こんにちは。スピリチュアルランドMIYA-JUNです。
今回は、「一流」と言う事について考えてみたいと思います。
「一流」って何だろう?、「一流」になりたい。いつも、そう考え続けて、自分なりに研究しました。
例えば、船井幸雄。経営コンサルティングの神様にして、スピリチュアル系を支える心強い理解者。
部下逹へ船井氏の口癖は「せっかく生きているのだから一流になりなさい。一流であると考え行動するのですよ。」です。
また、千住ファミリー芸術家3兄妹の父、千住鎮雄。いつも決まって自分の子供逹に、こう言っていたそうです。
「何でも好きな事をやれ。金銭面も含めてバックアップしてやる。だけど、一流でなくては承知しないぞ。」、と。
実際に、長男の博さんは前衛日本画家として、次男の明さんは作曲家として、末娘の真理子さんはヴァイオリニストとして、超一流に成りました。
(私だったら、父の言葉を聞いた時点で辞めたくなりそうですが。)
更に、ここからは、船井幸雄の門弟、天才コンサルタント佐藤芳直さんの文章を紹介させていただきます。・・・・・・
『ワイン好きが高じて、年に1ヶ月はカリフォルニア州ナパで過ごすようになりました。
30代前半までは、フランスのボルドーやブルゴーニュというワインの歴史的銘醸地を巡り、100を越えるワイナリーを訪ねました。
(中略)
確かに品質的にも、ナパの一級のワインはボルドーを越えたと評されることも多くあります。価格的には、凌駕していると言っても良い市場動向です。しかし……。
ボルドーを再び訪ね、「グランヴァン(偉大なワイン)と呼ばれる、最高格付けのワイナリーを訪問すると気づくのです。ナパに足りない、何かに。
それは、「時間によって磨き上げられた気品」です。気品は、お金と経済性ではつくることができないと教えられるのです。』
『日本を訪ねる海外からの経営者が、まず仰天するのは、ラッシュ時の山手線の運行間隔です。
2分から5分に1本、あの長大な山手線が入線しては、発車して行きます。それはまるで、マジックを見ているようだと、異口同音に語るのです。
その運行を可能にしているのは、日本という社会資本です。
降りる人が先、乗る人が後。乗ったら、奥へ奥へ進むこと。その暗黙のルール、つまり日本独自の社会常識(=社会資本)が、山手線の驚異的運行スケジュールを可能としているのです。
乗り降りにルールがなく、出入口で喧嘩が絶えないようでは、山手線の運行は不可能です。
世界の有意な人々は、日本という安定した経済大国、桃源郷の理由に気づいています。それは、 “時間と意志によって築かれた気品” そのものだということを。』
『日本人には、「誰が見ていなくても必ずお天道様が見ている」という教えがありました。それが今に至る日本人の社会資本、つまり道徳心になっていると思います。
「そのように生きるべきという自覚」があり、「そのように生きなければという覚悟」が、子孫のために溢れていました。「恩送りの思想」とは、そのような意識から生まれたのです。
日本の社会にある一流の風情、世界が日本を評する礎はそこにあります。
ナパワインが経済性に走り、合理性を追求すべくコンピューター化に走ったのは、21世紀に入ってからです。
確かに品質は向上したと感じますが、「気品」を手にしたと思えないのは、偏見の故でないと思います。
どんなにAIが進化しても、その先に気品は生まれないでしょう。時間をかける、誰が見ていなくとも正しさを追求する。
“慎独=独りを慎む”
日本人の国民性が、「気品」という目に見えない価値を手にすると確信します。
21世紀、日本は気品という風情を目指すべきでしょう。
その答えは船井先生が教えてくださった、“一流だと思うのだ”この一点にあると、日々感じます。』
(“ザ・フナイ”2017年4月号、佐藤芳直「競争から共創へ 一流への道を歩む。その道標とは?」より)
・・・・・・・以上、要約すれば、「人として一流であれ」と言う事だと思います。
江戸時代。日本は超一流の国でした。
※(大好きな江戸の魅力については、また別の機会に、じっくりと訴えたいと思います。)
そこから私達は何を失ったのでしょうか?。
(続く)
次回もどうぞ、よろしくお願いいたします。