こんにちは。スピリチュアルランド、MIYA-JUNです。
前回に引き続き、「AI時代における“繋がらない自由”」と言う事で、五木寛之さん発言の後半箇所をお届けします。
(NHK・Eテレ「人間って何だ、超AI入門、Vol.-11“老いる”」から)
五木寛之さん。更には、こんな発言も。
(松尾)
『人って何故、老いると思います?。』
(五木)
『何故、老いるのか?ってのは解らないですけども、どう老いるのか?ってのが、いま問題になっている訳ですよね。きっと。
それで、先程からの話を伺ってて、やっぱり。基準って言うのがね。
いま、科学的な基準、医学的な基準ってのが非常に、いま揺れ動いてるんです。
10年前の医学の教科書は役に立たない。昨日はこうであって、今日はこうである。
ですから、血圧1つとっても、どこが人間に望ましい血圧であるかって言う事は、いまだに僕は、揺らいでいると思います。
基準が曖昧なのに、どうしてその基準に従って、学習できるんだろう。って言うね。疑問が抑える事が出来ないですね。』
・・・・・・常々、MIYA-JUNも、医学はアテに出来ない所があると考えていました。
風邪薬とか、10年以上は飲んでいませんし、断食で治しています。人間意外の全ての生き物が、そうしていますので。
原因として、決定的に不信感を深めたのは、盲腸炎の件です。
約50年前の医学の常識では、盲腸は必要のない物とされ、手術して切り取るのが一般的でした。
それが、今では、「重要な免疫器官」です。どうしてくれるんでしょうね。まったくモー。
(小学校卒業文集に書いた、手術後経過中の気持ちを詠った俳句。「もうちょうでへがでたときのうれしさよ」は、ヘン過ぎてクラス中からツッコミされまくりましたが。)
オッと、いけない。俳句はさておき、話を戻します。
結局の所、これダと言った答はありません。
没個性画一化しない生き方の選択とは。常識、効率、最適解。これらに囚われない所にあるのでしょう。
自分の感性を信じる以外に、方法はない様です。
さて、五木寛之さん。番組のラストは、こう締めくくっています。・・・・・・
(松尾)
『僕、五木先生の本を読んで、やっぱり「長生きがしたい」と。
それは、何故なら、「世の中、どう変わるかを見たいんだ」と。』
(五木)
『そうなんです。
期待と不安を持ちながら。』
・・・・・・毎回このシリーズに登場する、ポール・ゴーギャンの絵画には、こんなタイトルが付けられています。
(続く)
次回もどうぞ、よろしくお願いいたします。