こんにちは。スピリチュアルランド、MIYA-JUNです。
今回は、西部暹(にしべすすむ)さんの生き方を通して“人生の終い方”について考えてみます。
かなり重いテーマですし、長い長い文章になりますが、もしお付き合いいただければ幸いです。
それは、驚きと共に、妙に気になるニュースでした。
自殺?。変だな。つい最近まで元気溌剌だったし、私の知る範囲では、自殺する様なヤワな人間とは思えないし。
何とも理解の出来ない不思議な事件です。
西部暹さん。
この方の著書を読んだ事はありませんでしたが、テレビでは「西部暹ゼミナール(トーキョーMX)」が私は好きで、毎週録画し、20本以上は観ています。
他には、「プライムニュース(BSフジ)」と「サンデークロス(トーキョーMX)」に生出演した回の録画も、そのうち観ようと考えていた所でした。
数日後、インターネットで調べてみると、謎が解けますが、驚愕度は数倍に跳上がり、西部さんの凄味に圧倒されました。
その死は、事実上いわゆる自殺ではありますが、これを一括りで自殺と呼ぶのは全く相応しくありません。
何故なら、普通にイメージする自殺の 姿とは、あまりにかけ離れているからです。
本人は“自裁死”だと言っています。
長年、広く公言し、考え抜き、計画を立て、身辺整理や引き継ぎを済ませ、入念な準備の元での死。
まずは、最愛の妻の介護に勤め、最期を見届けてからの死。
家族に迷惑を掛けない事を最優先に、配慮や努力を重ね、話し合い、説得し、お互いに納得ずくでの死。
健康上に問題を抱えつつも、経済的にも家庭や人間関係的にも、何不自由なく理想的な状況を持ちながら、あえて選ぶ死の形。
私は今まで、自殺は絶対にいけない事と考えていました。
ですが、率直に素敵だな、憧れてしまうな、と感じました。
西部さんから見せられた「新しい死に方の可能性」に対し、強い高揚感と共に沸き上がって来た、この感動は何なんでしょうか?。
これは完全にアリだ。これって何?。
私も、自分の父母の最期を見届けて、いろいろと感じる所があります。
そんな理由もあり、今回は「西部暹の方法」、この感動の意味を深堀りして行こうと思います。
とりあえずは、インターネットから情報を収集し、本人の著作を読み、雑誌の情報や意見や追悼文を参考にし、親交の深かった人達が故人を偲ぶ追悼番組を繰り返し繰り返しじっくりと観て、熟考し、答えを探します。
また、西部暹さんの思想的な面の考察は、私ごとき者(西部さんの口癖をお借りしてます)よりも相応しい諸先生方に任せるとして、私は主に故人の人柄の面にスポットライトを当てて行こうと思います。
(続く)
次回もどうぞ。よろしくお願いいたします。