こんにちは。スピリチュアルランド、MIYA-JUNです。
前回の続きをお届けします。
まずはドキュメンタリー風に、西部さんの死ぬ直前の言動を追って行きます。・・・・・・
(西部暹さんの“自裁”のタイミングについて。
元々の予定日は2017年10月22日で、その約1ヶ月前に延期を決め、年をまたいで2018 年1月21日に決行へと及ぶ。これが大まかな流れです。)
1、2017年9月ごろ、著作「保守の真髄」を書き上げる。
(あらかじめ“最期の書”と自ら宣言)
2、2017年10月15日、「サンデークロス(トーキョーMX)」に生出演。
(総選挙直前のタイミング、大衆迎合の危険性を熱く語ったのち、「近々この世にバイバイする予定なので、後は私の知ったこっちゃない。」で終える。)
3、2017年12月29日、『チャンネル桜』の「年末特別対談 西部邁氏に聞く」に出演。
<本と雑誌のニュースサイト/リテラより>
(自分の死についてこんなことを語っていたのだ。) 「もう過ぎましたけど、10月22日という日付を忘れられない。総選挙の日なんです。実はあの日、僕ね、あえてニコニコ笑って言いますけど、 実は僕、死ぬ気でいたんです。計画も完了していて」
(西部氏は10月22日に“死ぬ気”だった。しかしその日が総選挙になったため計画を変更したとして、“死”についてこう続けたのだ。) 「ところがね、ちょっと手はずが狂って。どうしようかと思っていたときに発表があって。(10月22日が)総選挙だと」「世間が忙しい時に騒ぎを加えるのは私が意図することじゃない」
4、2018年1月5日、著作新装版出版の打ち合わせ。
<「週刊金曜日」より>
(中島岳志、雑誌「表現者」編集員、雑誌「週刊金曜日」編集員) この日が西部邁先生と会った最後の日となった。
(中略)お会いした先生は、身体が辛そうであったものの、頭脳は明晰だった。(中略)保守とリベラルの相互補完関係について議論を交わした。保守思想家たちの死のあり方についても話した。
会話の中で、「自分の命は a few weeks(数週間)だ」と言った。返す言葉がなかった。
約7時間も話し続けた。楽しい時間だった。帰る予定の時間になると、「もう少しいてほしい」と言われた。終電間際の時間まで話は続いた。
最後の時、椅子から立ち上がると、先生はふと背を向けた。そして振り返らない。私は静かに頭を下げ、部屋を出た。西部邁という稀代の思想家に師事できたことを誇りに思っている。優しい人だった。
5、2018年1月10日、自身の番組「西部暹ゼミナール」最終回分の収録を終える。
(番組関係者)「50代の時から自分の生き方の結末を考えていた方で、最近は若者をとにかく励ますことを信条に、私たちともつい先週、朝まで飲んだばかりでした。娘さんや息子さんに迷惑がかからないように人生を終えることはいつもおっしゃってました。」
6、2018年1月11日、毎日新聞の取材を受ける。
<毎日新聞>(鈴木英生)
「数週間後には(自分は)生きていない」。神経痛で痛む腕をかばいながら、近年繰り返していた自らの自殺の話をした。
しかし語りはあくまでも冷静。取材後は午前4時過ぎまでバーをはしごする元気さをみせていた。
7、2018年1月14日ごろ。木村三浩と飲む。
(木村三浩、右翼団体「一水会」代表) 先生が亡くなる1週間前に、夜12時半までいろいろ、新宿で飲ましていただいたんですけど。“朗らか”に、“自分は行くぜ”って言う様な事で、 ロマンの様な感覚で、その時も語ってました。
8、2018年1月20日。
前日の夜。最大の協力者である娘と2人で、新宿の行きつけの店まで飲みに出かける。「人と会う用事あるから」と先に店を出て娘を家に帰す。そのまま、帰らぬ人となる。
9、2018年1月21日、死亡。78歳。
・(ちなみに、行方不明が判明し、捜索願い提出後、前々から予告されていた多摩川の特定場所に行ってみると、発見し易い様、体にロープかワイアーを巻き付ける、配慮の跡があったとの事です。)
・・・・・・普通の自殺につきものの、絶望の果てだったり追い込まれた末だったり故の、恨み辛み、自暴自棄、無気力無関心、等のマイナス面。ここには微塵も感じられません。
それにしても、なんなんでしょう。死の直前の、この冷静さ、優しさ、かっこよさ。究極のダンディズムの様な物を感じます。
死後、2月27日に放送された「西部ゼミナール」最終回分から最後の言葉を抜粋します。・・・・・・
『最後に一言。
人間は1人で生まれて、まあまあいろんな人と付き合うが、結局は1人で生きて、最後には、ね。(ここにいるスタッフ、みんなまだ若い顔してるけど、)いずれは年を老いて、最後は1人で死んで行くのであると。
で、そこで残る物はね。どうせ死ぬんだからデタラメな人生を送ろうかと言う説と、どうせ一回の人生だから、自分でまあまあ納得できる人生にしょうかと。
人間って不思議なもんですねー。僕、振り返ると。人間はね、やはり。やはり、後者の、たった一回の人生で、他愛の無い人生ではあるが、まあまあ自分では納得できる方に近づけて行こうと言う方を選ぶ。選ぶもんですね。
(中略)
より良い基準・規範があるはずだと。結局、一生かかっても、それは「これですよ」と言う風に分かり易くは示せないもんだろうけどね。
でも、それを求めて、喋って書いて喋って書いてるうちに、ホントに幸いなのは、死ねる事なんだ。これ、後もうね、千年同じ事やれと言われても、もうお願いですから死なせて下さい。えー、もういいんです。絶対、神や仏には近づけない。近づけば近づく程、神と仏は遠退いて行く。
まー人間とは、そう言うもんだと言うね。当たり前の自覚の元にやれば、日本社会も、こんなギスギスの、子供の騒ぎに明け暮れして、その先頭にテレビが立つなどと言う、こう言う愚かしい状態から抜け出でられるであろう。。。
これを持って最後としますが。しかし、残念ながら、抜け出る事は不可能であろうと。結局、人間は、こうゆう事を今後とも、やり続けやり続け、て。僕の結論。(小さな声で言いますよ。あまりに下品だから。「ざまあみやがれ」。)
と言う事で・・・。終わる。。。』
・・・・・・いつもと何一つ変わらない、茶目っ気たっぷりな語り口で締め括っています。
(続く)
次回もどうぞ、よろしくお願いいたします。