シンギュラリティー

(AIなんか恐くない)「シリーズ・2045年シンギュラリティーへの旅」Vol.-42「人類が1つになる日」Vol.-8

(AIなんか恐くない)「シリーズ・2045年シンギュラリティーへの旅」Vol.-42・・・「人類が1つになる日」Vol.-8

 

 

こんにちは。スピリチュアルランド、MIYA-JUNです。

前回に引き続き、「AI時代における“繋がらない自由”と言う事で、五木寛之さん発言の後半箇所をお届けします。

 

 

五木寛之さん発言・B
基準が曖昧

 

(NHK・Eテレ「人間って何だ、超AI入門、Vol.-11“老いる”」から)

五木寛之さん。更には、こんな発言も。

(松尾)
『人って何故、老いると思います?。』

(五木)
何故、老いるのか?ってのは解らないですけども、どう老いるのか?てのが、いま問題になっている訳ですよね。きっと。

それで、先程からの話を伺ってて、やっぱり。基準って言うのがね。

いま、科学的な基準医学的な基準ってのが非常に、いま揺れ動いてるんです。

10年前の医学の教科書は役に立たない。昨日はこうであって、今日はこうである。

ですから、血圧1つとっても、どこが人間に望ましい血圧であるかって言う事は、いまだに僕は、揺らいでいると思います。

基準が曖昧なのに、どうしてその基準に従って、学習できるんだろう。って言うね。疑問が抑える事が出来ないですね。

 

 

医学への不信感

 

・・・・・・常々、MIYA-JUNも、医学はアテに出来ない所があると考えていました。

風邪薬とか、10年以上は飲んでいませんし、断食で治しています。人間意外の全ての生き物が、そうしていますので。

原因として、決定的に不信感を深めたのは、盲腸炎の件です。

約50年前の医学の常識では、盲腸は必要のない物とされ、手術して切り取るのが一般的でした。

それが、今では「重要な免疫器官」です。どうしてくれるんでしょうね。まったくモー。

(小学校卒業文集に書いた、手術後経過中の気持ちを詠った俳句。「もうちょうでへがでたときのうれしさよ」は、ヘン過ぎてクラス中からツッコミされまくりましたが。)

オッと、いけない。俳句はさておき、話を戻します。

 

 

自分の感性を信じる

 

結局の所、これダと言った答はありません。

没個性画一化しない生き方の選択とは。常識、効率、最適解。これらに囚われない所にあるのでしょう。

自分の感性を信じる以外に、方法はない様です。

さて、五木寛之さん。番組のラストは、こう締めくくっています。・・・・・・

(松尾)
『僕、五木先生の本を読んで、やっぱり「長生きがしたい」と。

それは、何故なら、「世の中、どう変わるかを見たいんだ」と。』

(五木)
『そうなんです。
期待と不安を持ちながら。

 

 

・・・・・・毎回このシリーズに登場する、ポール・ゴーギャンの絵画には、こんなタイトルが付けられています。

『我々はどこから来たのか、我々は何物か、我々はどこに行くのか』

 

(続く)

 

 


次回もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 

 

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