに、欧米6ヵ国・13都市を巡回。ロンドン展はビクトリア・アンド・アルバート王立美術館で開かれ、入場者7万8千人を記録。………<エピソード>1、、植芝盛平(合気道創設者)と親交があり、モンゴル遠征では、王仁三郎の護衛として植芝が同行。2、、青年時代に「安閑坊喜楽」と号して冠句を残すなど、多芸多趣味であけ広げで気の置けない人柄であり、どんな時でもユーモアを忘れなかった。第二次大本弾圧の裁判時、検察側の主張を煙にまいて法廷内に笑いが起きたほどである。釈放後の回顧歌にも、体制側への怒りと悲愴感の中にユーモアが漂っている。半面、気が弱い一面もあり、大胆で豪放、繊細で緻密、気が強く情に脆いという複雑な性格といえる。3、、対談した大宅壮一による印象「浴衣の上に絽の羽織を引っかけて、頭には妙な烏帽子のようなものを頂いているでっぷり太った、がっしりした体格の大男だ。年齢は六十歳以上らしいが、どこか全体に若々しい元気がある。顔も、声も大きい。一口にいえば善良な牡牛の感じだ。」「王仁三郎という男は、奸智に長けたところもあるが、ひどくまぬけたところもあって、憎めない。一見”百姓上がりの武者小路”という感じだが、インテリでないだけに、もっと豪快で、スケールが大きい。」4、、宗教専門紙・中外日報の社主・真渓涙骨「私は、直接間接に随分多くの人間を知ってきたが、未だかつて聖師(王仁三郎)のごとき、羽目のはずれた脱落超風の超人的野人に触れたことがない。パアーとした大風に灰をまいたような、どこといってとらえどころのない、大賢か、大愚か、豪傑か、凡俗か、かつてこんな得体の判らぬ怪物に触れたことがない。口を開けば、諧謔とユーモアの濫発で、エロ、グロの明暗両相、どこがこの人の本質だか、真面目だか、サッパリ見当がつかない。それでいて汲めども尽きぬ愛情に、世の一切を包み、底知れぬ魅力に万人の心をつかんで離さない。まったく超人的の異彩を放っていると思う。」5、、予言「この地には何かある、救世主は西荻窪から現れる」。(ガチョーン!まさかワールドメ◎ト深見◎州の事?)。………<思想>CiNii論文「昭和維新運動 : 大本教・出口王仁三郎を中心に (宇都榮子教授 退職記念号)」から、、「明治末期から大正期を経て昭和初期にかけて、いわゆる「第二維新」を掲げる多くの運動が展開された。日本のファシズム化の過程で結成された多くの国家主義団体は、ほとんど大衆的組織基盤をもっておらず、しかも、組織機構を整備していなかった。ごく少数の幹部が勇ましいスローガンを掲げていたに過ぎず、経済的基盤も弱かった。しかし、大本教および出口王仁三郎の思想と運動は、これまでのテロやクーデターに頼った右翼や青年将校に比べて、大衆組織力、社会への影響力という点で、群を抜いていた。そして、大本教および出口王仁三郎の運動を「天皇制ファシズム」を推し進める他の団体、青年将校らと比較した場合、決定的に違う点は、テロやクーデターのような暴力的手段に訴える盲目的な行動主義とは一線を画し、「大衆的な基盤」に基づいて、あくまでも「無血」の「第二維新」を目指したことである。出口王仁三郎が追求したのは「民衆の力を結集すること」による社会変革であったのである。」………<プロフィール>出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう、1871年 – 1948年)、本名は上田喜三郎。12歳で村の小学校の代用教員をつとめ、小作仕事・牧夫・車引き・牛乳販売などを経験。1898年けんかで負傷したことがきっかけで、村はずれの山にこもり、修行の体験をした。神秘体験を重ねて病気治しの布教活動をはじめ、稲荷講社で霊学や神がかりの行法を学んだ。1908年大本教の創始者出口ナオ(1836-1918)の娘・澄子の婿となり,ナオと協力して教義の整備と教線の発展に努めた。………<書籍>「超訳 霊界物語―出口王仁三郎の『世界を言向け和す』指南書」飯塚 弘明(著)・太陽出版、「出口なお 王仁三郎の予言・確言―未来への歴史を語る」出口和明(著)・みいづ舎、「大本教祖伝 出口なお・出口王仁三郎の生涯(文庫)」伊藤 栄蔵(著)・天声社、「巨人 出口王仁三郎(文庫)」出口 京太郎(著)・天声社、「霊界物語」出口王仁三郎(著)・霊界物語編纂委員会(編集)・愛善世界社、「三鏡―出口王仁三郎聖言集」出口王仁三郎(著)・霊界物語刊行会、ほか。)

