こんにちは。スピリチュアルランド、MIYA-JUNです。
前回の続きをお届けします。
「ちょっとトイレに行って来るから。読んでみる?。」と、手渡されたのは、バグワン・シュリ・ラジニーシ(※注)「存在の詩」という本です。
頭の中が、大爆発しました。凄まじい破壊力です。
ビッグバンが始まり、自分の中で大宇宙の創成が起きてます。完全な忘我状態です。
深い深いトリップの中へと、吸い込まれて行きました。
「どう?」との声に、ハッと我に帰ります。
ずいぶん長い時間が経過したと感じられました。そのサマを、しばらく観察していたようです。
「普段あなたが喋っている様な事が書かれていると、人から薦められたんだよ。」「当たり前の事が書かれているよね。」と言います。
(以降、“喜多郎さん”改め、師匠と呼びます。)
今まで私は、こんなタイプの本を読んだ事がなく、初めて触れる覚者の言葉はインパクト絶大でした。
とてつもなく高いレベルでの、人間存在や宇宙への洞察。私の価値観は、根底からブッ壊されます。
当時の私のボキャブラリーでは、ただただ「スゴーイ」を連発する位しかありません。
この日を境に、“精神世界系(スピリチュアル)の本が読みたくて読みたくて堪らない状態”になってしまいました。
(ラジニーシは40~50冊ぐらい読んでます。)
ちなみに、向精神作用の薬草(ハーブ)で“キメている”ときは(変性意識状態)、最も洗脳行為が有効な時間です。 (オウム真理教の例でも明白な様に)。
師匠に意図は無いにしても、ある意味、結果的に、私は洗脳されてしまったのかも知れません(喜ばしい事に)。
(実際に“赤上げて・白下げない・赤下げないよー白上げる”みたいなゲームで遊ばれたりもしましたしね。)
それは本当に、喜ばしい事でした。
今へと繋がる、無限のスピリチュアル世界への扉を開く、その切っ掛けを貰ったのですから。
かくしてスピリチュアル探究の旅が始まりました。
と同時に、私の進路を決定付けたもう1つは、「ハーブの意味と意義」への気付きです。
これは、師匠のハーブに対する姿勢と哲学から自然に理解できました。
「本物の“いま・ここ”の世界を思い出すでしょ。」と師匠。今まで、こんな人は身の回りに1人も居ませんでした。
なのでハーブとは、“ミーハーのアンちゃん”には“笑っちゃうクスリ”と呼ぶ、単なる娯楽品でした。
私にとって師匠は、薬草を使って、精神世界の探求を水先案内する熟練シャーマンの様な役割です。
多くの事を学びました。
(続く)