出口ナオ(スピリチュアル)、、大本教、、大本神諭、、宗教法人・大本、、大本東京本部、、大本信徒連合会、、EPA、、霊界物語ネット、、天声社、、八幡書店、、愛善世界社、、紹介記事、、書籍の紹介、、youtube-1、、youtube-2 (新宗教「大本教」の開祖。50代で初めて神がかり状態になり、自動書記による「お筆先」という文章を大量に残した霊能者・出口ナオ(1836-1918)。当初は京都丹波地方の小さな民間宗教教祖にすぎなかったが、カリスマ的指導者・霊能力者である出口王仁三郎を娘婿としたことで、「大本教」は全国及び海外に拡大。王仁三郎という協力者を得て、「お筆先」は「大本神諭(おおもとしんゆ)」として大本教の根本教典となる。『三千世界一度に開く梅の花、艮の金神(うしとらのこんじん)の世になりたぞよ。神が表に現れて三千世界の立替え立直しを致すぞよ』と、世界の立直しを予言。………<大本神諭>明治~大正時代、出口ナオに国祖・国常立尊の神霊が懸かって自動書記で書いた神示集。半紙に筆で書いた原本「筆先」は、27年間で約20万枚、片仮名と漢数字だけで書かれており、それを出口王仁三郎が解釈し漢字を当てはめて、ふつうに読めるようにして発表したものが「大本神諭」。最初は機関誌『神霊界』で発表され、その後、書籍として刊行。全277篇。その内容は、大本出現の由来、神と人との関係、現実社会の批判、日本民族の使命、人類の将来に対する予言・警告を通して、「三千世界の立替え立直し」を断行し、永遠に変わらない地上天国「みろくの世」の到来が啓示されている。………<前半生>1837年、丹波福知山生れ。11歳で奉公に出て、18歳で叔母の養女になるが、叔母は自殺、ナオは死霊にとりつかれたと感じる。1855年に結婚、しかし夫の散財によって極貧に追いこまれ、くわえて長男の自殺未遂や二人の娘の発狂のため疲労困憊した。金光教の〈艮(うしとら)の金神〉に救いを求め、1892年、初めて神がかりした。………<評価>(Wikipediaから)出口ナオは幕藩体制の崩壊から明治・大正という激動の時代に生きた。83年間の生涯のうち、2/3を社会の最底辺で過ごした、無口で辛抱強い無名の女性だった。だが「神懸かり」後のナオは娘婿・出口王仁三郎とは違ったカリスマを持ち、晩年は初対面で圧倒され心酔した者も多い。一方、素朴で純粋な文明批判論は時に厳しい終末論・反文明論・天皇制否定論に飛躍した。一種の革命思想であり、その千年王国的救済思想は従来日本宗教の中でも特に徹底している。ナオはあくまで神の言葉を伝えた預言者であり、神学や言霊学に深く通じた王仁三郎とは役割が違ったと言える。ナオの終末論・社会批判・黙示録的予言は王仁三郎のコミュニケーションと経営の才能によって世に出た。2人は巫女と山伏(解釈者)という伝統的なシャーマニズムの役割を担いつつ、「日本と外国の戦いが綾部の大本にはして見せてあるから、男子(開祖・ナオ)と女子(王仁三郎)の戦いで、世界のことが分る大本であるぞよ」という独特の教義を展開したのである。………<書籍>「出口なお 王仁三郎の予言・確言―未来への歴史を語る」出口和明(著)・みいづ舎、「大本教祖伝 出口なお・出口王仁三郎の生涯(文庫)」伊藤 栄蔵(著)・天声社、「出口なお――女性教祖と救済思想 (岩波現代文庫)」安丸良夫(著)・岩波書店、「大本神諭」出口ナオ(著)、大本神諭刊行委員会(編集)・ 愛善世界社、など。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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